転生王女の驚き。
諦めないで、良かった。
忙しなく駆け回るクーア族の人達の顔を見て、私は胸中で呟いた。
族長自ら女神様を演じる舞台を整えてくれたにも関わらず、反故にしてしまった罪悪感はある。上手くいくだろう方法を蹴って、自分の心に従った時には恐怖で足が竦みそうにもなった。
でも女神様を演じてしまったら、今の皆の表情を見ることは出来なかったんじゃないかと思う。
女神に従うのではなく、薬師として患者を救うために走り回る彼等の表情は、とっても生き生きとしていた。
諦観や絶望の影が払拭された蜂蜜色の瞳には、決意の炎が灯っている。凛々しい顔付きの皆を見ていると、彼等の誇りを踏み躙るような真似をしなくて、本当に良かったと改めて実感した。
「王女殿下」
「はい」
族長さんに呼ばれて、意識を引き戻される。
皆が忙しそうにしている中、しみじみと物思いに耽っていた自分を恥じたが、族長さんは気にした風もなかった。
「移動距離と時間を考慮しますと、連れていくのは若い連中がいいと判断しました。三十余名には旅支度を。それ以外の人間には、在庫の薬と薬の材料、治療に必要な道具類、それから数日分の食料を用意させています」
「ありがとうございます」
「追加の薬が必要になる場合を想定し、私は村に残ります。殿下に同行させる者達の指揮は、ヴォルフに一任する事に致しました」
「分かりました」
族長さんに同行してもらえないのは少し残念だが、ヴォルフさんが引き続き傍に居てくれるというのは頼もしい。薬師としての腕も勿論信頼しているが、精神面でも支えてもらっている自覚はあるので。
「急がせていますので、支度にそれほど時間はかかりませんが……問題は移動方法ですな」
そう言うと族長さんは、少し離れた場所で忙しそうにしているヴォルフさんを呼び寄せた。ヴォルフさんは持っていた荷物を近くにいた男性に渡し、駆け寄ってくる。
「なによ? 忙しいのに呼びつけないで頂戴」
「お前は先に下山して、麓の村で馬車を調達しろ」
「移動手段は考えるべきだけど……あの小さな村に大型の馬車なんてないわよ」
ヴォルフさんは眉間に皺を寄せ、考え込むように顎に手をあてた。
麓の村の規模は分からないけれど、確かに小さな農村や漁村には大型の馬車なんてないだろう。でも三十人以上の移動ともなれば、一台二台の馬車では追いつかない。
「だろうな、元より期待はしていない。だが事は急を要す。出来る限りの馬と馬車を掻き集め、先に行ける者から行かせるしかない」
バラバラに行くしか、やはり方法はないのだろうか。
でもそうすると、合流が難しくなる気がする。目指す場所はヴィントの辺境都市付近と決まってはいるが、電話もないこの世界で、ちゃんと会えるだろうか。それに場所に変更があった場合や、突発的なトラブルに遭った場合、どうすればいい? 臨機応変な対応は、どうしたらとれる?
手紙なんて悠長なことを言っている場合ではないし……。
そこまで考えて、ふと思い出した。手紙で臨機応変な対応をしてくれる、稀有な存在を。
「お困りですかね?」
私の思考を読んで、最大の効果を発揮する瞬間を見計らっていたんじゃないか。そう疑いたくなるようなタイミングで声がかかった。
まるで生まれた時からこの村にいたんじゃないかという自然さで、建物の影からひょっこりと顔を出す。よっ、と軽く手を挙げて歩いてくる人を見て、私は目を大きく見開き、口を半開きにしたマヌケ顔のまま固まった。
密偵とは思えない気安さで、ひょこひょこ歩く姿が信じられなくて凝視してしまう。
普通は、もう少し忍んでるものなんじゃないのか!? てゆうか、よく見つからなかったね!?
「ちょ、ど、なんでっ!?」
「あはは。姫さんの顔面白いー」
誰のせいだと!?
「それは失礼しました! まさか貴方が村の中をフラフラしているなんて、予想もしなかったもので!!」
「さっきまでは、ちゃんと忍んでましたってー。ただもう、必要ないかって思ったんすよ」
ね? とカラスは小首を傾げて族長さんを見る。
族長さんは渋面をつくりつつ、溜息を吐き出した。
「王女殿下に護衛が一人もいないとは思いませんでしたが……全く気づかなかったというのも情けない話ですな。ですがその男の言う通り、もう忍ぶ必要はありません。私達は貴方に協力すると決めたのですから」
「ほらね」
ほらねじゃねーし!!
なんでドヤ顔かな!?
苦い顔した族長さんに、うちの国の密偵が本当すみませんと土下座したくなった。
「ほらほら姫さん。そんな眉間に皺つくってちゃ、可愛い顔が台無しだぜ?」
「誰のせいかな」
何故か上機嫌なカラスは、楽しそうに笑って私の眉間をちょいと突く。その手を押し退けて冷えた眼差しを向けると、カラスは傷ついたと言いたげなわざとらしい表情で胸を押さえた。
「姫さんてば冷たい。せっかくアンタのために、色々と手配したのに」
「……え?」
色々と手配?
予想外の言葉を聞いた私は、唖然としてカラスを見上げる。視線がかち合うと、若いワインの色をした瞳がニンマリと細められた。
「予想外でしょ?」
その問いに、私は素直に頷いた。
色々と手配ってことは、カラスが動いてくれたってこと。もう彼が敵だとは疑ってはいないが、私個人の味方だとも思っていなかった。
カラスの主人はあくまで父様で、私の面倒を見てくれているのは仕事の一環。必要以上を要求してはいけないと戒めていた。それに彼自身も、私のために動く気はないんじゃないかと思っていたのに。
「オレもね、予想外」
カラスは、頭の後ろで手を組む。
「アンタがなにしようと、何を望もうとオレには関係ない。オレの仕事はあくまで、アンタを生かして国に帰すことだけ。それ以上は業務外だ」
「じゃあ、どうして」
「なんか面白いもん、見せてもらったから」
その駄賃だと思ってとカラスは、あっけらかんと言い放った。
なんて言い草だと、呆れながら思った。でも不思議と苛立ちは湧かなかった。彼が、カラスが、楽しそうに笑っているからだろうか。
悪戯が成功した子供みたいな顔は、ゲームの中では一度も見たことがない。
『怠い』、『面倒臭い』、『勝手にすれば』。それがカラスの口癖だった。気怠げな表情と動作がデフォルトで、彼は物事を斜めに見るところがある。興味がある事柄でも一歩引いた立ち位置で眺めるだけ。積極的には行動しない。ヒロインとの親密度が上がっても、そのスタンスに変わりはなかったのに。
疑問は湧く。でも今は、その厚意を有り難いと思う。
「なにが面白かったのかは知らないけれど、移動手段を見つけてくれたって思っていいのかしら?」
「勿論。……と言っても、オレがしたのはアイゲル家の坊っちゃん達と連絡をとっただけだがね。有能な坊っちゃんとそのお仲間が今頃、馬車やその他諸々を用意してくれてるだろうさ」
ゲオルク達が頑張ってくれているってこと?
なんて頼もしい! アイゲル家とユリウス様の人脈の広さに、ゲオルクの交渉力が加われば百人力だ。
「嬉しい?」
「もちろん。ありがとう、カラス」
笑顔で頷くとカラスは、そう、と呟くように言った。カラスの声も、少しだけ嬉しそうに聞こえたのは気のせいだろうか。
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