転生王女の逡巡。(2)
「このくらいで宜しいですか?」
リリーさんは、鍋の中身が私の方へ見えるように傾けながら問う。
覗き込むと、玉ねぎが美味しそうな飴色に輝いていた。
「うん、良い感じ。ありがとうございます」
「次は?」
「これを入れて、また炒めて下さい」
潰したニンニクと刻んだ生姜をリリーさんに手渡す。本当は摩り下ろしたかったんだけど、おろし金がなかったんだ。
炒める作業をリリーさんに任せ、私は香辛料の配分を考えていた。
使うのは唐辛子、ターメリック、クミン、コリアンダーの計四種。天日干しなどで乾燥させたものを貰い、砕いてパウダー状にしてある。
「クミンとコリアンダーを多めにして、レッドチリパウダーは少しにしよう」
「お前……本当にソレ、料理のつもりか?」
私の手元を覗き込んだロルフは、嫌そうに顔を顰めた。
私のしていることは、ロルフには完全に薬の調合に見えているらしい。
「美味しいかどうかは個人の好みだけど、食べられるものは出来る筈よ」
「どうだか」
憎まれ口を叩きながらも、ロルフはパンの材料を捏ねてくれている。
態度は悪いが、手伝ってくれるあたり、嫌な奴ではないんだよなぁ。
「その位でいいわ。あとは生地が馴染むまで放置ね」
ロルフからパン生地の入った器を受け取る。
ベーキングパウダーはないので、小麦粉、塩、水を混ぜ、油を少々加えただけのシンプルな無発酵パンの種だ。ナンというよりは、チャパティだね。
「お手伝い、ありがとう」
「気が向いただけだ。もうやらねえからな」
ふん、とロルフは鼻を鳴らす。そう言いつつも、彼が炊事を手伝ってくれた事は、今回が初めてではない。ロルフはツンデレ要素も持っているクソガキなのです。
「家事は覚えておいた方がいいよ。将来結婚した時に、手伝ってくれたら奥さんもきっと喜ぶわ」
「どうせ結婚なんて出来ねぇよ」
ロルフは濡れた布で汚れた手を拭きながら、さらりと言った。
私は目を丸くして、数度瞬く。ロルフの様子を見る限り、冗談で言っている訳ではないらしい。
「確かにロルフは無神経だけど、そんなに自分を卑下する事はないんじゃない?」
「そんな話はしてねぇよ。っていうか、お前がオレをどう思っているかは良く分かった」
ロルフは溜息を吐き出し、ギロリと私を睨む。
あれ。私、言わなくていい事言った感じだね?
「単純に、相手がいないだけだ。年齢的に釣り合う女は、ほぼ既婚者だからな」
「え?」
「マリー様、そろそろトマトを入れてもいいですか?」
呆気にとられている私に、リリーさんが問いかける。彼女が平然としているので、動揺している私の方がおかしいのかという気になった。
「はい、お願いします」
今ある情報を、頭の中で整理する。ロルフの言葉が真実ならば、リリーさんも既婚者なの?
「リリーは違うぞ」
じっとリリーさんを見つめていると、ロルフは私の思考を読んだように告げた。
「リリーは、ヴォルフ様の婚約者候補だ」
「リリーさんが!?」
私は驚愕して、思わず大きな声を出してしまった。
だって、年齢的な釣り合いがどうのとか言わなかった? ヴォルフさんとリリーさんって何歳差だ。ヴォルフさんは二十代後半で、リリーさんは十二、三くらいじゃないの?
十五歳くらい違うんじゃ…………いや、良い年齢差だ。うん、適齢。これ以上ないくらいベストな年齢差だね!
「十歳差くらい、許容範囲だろ。リリーを女として見るのは今のところ難しいだろうが、次期族長が未婚って訳にはいかないし、仕方ない」
「煩いわ、ロルフ」
「へいへい。悪かったな」
進んでいく会話に、私は待ったをかけたくなった。ちょっと思考が追いつかない。
「十歳差?」
聞きたい事は色々あるが、まずは一番引っかかった事を問う。
するとリリーさんは、不思議そうに小首を傾げた。
「ヴォルフ様が二十七歳でいらっしゃるので、正しくは十一歳差ですね。私はついこの前、十六になったばかりですので」
じゅうろく!?
リリーさんが!?
私より細くて小柄で可愛らしいのに、まさかの年上という事実に私は動揺した。声に出してしまわなかったのは、幸いだったと思う。身体的な成長の話題は、デリケートなものだ。私だって、いつまでたっても色気が出ないとか、真っ平らなままですねとか言われたらキレるし。
もしかして、クーア族は年齢の数え方が違うんだろうか。
でも、ヴォルフさんは年相応だし。
私の頭の中はゴチャゴチャだった。
リリーさんの年齢の事もだが、ロルフに釣り合う年齢の女の子がいないってどういう事だろう。十歳差が許容範囲だと言い切るなら、幼子も含めて、この村にはリリーさん以外の女の子がいないの?
確かに子供の姿をあまり見かけないけれど、それは単に私を警戒して家から出てこないだけかと思っていた。私がいない時は、外に出ているんだろう、不自由な思いをさせて申し訳ないなぁ、とそんな的外れな事を考えていたのに。
『ゆるやかに滅びていくのを待つなんて絶対に嫌だわ』
ヴォルフさんの言葉が、ふいに蘇る。
ざわりと、背筋を冷たいものが這う感覚がした。
子供が生まれないのか。それとも、育たないのか。
それは、どうして?
自然環境は、平地ほど楽ではないだろう。でもフランメ自体が暑い国なので、雪は降らない。かといって暑すぎもせず、涼しいくらい。水源もちゃんと確保されている。
外敵の可能性は?
私は短い期間しか過ごしていないが、大型の獣は見ていない。罠をしかけてはいるようだが、作物を荒らされないためであって、自衛用ではないみたいだし。
盗賊が村に辿り着かないとは言い切れないが、可能性は低いだろう。道中にある森は、案内なしに抜けるのは至難の業だ。
奇異の目を私に向けてる辺りで、余所者がこの村に立ち入るのは相当珍しい事態なんじゃないかと推測出来る。
「……ん?」
何かに引っかかった私は、首を傾げる。
余所者が珍しい、という事は、この村では殆どが村人同士で結婚しているって事だよね。
ヴォルフさんの嫁候補だと勘違いされた時にも、外国の血を混ぜるなんてと言われた気がするし。外見の色彩的な特徴も、濃淡の差はあれどほぼ一緒だし。
……でも、ちょっと待って。
クーア族が何人いるかは知らないけれど、千人万人いる訳ではない事は分かる。
それを組み合わせていったら、だんだん血が濃くなってしまわないかな? 殆どが血縁者になるんじゃないの?
近親婚、という言葉が思い浮かぶ。
日本の法律では三親等内の婚姻は禁止されていたが、世界的には、いとこ婚も禁じている国は多かった。
倫理的な問題もあるが、遺伝子的な問題が大きかったはず。
聞きかじった程度の知識だけど、確か、潜性遺伝子が顕現しやすくなるんだったと思う。有利な遺伝子ならば問題ないけれど、先天性の病気や障害が顕在化してしまう場合だってある。
「…………」
俯いて黙り込んだ私の頬を、汗が伝い落ちる。
もし私の予想が当たっているのなら、ヴォルフさんが強硬手段に出た理由も納得出来る。だとしても、だ。
これは、私のような小娘が介入してもいい問題だろうか。
抱え込むには、重すぎる。
情けない私は、胸中でそう呟いた。
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