第二王子の探索。
ネーベル王国第二王子、ヨハン・フォン・ヴェルファルト視点です。
物陰に身を潜め、覗き込む。
だが近くに人の気配はなかった。辺りには幾つもの切り株と、高く積まれた木材。それから斧や鋸などの道具類が残されているだけ。
そっと息を吐きだし、切り株を避けながら近づく。見上げた木々は下の方に枝葉はなく、てっぺんだけ葉を茂らせている。その姿は、まるで切り分けられたケーキのように見えた。
「ヨハン」
呼び掛けに振り返る。
「こちらには、人はいないようだな」
隣に並び立ったナハトが、周囲を見回した。
ナハトが『こちら』と呼ぶ現在地は、ナハトが視察で訪れた際に来た森の入り口ではない。もっと東寄りに迂回した場所にある。
森の奥へと続く道は細いが、途中で本筋と合流するらしい。あくまで、教えてもらった知識なため、言い切ることは出来ないが。
「貴方の助言に従って良かった」
そう言ってナハトは、振り返った。
馬の腹を撫でていた長身の人物は、外套から覗く口元だけで笑う。
「お役に立てたのならば良かったです」
謙虚な返事をした彼は、被っていた外套の頭部を背に落とす。
現れたのは見覚えのある端正な顔。固そうな黒髪に、切れ長な同色の瞳。意志の強さを伺わせる眉に、整った鼻梁。
歳を重ね、少しは衰えていればいいと底意地の悪い願いを抱いていたが、精悍な美貌は男の色気を増しただけだった。
追いつき追い越したいと思っている男の、更に洗練された姿に頭痛がする。どれだけ引き離せば気が済むのだと、八つ当たりめいた感想を抱いた。
ギリ、と思わず唇を噛み締める。
睥睨する僕の視線に気付いただろう男――レオンハルトは凛々しい眉を少し下げて、笑みを苦笑へと変えた。
街で護衛を探していた僕の前に、この男が現れた時は目を疑った。
何故、我が国の近衛騎士団長がこんなところにいるのだと。
話を聞いたところによると、どうやら父の差し金らしいが。
『国王陛下の御前で、溜息を吐くという失態を演じまして』
今のような苦笑いを浮かべながら、レオンハルトはそう言った。職務中のレオンハルトが、そんな失敗をするなど俄には信じがたいが、嘘でも冗談でもないらしい。
その失敗を見咎められ、『そんなに疲れているのならば、休暇をやろう』と、強制的に休暇という名の視察を命じられたそうだ。
森林の伐採及び流行り病、そしてヴィントの出方を知りたかったのだろう。僕のお目付け役と護衛も兼ねているのかもしれない。
だが、理解は出来ても納得は出来ない。レオンハルトである必要がないからだ。わざわざ、我が国最強の騎士を寄越した意味はなんだ。この森には猛獣でも出るのか?
僕の立場にあるのが姉様だったなら、抑止力にもなり得るだろう。頑張りすぎるきらいのある姉様だが、この男が傍にいれば無茶をせずに済むかもしれない。しかし生憎と僕は、この男の顔を見ていると逆に闘争心が刺激されるんだ。なにがなんでもやってやる、という気持ちにすらなる。もしや発破をかけているつもりか。
ギリギリと歯を噛み締める僕の呪詛めいた視線を受け流し、レオンハルトは真剣な顔付きで僕達の方を見た。
「お二人とも。改めてお聞きしますが、本当に森に入るおつもりですか」
ここまで来て、何を。そう言いかけて、口を噤む。
覚悟を問うているのだと気付いたからだ。
「これより先は、危険が多く潜んでおります。わざわざお二人が出向かずとも、お任せ頂ければ、自分が一人で様子を探って参りましょう」
確かにレオンハルトに任せれば、おそらく期待以上の成果を持ち帰ってくれるだろう。癪だが、この男の能力は認めている。
沈黙していたナハトは、腕組みをして渋面をつくる。目を眇めた彼は、深く息を吐き出した。
「……その方が確実だな。私達がついていっても、足手まといになりかねない。賢明な判断といえる」
「ナハト」
レオンハルトの提案にのる方向へと流れ始めたナハトの言葉に、待ったをかけるために名を呼ぶ。しかし僕の予想を裏切り、ナハトは『だがな』と続けた。
「ここで『はい、そうですか』と頷けるようなら、私は私をやっていない」
ナハトは堂々と、理屈にもなっていない事を言い切った。制止をかけようと伸ばした手から、力が抜ける。
「この森の中で、我が国の民が苦しんでいるかもしれない。それを承知で、安全な場所で大人しく待つなどという馬鹿げた選択をしてたまるか。賢明な判断などクソ食らえだ。私は伊達に、偏屈王子などとは呼ばれていないぞ」
ナハトは胸を張り、フンと鼻を鳴らす。
王子として誉められたものではない言葉選びだが、不思議と頼もしいと思えた。
「まぁ、実際はただのお荷物で、守られる気満々だがな。厄介な荷物運搬を請け負った気持ちで頼む」
なんて情けない言葉を、堂々と言うのか。
思わず笑いが洩れる。ナハトのお陰で、肩の力が抜けた。
「ヨハン様は如何ですか」
レオンハルトは、今度は僕に話を振った。
「言いたいことは、概ね一緒だ」
言おうと思っていた色んな言葉が、脳からこぼれ落ちた。どうせ御大層な理屈を捏ねたとしても、ナハトの宣言の前では霞む。
目を伏せて、溜息と共に言葉を吐き出した。
「かしこまりました」
てっきり諌める言葉が来るだろうと思っていたのに、レオンハルトはあっさりと頷く。呆気にとられた僕の口から、間の抜けた声が洩れた。
「は?」
「では、参りましょうか」
笑顔で続けられ、コメカミに青筋が浮きそうになった。
「それだけか!?」
「はい」
もっとあるだろう!
王族としての自覚が足りないとか、感情論で動くなとか!
ここまで来て帰れとは言わずとも、お小言の十個や二十個は覚悟していたというのに。
レオンハルトは成長した子を見るような優しい目で、笑うだけ。
「お二人が行くと決めたのでしたら、自分はただ全力でお守りするだけです」
おお、格好良い……とナハトが感嘆めいた呟きを洩らす。
僕の中のちっぽけな矜持が邪魔をして、素直に同意は出来なかった。同じ男として憧れる部分がないとは言わない。言わないがレオンハルトを見ていると、頬を染める姉様の姿が思い浮かんで、認める気が失せるのだ。
ナハトや僕の視線を意に介さず、レオンハルトは懐を探って何かを取り出した。
大きな掌の中でぶつかった二つの小瓶が、カチリと小気味よい音をたてる。
「では森に入る前に、こちらを肌に塗っていただけますか」
「肌に?」
手渡された小瓶を眺め、ナハトは首を傾げる。
僕も同じように覗き込むと、小瓶の中で液体がトロリと揺れた。蓋を開けて鼻先を近づけると、柑橘類の匂いが鼻孔を掠める。
「植物からとれた油です。正確にはそれを、希釈したものだそうですが」
「精油か。しかし、何故そんなものを今?」
「虫除けですよ。獣や人からはお守りすることが出来ても、虫は難しいですから」
「なるほど。凄いな、貴方は。なんでも知っている」
「買いかぶりですよ。自分には偏った知識しかありません」
ナハトは素直に感心しているが、僕としては面白くない。知識が豊富なのも、おそらく高価であろう物を、そうと知らせず簡単に分け与える寛容さも、謙虚さも、全てが面白くない。僻みだと言われたら、なにも言い返せないがムカつく。
むっつりと黙り込みながら、手に取った液体を肌に塗る。レモンに似た匂いが、フワリと漂った。
爽やかな香りは、遠く離れた姉の記憶を呼び起こす。
今頃、何をなさっているのだろう。
見上げた空に、母国にいるだろう姉様の笑顔を思い浮かべた。
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