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転生王女の決断。

 


 屋敷の一番奥にある部屋の前に辿り着くと、ヴォルフさんが手を伸ばすより一拍早く、扉が開く。

 予想通り、中から現れたのは族長さんだった。


「ご足労頂き、ありがとうございます」


 丁寧な挨拶とともに中に招き入れられ、少し戸惑いながらも後に続く。室内に足を踏み入れると、薬草独特の香りが鼻孔を掠めた。


 室内は物に溢れていた。

 細かく格子状に区切られた棚が三つ連なり、壁の一面を塞いでいる。一つの棚には小瓶が並び、一つの棚は丸めて紐で括られた紙が突っ込まれている。もう一つは引き出し状になっているため、中身は分からない。

 別面の壁には、種類は分からないが乾燥した植物が逆さに吊るされている。その下にある机には、古びた書物が端の方に積み重ねてあり、中央には薬研に似た道具が置いてあった。


「散らかっていて申し訳ない。どうぞ」


 族長さんは、端に避けてあった椅子を引き寄せて手の甲で埃を払う。座るよう勧められて、思わずヴォルフさんを見上げた。

 私の肩をそっと押して促したヴォルフさんは、椅子に座った私の斜め後ろに立つ。


「もう少し片付けておきなさいよ、クソ親父。可愛い女の子を招いていい部屋じゃないわ、これは」


「これでも少しは綺麗にしたんだ」


「努力の跡が微塵も見当たらないわね」


 二人共が眉間に皺を寄せて愛想の欠片もない顔付きだが、会話は気安い。声も言葉ほどには険がなく、纏う雰囲気も柔らかい。

 この村に来た初日の遣り取りしか知らない私は、もっと余所余所しい関係を想像していたが、族長と後継ぎという立場を取り払えば、彼等はごく普通の親子のようだ。


 ずっと緊張していた私だったが、肩の力を抜く。ほぅ、と小さく息を零すと、族長さんと目が合った。慌てて姿勢を正すと、目元に深く皺を刻んだ蜂蜜色の瞳が、僅かに細められる。笑ったのだと理解する前に、顰めっ面に戻ってしまったけれど。


「村での生活には慣れましたかな?」


 水差しを傾け、カップに注ぎながら族長さんは私に話しかけた。


「はい。あまり器用ではないので失敗も多いですが、リリーさんに手助けして頂いておりますので、なんとか」


「リリーは良い子でしょう」


「凄く」


 水の入ったカップを受け取りながら、私は力強く頷いた。

 リリーさんは物凄く良い子だ。表情は分かり難いけれど、とても優しくて真面目で、気遣いの出来る素敵な女性だと思う。


「あの子も貴方に懐いているようだから、これからも仲良くしてやって下さい」


 はい、と頷こうとして、私は躊躇した。

 仲良くしたくないのではない。そうではなくて、この言葉に頷くのは無責任だと気付いたから。


「……クソ親父。意地が悪いわよ」


 俯きかけた私の肩に手を置き、ヴォルフさんは低い声で呟いた。


「この子を試すのは止めて」


 見上げると、ヴォルフさんは族長さんを鋭い目で睨んでいる。相対する族長さんは焦る様子も見せず、盆の上に伏せられていたカップを手に取り、水を注いだ。緩慢な動作で飲み干してから、口を開く。


「お前が言うのか」


「……なによ、それ」


「お前のように捻くれた男が、簡単に人を信じるとは思えん。信頼出来る人物か、主に相応しい器か。そうやって自分勝手に設けた合格点に届くかどうか、その方を何度も試したはずだ」


 違うか。

 疑問形でもなく、そう突き付けられて、ヴォルフさんは唇を噛み締めた。悔しそうなヴォルフさんの様子を一瞥し、族長さんは嘆息する。


「……とはいえ、それは私の無作法が許される理由にはならんな」


 カップを置いた族長さんは、申し訳ないと私に頭を下げた。


「そんな」


 頭を振ってから、私は膝の上で手を握り締める。


「無作法は私も同じ……いいえ、もっと酷い。私は貴方がたに、もっと酷いことをしようとしています」


「酷い?」


 ヴォルフさんは戸惑いを含んだ声で、私の言葉を繰り返す。族長さんは何も言わず、真っ直ぐに私を見つめているだけだった。


「私は、クーア族の主にはなれません」


 ひゅ、と息を呑む音が隣から聞こえた。でも私はそちらを見ずに言葉を続けた。


「貴方がたの領域に土足で踏み入り、好き勝手にかき回した挙句に、立ち去ることしか出来ない。許して下さいとは口が裂けても言えない暴挙です。ですが、もう私はここには留まれません」


「…………理由をお聞きしても?」


 長い沈黙の後、族長さんは口を開いた。

 ふざけるなと激高するかと思いきや、彼は私の予想を裏切って、声を荒らげる事すらしない。問われた私の方が、動揺してしまいそうだ。


「理由というのは、『クーア族の主になれない事』でしょうか。それとも、『ここに留まれない事』の方ですか」


「どちらもですが、まずは前者の方を。私が言うのもおかしな話ですが、我が一族はそれなりに優秀な人材が揃っております。我らを配下に出来るならば、幾らでも金貨を積み上げようという王侯貴族は、少なくない。だが貴方にとって我々は、それ程の価値がないという事でしょうか?」


「いいえ。金貨を高く積み上げても得られない価値があると思っております」


 試すような瞳から目を逸らさず、私は告げた。


「私は、クーア族の主に『なりたくない』のではなく、『なれない』のです」


 族長さんは私の言葉を聞いて、虚を突かれたように目を瞠った。今まで動揺の欠片も拾えなかった表情が、僅かに崩れる。


「貴方がたを欲しいと願うなら、金貨も宝石も無意味でしょう。必要なのは誠意と理解と信頼関係を築くための長い時間です。ですが私はもう、一日だって貴方がたのために差し出せない」


「……それは、留まれない理由とやらが関係しているのですかな?」


「はい」


 族長さんの問いに、私は頷く。


「ヴィント王国南西部で、病の流行が確認されました。ヴィント王国全土に広がる前に、食い止めなければなりません」


 長閑な日常に浸っていた私の目を覚ました、カラスの一報。病の流行。私の恐れていたフラグの一つが立ってしまった。


 ならば私はもう迷う事すら許されない。

 誰も彼もを救いたいと駄々を捏ねて、ここで手足をばたつかせていたとしても、何も救えない。今、動かなきゃ、全部を取りこぼすだけだ。


「病……?」


 訝しむような族長の声に、ヴォルフさんの戸惑いを含む声が重なる。

 思えば私は、ヴォルフさんに何も説明していない。ヴォルフさんも秘密主義だけど、私だって大概だ。


 ごめんなさい。


 胸中で謝罪の言葉を呟きながらも、視線は前に固定したまま。

 謝るのも悔いるのも後だ。


「図々しい願いだと承知しております。ですがどうか、薬を売って下さい」


 私はそう言って、深く頭を下げた。


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