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次期族長の歓喜。

※クーア族、次期族長 ヴォルフ・クーア・リュッカー視点です。




 大勢の人間がいるにも関わらず、場が水を打ったように静まり返った。

 だがむせ返るような熱気は消えない。寧ろ増してさえいる。誰もが熱視線を注ぎながら、黙って彼女の言葉を待っている。


 いくら父上――族長が扇動したとはいえ、こうも簡単に信じ込んでしまうほど、オレ達の一族は単純じゃない。おそらく皆も信じたいと思ったんだろう。滅びの運命を変えてくれる女神の存在を、望んでしまった。

 大の大人が揃いも揃って、幼い少女に縋ろうとしている。それは異様としか表現が出来ない光景だった。


 なんの咎も責任もないというのに、マリーは重荷を背負わされそうになっている。

 だが憤りを感じる資格は、オレにはなかった。この村に連れてきたのも、一族の主人になって欲しいと提案したのもオレだ。責任も咎も全てオレにある。

 だというのにオレは今、走り出してマリーを攫いたい衝動と戦っていた。彼女を煩わせる全てから遠ざけてしまいたいと、心の底から思う。


「ヴォルフ様」


「……なぁに? リリー」


 隣に立つリリーの小さな呼びかけに、オレは我に返る。

 いつの間にか握り締めていたらしい手のひらは、爪が食い込んで血が滲んでいた。平静を装いながら視線をリリーへと向けるが、彼女の視線はオレの方を向いていなかった。ひたむきな視線は、マリーへと注がれている。


「私は最初、あの人が苦手でした」


「そうなの……?」


「はい。だってあまりにも可愛らしくて綺麗で、自分とは別世界に生きている人なんだと思ったんです。きっと何でも持っているし、悩みも苦しみも知らないお姫様なんだろうって」


 確かにマリーの外見は、少女達が思い描く御伽噺のお姫様そのものだ。汚いものとは無縁で生きてきたんじゃないかと夢想したくなる。だが彼女は宝箱の中の宝石でも、温室の花や蝶でもなかった。


「でも距離を置こうとする私達に、マリー様は歩み寄ってくれた。一緒に農作業をして、家事をして。綺麗な手や髪が泥で汚れても全然気にしないで、優しく笑いかけてくれたんです」


 感情の起伏が少ないリリーにしては珍しく、僅かに口元がほころんでいる。


「あの人が私達の主になってくれたら、素敵だと思います。きっと私達の身だけでなく、誇りも守ってくれる。……でも、あんな顔させるくらいなら、ならなくてもいい」


「リリー……」


「皆で寄ってたかって取り囲んで、マリー様が泣きそうなのにも気付いてないなんて。あんな顔、させちゃ駄目なのに」


 リリーは自分こそ泣きそうな顔で呟いた。

 彼女の視線を追う形でマリーに辿り着く。僅かに俯いたマリーは酷い顔色をしている。青褪めた彼女は、今にも倒れてしまいそうだった。


 もういい。いいから。オレ達の未来なんて重いもの、背負わなくていい。

 そう、大声を張り上げようとした。

 だがその直前、マリーの表情が変わる。相変わらず顔色は悪いが、口を引き結び、前を向いた彼女の瞳には決意の色が滲んでいた。


「……皆さんに、お話ししたいことがあります」


 深呼吸のあと、マリーは徐に切り出した。声は少し震えていたが、熱狂している村人達は気付かない。離れた場所で見守るしか出来ないオレとリリーだけが、それに気付いていた。


「大切な話です。でも、その前に見て頂きたいものがあります」


 そう言ってマリーは両手を前に出した。どちらの手にも何か、小さなものを握り込んでいる。ゆっくりと開かれた掌に乗っていたのは、小ぶりの石。一つは深い赤、一つは薄い青。どちらも宝石の如く輝いている。


 昨夜、マリーは『魔石』と呼んでいた。

『魔石』とは、魔導師が魔力を注ぎ込んで作る希少価値の高い石で、一度だけ『魔法』を使えるらしい。しかし、魔導師のみにしか扱えないという難点がある。

 その点、マリーの持つ石は、一般人にも使用可能だそうだ。だが、あくまで見せかけ。本当の『魔法』とは違い、温度も質量も持たない偽物。目眩まし程度の効果しかないから、使い所を誤るなと、持たせてくれた人間は言っていたらしい。


 マリーはその石を使って、女神を演じるつもりだった。見せてしまっても大丈夫なんだろうか。


「美しい石ですが、これが何か?」


 訝しげに問う男の質問に、マリーは笑みを返す。

 そして、しっかりと握った二つの石を強く打ち付けた。


 硬そうに見えた石は、派手な音をたてて砕け散る。

 呆気にとられる人々の前で、飛び散った欠片の輪郭がグニャリと歪む。溶けたソレは空気と混ざり合い、消える寸前に発火した。小さな炎の粒はやがて一つになり、大きな紅蓮の炎がマリーの細い体を包み込む。


「ひっ!?」


 見せかけだと理解しているオレですら、息を呑む光景だ。何も知らされていない村人達からは、引き攣った悲鳴があがった。


 だが、大きく燃え上がっていた炎は次の瞬間に凍りつく。

 揺れる焔の形もそのままに、パキパキと氷に覆われていく。


 マリーの爪先から頭の天辺まで、全てが凍りついた。炎の形をした氷に閉じ込められたその姿は、背筋が凍るほどに美しい。神々しいとすら思った。


 しかし奇跡の氷像は瞬きする程の間だけ存在し、すぐに壊れた。


 パァン、と。氷が砕けて辺りに飛び散る。

 朝陽を受けて煌く破片は、氷というより光の粒。それを纏うマリーは、まさに女神の如し。


 まるで夢のような光景だ。


 皆は呆然と佇んだまま幻想的な光景に、ただただ見惚れていた。

 一連の現象の理由だとか、意味だとか、そんなものは全て頭から抜けているに違いない。人間は宝石に存在理由や意味など求めはしない。本当に美しいものの前では言葉さえでなくなるのだと、頭の隅でオレは思った。


「今の現象を、私の国では魔法と呼びます」


 霞がかった頭は、静かなマリーの言葉で現実に引き戻された。

 あちこちで短く息を吸い込む音がする。我に返ったのはオレだけではないようだ。


「私は魔法が使えないので今のは見せかけですが、本当の魔法は、魔導師と呼ばれる一握りの人間だけが使える奇跡の力です。扱える魔法の種類は人によって違って、火を扱える人、氷を扱える人と様々です。その中に地属性と呼ばれる力があって、植物の成長を助けたり、人の傷を塞いだりも出来ます」


 マリーの話の流れに、殆どの人間がついていけてなかっただろう。

 実はオレもだ。最初にネタバラシをしている時点で、話が違いすぎる。偽物の女神を演じるつもりではなかったってことか。でもなら何故。この出来過ぎた見世物は一体なんのために。

 そう戸惑っていたオレだったが、話の続きを聞いて、少しずつ分かってきた。


『植物の成長を助けたり、人の傷を塞いだりも出来ます』と、マリーは言った。

 それが指し示す意味を、オレ以外の奴も理解し始めている。少なくとも強張った顔付きの数人は、おそらく。


「私の友人にも一人、手を翳して怪我を治せる人がいます。……皆さんの女神様と、同じように」


 女神はオレ達と同じ『人』である。


 マリーは言葉にこそしなかったが、はっきり言い切ったも同然だった。村人達の受けた衝撃は計り知れない。

 騎士の怪我を治す魔導師を、間近で見ていたオレでさえ、女神と魔導師を結びつけられなかった。だってそうだろう。信仰する神と隣人に共通点があったとして、同じ存在だなんて考える奴はいない。神は触れられないような高みにいるから神なのだ。


 そしてオレ達は、そんな神の血を継いでいることを誇りにしていた。滅びを目前にしながらも、外界の人間との婚姻に踏み切れなかったのは、掟に縛られていたからだけではない。きっと心のどこかで、自分達は選ばれた人間だと酔っていたんだ。


「今はネーベル王国にしかいませんが、何百年も前には世界各地に魔導師がいたそうです。クーア族の女神様もきっと、地属性の魔導師だったんじゃないでしょうか。ですが魔法を使える人は、徐々にその数を減らしていったと伝承にはあります。皆さんの一族の中で、奇跡の力を使える人が途絶えたのも、それが理由だと私は考えています」


「もう止めてくれ!」


 マリーの話を悲鳴のような声が遮った。

 もう聞きたくないとばかりに両手で耳を塞いでいるのは、六十過ぎの男。リリーの大伯父にあたる爺様だ。


 マリーに悪意がないのは、嫌というほどに分かっている。

 だが今まで拠り所にしていたものを、唐突に奪われるのは恐怖でしかない。


「ですが……」


「アンタが儂らの主になりたくないのは分かった! だからもう、いいだろう!? そんな話を聞かせて、儂らを貶めたいのかね!?」


「ちがっ、違う! 大伯父様、違うわ!」


 否定したのはマリーではなかった。リリーは頭を振りながら、彼女らしからぬ大きな声で訴える。


「マリー様は、奇跡の力を失ったのは私達のせいではないって言ってるの。どうしようもない事だったんだって。私達の責任ではないから、もう縛られなくていいって……そう教えてくれているんです」


「リリー……お前」


 爺様は、困惑しながらリリーを見つめる。

 リリーに反抗されたのは初めてだろう。オレだって驚いている。この子が、こんな風に自分の思いを言葉にするのは初めて聞く。


「女神様が人間だって、尊敬する気持ちは変わらないわ。私達一族の誇りだって、胸を張って言える。大伯父様は違うの?」


「…………それは」


 爺様だけでなく、周囲の人間が気まずそうに俯いた。


「皆さんのお心を乱すような話をして、ごめんなさい」


 息苦しい沈黙が広がる中、マリーは静かな声で謝罪する。


「ですが、思い出したら言わずにはいられなかった」


「……何をです?」


 マリーの言葉に、リリーは首を傾げた。


「私は病に苦しむ人達を助けたくて、この国に来ました」


 ハッと、息を呑む音がした。

 爺様の、リリーの、皆の顔付きが変わる。


「私が助けを求めたいのは、奇跡の力を持つかもしれない一族ではなく、豊富な知識と確かな技術を持つ、薬師の皆さんなんです」


 オレは息をするのも忘れて、マリーの言葉に聞き入った。


「何も知らない部外者が、生意気だと思われるかもしれません。ですが皆さんは、女神様から授かった最も重要なものを立派に受け継いでいると私は思います」


 そうだ。

 オレ達が受け継いで次代に渡さなければならないのは、奇跡の力ではない。薬の調合法、知識、技術。

 それから、なにがなんでも患者を救うという熱意。


 女神が、先祖が、受け継いで研磨してきた薬師としての全てが、オレの誇り。


 疾うの昔に失われた力に縋っても、誰も救えやしない。あるかないか分からないものを当てにするなど、薬師失格。これまで己が救ってきた命に唾を吐くような行為ではないか。


「今、隣国のヴィント王国で病が広がりつつあります。私はそれを、なんとしても食い止めたい。そのためには、貴方達の力がどうしても必要なんです」


 マリーは深く頭を下げた。


「お願いします。どうか私に力を貸してください」


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