転生王女の決断。(2)
「……色々とお聞きしたい事はありますが、まずは頭を上げて下さい」
暫しの静寂を破ったのは、族長さんだった。
言われるがままにすると、真剣な顔つきの族長さんと目が合う。琥珀の如き瞳は鋭く、さきほどまでの余裕は消えていた。
きっとこれが彼の、薬師としての顔なんだろう。
「病人がいるのなら薬を売るのは当然です。貴方が仰っている事が真実ならば、私が渋る理由はございません」
「……証拠はありません」
真実ならば、と言われても証明出来るものはない。
情けない顔で告げると、族長さんは頭を振った。
「目に見える証拠を出せなどという無茶は言いません。現在分かっていることだけでも、教えて下さい。後はこちらで判断致します」
元より情報を渋るつもりはない。
私はカラスからの報告を、族長さんとヴォルフさんに説明した。
病の流行が確認されたのは、ヴィント王国の南西に位置する辺境の街グレンツェ。
高熱や倦怠感、頭痛など風邪に似た症状から始まり、一度は熱が下がるが、数日後に再び高熱が出る。熱冷ましなどを飲ませても効果がほとんどないらしい。以前、ユリウス様が教えて下さった船乗りの症状と酷似している。
つまり、探していた薬が効く可能性は高い。
「症状に心当たりがあります。実際に患者を見てみるまでは断言は出来ませんが、もしかしたら、お力になれるかもしれません」
淡々とした族長さんの言葉は、私に希望を与えるものだった。
「では、」
薬を売って頂けるのですかと続けようとしたが、遮るように突き出された族長の手に阻まれた。
「だが、その前に一つ確認したい事がございます。なぜ貴方は、この国にいらしたのですか? お忍びで観光、といった様子ではありませんが」
「……えっ」
思いもしない問いかけに、私は戸惑う。助けを求めるように、思わずヴォルフさんを見ると、彼は難しげな顔つきで私を見ていた。
「マリー。貴方、熱病の薬を探しに来たって、以前言っていたわよね」
「……はい」
頷いてから、ヴォルフさんが難しい顔をしている理由に思い当たった。
私はきっと、タイミングが良すぎたのだ。病が流行り始めたその時に、特効薬を作れるかもしれない薬師の傍にいるなんて、出来過ぎだろう。
薬欲しさに、嘘を吐いていると疑われても仕方がない。
そう気付いても、言い訳は一つも思い浮かばなかった。口下手な自分が酷く歯痒い。
唇を噛み締めて俯くと、王女殿下、と呼びかけられた。
「勘違いされているようですが、私は貴方が嘘を吐いているとは思っていません」
「そうね。マリーはそんな悪質な嘘を吐ける子じゃないわ」
ヴォルフさんは族長さんに同意を示し、私の背を軽く叩く。背を伸ばせと言われている気がした。
「それにアンタが言った病の症状は、適当に思いつくようなモンじゃない。流行っている場所にも信憑性があるしね」
「場所?」
「グレンツェの南西にある森は、今かなりの速度で切り開かれているでしょう。そういう場所では、病が流行りやすいのよ。暑い地域の森の奥には、薬師も知らない病が沢山潜んでいるの」
ヴォルフさんの説明を聞いて、前世の記憶が蘇る。専門知識はまるでないが、森林破壊と疫病の関係は、何度かテレビ番組で見た。
森林破壊によって住処を追われた野生動物と人間が接触する機会が増えて、今までは知られていなかった病が広がるようになったとか。生態系が崩れた結果、病を媒介する小動物や昆虫が増えてしまったとか。
「その点を踏まえても、アンタの話におかしな部分はない。ただ……話が上手く運びすぎているだけ。まるで、未来を見てきたみたいにね」
私は未来を見てきた訳ではない。ゲームの知識と現在は、大きな誤差が出始めている。持っている知識を参考にして、未来を予測しただけ。
でも、それでも充分チートだとは思う。すでに外れたとはいえ、未来の道筋を一つ知っていたからこそ立てられた予想なんだから。
「……」
真っ直ぐなヴォルフさんの視線を受け、私は無言で見つめ返した。動揺している事は、悟られてはいけない。
「王女殿下、貴方は不思議な力をお持ちなのではありませんか?」
今度は族長さんが問いかけてくる。
「いいえ、ただの偶然です。私は王女という身分を取り払ってしまえば特筆すべき点もない凡庸な人間です」
「謙遜も過ぎれば嫌味になりますよ。息子から、貴方は『海の雫』の発案者だと聞きました。船上での病人の処置も、素晴らしいものだったと」
それもこれもどれも、前世の知識があったからこそ出来た事だ。私自身は、本当にただの平凡な女子なんだってば。
だが前世の知識があるんです、なんて言える筈もない。そもそも、言っても信じてもらえるとは思えないけど。
「まさに、『女神』の名に相応しい」
「…………?」
族長が、強調するように区切って告げた言葉の意図が分からない。
疑問と同時に違和感を覚えた。短い滞在時間ながらも、この村の人達にとって『女神』という存在が大切なものだと分かっている。
たとえ別の存在だと理解していても、私のような余所者の小娘を、そう呼ぶこと自体が不自然だ。
訝しむ私の両肩に手が置かれた。手の主は見上げずとも分かる。
「まさか、この子を利用して皆を騙す気?」
低い声は、感情を無理やり押し殺しているかのように掠れていた。たぶん、声同様に……否、きっともっと凄みのある視線を受けても、族長さんはまるで揺らがない。
目元に皺を刻む琥珀の瞳には、静かな覚悟が宿っている気がした。
「余所者の王女様には従えなくとも女神になら従うだろうって、そういう腹なの!?」
「そうだ」
族長さんは、言い訳一つしなかった。
素直に認めるとは思っていなかったのか、ヴォルフさんの手が動揺を伝えるように跳ねる。その後、肩を掴む指に力が込められた。
「そんなの、誰も幸せになれないじゃない……っ」
「ならば、お前に策はあるのか?」
「っ、……」
噛み付いたヴォルフさんに、族長さんは冷静に返した。ヴォルフさんは言葉に詰まる。
「王女殿下は良い方だ。高貴な身分の女性とは思えぬほど、気さくで心優しい。時間をかければ、我らの良き主となって下さるだろう。だが、その肝心な時間がない。我が一族も残された時は、決して多くはないのだ」
身の丈に合わない高評価も気になるが、もっと引っかかる言葉があった。残された時間がないというのは、やはり私の予想が当たってしまっているんだろうか。
聞きたいが、口を挟めるような空気ではない。
「分かってるわよ! 時間がない事も、強行策でもとらなきゃ状況を打破出来ないこともね! だからってこれは違うでしょう。クーア族は偏屈な頑固者が多いけれど、大概のことは流せる優しさも持っている。でも女神は別よ。我らの誇りである女神の名を利用して騙したと知れたら、絶対に許さないわ。取り返しのつかない溝が出来る。この子に……我が主に、そんなものを背負わせることを、許すわけにはいかない」
最初は感情的だったヴォルフさんの声が、次第に落ち着きを取り戻す。真剣な声で告げられた『我が主』という言葉に、背筋が伸びた。私はまだ、彼に返事をしていない。寧ろクーア族の主になれないと言った時点で、拒否したと判断されても仕方ないと思っていた。でもヴォルフさんは、そんなことは関係ないとばかりに、迷いのない口調で言い切った。
「我が主、か」
ぽつりと、族長さんはヴォルフさんの言葉を繰り返す。
馬鹿にしているとか、そういう感じではなくて。まるで噛み締めるように。
「……なによ」
「お前は腹を決めたのだな」
族長さんの問いかけに、ヴォルフさんは虚を突かれたような顔つきになった。しかし動揺は直ぐ様消え去り、彼は真剣な顔で頷いた。
族長さんの顔が僅かに緩む。そうか、と呟いた声は思いの外優しかった。
「父上……」
「心配するな。責任は全て私が取る」
「え?」
予想外の話の流れに、思わず小さな声が出た。族長さんの視線が私へと向く。
「王女殿下。申し訳ありませんが、少しだけ茶番にお付き合い下さい」
「あの、それはどういう……?」
「貴方は、女神のフリをして下さればいい。説得力を持たせるために、不思議な力を使えるという設定にしたいのですが……なにか良い案はございますかな?」
全く話についていけてないにも関わらず、話は進んでいく。
「ええっ? 不思議な力、ですか……見せかけでよければ、ない事もないですが」
戸惑いながらも考えると、すぐに思い当たった。腰に下げた袋の中に、仕舞いっぱなしの存在を。
「それは重畳」
満足そうに頷く族長さんとは反対に、私の中には言い知れぬ不安が渦巻いていた。
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