転生王女の再会。(3)
「クラウス……?」
「っ!」
私が呼びかけると、半分木に隠れた男性の体がビクリと震えた。
見つかってしまった事に焦っているのか、キョロキョロと視線を彷徨わせる。私が一歩踏み出すと、彼の動揺は大きくなった。
落ち着きのない様子を見ていると本当に彼がクラウスなのか、自信が持てなくなってくる。確認するためにも近付こうと決め、再び歩き出した。
野生動物に接近するように、ゆっくり焦らず距離を詰める。しかし、残り十メートルを切ったところで、クラウスは弾かれたように駆け出した。
「あっ」
「申し訳ありませんっ」
「待ちなさい、クラウス!」
「!」
脱兎の如く逃げる背中に、制止の言葉を投げかける。
条件反射のようなもので、本当に引き止める効果があるとは思っていない。逃げる相手に待てと言ったって聞くはずがないし。
でもクラウスは止まった。それこそ車が急ブレーキをかけたみたいに、綺麗にピタリと。
止めておいて何だが、正直ビックリした。でも止まったクラウスも、己の行動に驚いている様子だった。条件反射って怖い。
私に背を向けたまま棒立ちするクラウスに、なんて声をかけるべきか分からなかった。
「クラウス」
「っ、もうしわけ、ありません……っ」
もう一度名を呼ぶと、クラウスは苦しそうな声で謝罪を繰り返す。それしか言葉を知らないみたいに。
「……それは、何に対して?」
逃げ出した事についての謝罪ではない気がした。
でも、それ以外で謝られる理由がない。
純粋な疑問から出た言葉は、どうやら彼の心の柔い部分を突いてしまったようだ。だらりと垂れていたクラウスの手が、強く握り締められたのを見て、そう悟った。
「……貴方様を、何度も危険に晒しました。無様にも怪我を負い、迷惑をおかけしました。傍にいながら攫われた事にも気付けず、追うことも出来なかった。私は……護衛失格です」
護衛失格。クラウスの口から、そんな言葉を聞く日が来るとは。
そんな事ないと、即座に否定するべきだったのだろうが、驚きが大きすぎて時機を逸した。
「貴方様に、合わせる顔がありません」
苦しげに絞り出された声は、どこか頼りなくて。何故か酷く落ち着かない気持ちになった。
従順に見えて、強情で、人の話をまるで聞かなくて。怒っても冷たくしても、落ち込むどころか何故か嬉しそうで。そういうのが、クラウスだと思っていた。こんなのは、彼らしくない。そう、クラウスらしくない。でも、そうしたのは他でもない、私なのだ。
私が旅に出なければ、クラウスは怪我をしなくて済んだ。
ヴォルフさんに攫われた時も、抵抗するなり逃げるなりしていれば、クラウスがこんなにも自分を責める事もなかっただろう。
私の我侭と浅慮が、クラウスを追い詰めた。
謝るべきは、わたしだ。
「クラウス……っ、……」
呼びかけると、俯いたクラウスの肩が揺れる。それが私の言葉に怯えているように見えて、私は咄嗟に続けようとした言葉を呑み込んだ。
ごめんなさい。私の我侭で沢山振り回してしまって。貴方はなにも悪くないわ。
そんな事を言って、どうなる。陳腐な謝罪では、クラウスの自責の念を消すことは出来ない。寧ろ、きっと彼の矜持を傷付ける。
謝ったって減るのは、私の罪悪感だけだ。
「…………クラウス」
「……はい」
呼びかけると、小さな声が返ってきた。
クラウスらしくなくて、本当、調子が狂う。
「私、探していた薬師の一族に会えたわ」
「? ……はい」
戸惑ったように一拍の間をあけて、クラウスが頷いた。
「交渉の結果、薬を提供するだけではなく、治療にも手を貸して貰えることになったの」
「最高の成果を持ち帰られたのですね」
素晴らしいです、とクラウスは小さな声で付け加えた。自分のことみたいに、嬉しそうに。だから私も笑って頷いた。うん、クラウス。
「半分は、貴方の成果よ」
「…………え?」
クラウスは、困惑している様子だった。小さな疑問の声には答えず、私はクラウスに歩み寄る。近づいてくる気配に緊張し、強張った体の横を通り過ぎて、足を止めた。振り返ると、クラウスと一瞬目が合ったが、すぐに彼は俯いてしまった。
でも私の方が小柄だから、顔は隠せない。足元に視線を注ぐクラウスは、酷い顔をしていた。
私は内緒話をするみたいに、声を潜めて『あのね』と切り出した。
「ヴォルフさんがクーア族の一員だったの。貴方が怪我をしたから、ヴォルフさんは薬師だって名乗り出た。そして部下である貴方を救おうとした私に、興味を持ってくれた」
「……」
「攫われた私を連れ戻していたら、きっとクーア族の皆に協力してもらう事は出来なかった。薬を譲ってもらう事すら、出来なかったかもしれない」
「……それは」
それは、私の成果ではありません。きっとクラウスは、そう言う。
自分が何も出来なかった事に変わりはないと、そう言うのでしょう?
だから私は遮るために、クラウスと呼びかける。
貴方の最大の成果は、もっと別のもの。
「なにより、貴方が命がけで守ってくれたから、私はここにいる」
「!」
クラウスが弾かれたように顔をあげた。
エメラルドの瞳が、際限まで見開かれる。
「貴方が私を守ってくれたから、薬が手に入る。薬師の協力も得られる。病に苦しむ人達をきっと救える。全部、貴方が助けてくれなかったら、出来なかったことよ」
受け取ろうとしなかった成果を、一つずつ並べていく。
丸い瞳が動揺に揺れる。半開きだった唇が戦慄き、何かに耐えるように引き結ばれた。クラウスは、ゆるゆると俯いたかと思うと膝を抱えて蹲った。
「クラウス、大丈夫?」
具合が悪いのかと焦ったが、覇気のない声が大丈夫だと返した。
「……オレは、」
クラウスは自分の髪をぐしゃりと掻き混ぜながら、逡巡するみたいに言葉を区切る。
「オレは、貴方のお役に立てているのでしょうか……?」
喧騒にかき消されてしまいそうな声で、クラウスはぽつりと呟いた。
予想外の問いに、私は過去を思い浮かべる。
クラウスとの思い出は、賑やかなものばかりだ。ちょっとした騒動ばかりで、彼に困らされることは沢山あった。
でも、それ以上に。
「沢山、助けてもらっているわ」
私は、同じように彼の前にしゃがみ込む。
「ありがとう、クラウス」
「……っ」
ヒュッと、短く息を吸い込む音がした。
クラウスの腕が震え、ぎゅうっと握り込まれる。
暫し私達は、無言で向かい合ったままでいた。
会話はなく、時折、小さく鼻を啜る音が聞こえたけれど、気付かない振りをした。
やがて顔を上げたクラウスの目が赤かったのも、見ないふりだ。
「クラウス。私はこれから、ヴィントに向かうわ」
「……連れていっては頂けないのですね」
クラウスの言葉に、私は頷く。
「万全でない貴方は、連れて行けない。どうか怪我を治す事に専念して」
クラウスは苦しそうに顔を歪めた後、目を伏せた。眉間に皺を寄せた彼は、長く息を吐き出す。
「……どうか、無理はなさらないでください」
クラウスは立ち上がり、私に手を差し伸べた。
クラウスの手を借りて立つと、彼はそのまま私の前に跪く。
「本国で、貴方様の帰りをお待ちしております」
私はクラウスの瞳を真っ直ぐに見つめ、必ず、と返した。
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