転生王女の逡巡。
よたよた、よたよた。
ふらふら、ふらふら。
水の入った木桶を両手に持った私は、無様な足取りで道を進む。
「こ、こぼれるぅっ……!」
右手に力を込めて持ち上げれば左手が疎かになり、左手を気にすれば逆もまた然り。深酒をしたサラリーマンのような状態で歩く私の後ろには、点々と水玉模様の道が築かれていた。木桶一杯にくんだ筈の水は、既に六分目くらいまで減っている。
本当、私、役立たず過ぎじゃないかな!?
「ですから、桶は一つにした方が良いと言いましたのに」
前を歩くリリーさんが肩越しに振り返る。呆れ顔で彼女は、溜息を吐き出した。
肩に天秤棒を担いだ彼女は、軽い足取りで私の方へと戻ってくる。棒の端から吊り下がる桶には、水がたっぷり入っているのに、重さを全く感じさせない動きだ。
細身で小柄なリリーさんの何処に、そんな力があるのかと不思議だが、単純に経験値の差なんだろう。
ちなみに私は天秤棒が扱えなかったので、普通に手で桶を持っている。
「ほら、桶を置いて下さい。少し休憩しましょう」
無表情で口調も淡々としているが、私を心配して気遣ってくれていると分かる。行動を共にするようになって数日で、リリーさんがとても優しい人だと気付いた。
私は彼女の厚意に甘え、桶を地面に下ろす。
ジンと痺れた手を、握り込んでからゆっくり開く。掌は真っ赤に染まっていた。
「いたい……」
「王女様が、水汲みなんてするからです」
「だって、他の事はもっと出来ないですし……」
私の扱いは、クーア族の客人という事になった。
王女である私をずっと閉じ込めている訳にはいかないし、もちろん暫定的な決定だ。基本、部屋で大人しくしていれば何もしなくていいし、監視付ならば村の中も自由に歩いていいという、なんとも寛大な措置。
でも、あまりにも寛大すぎて、私には居心地が悪かった。
手伝いをさせて欲しいとお願いしたら、族長はアッサリと了承してくれたのだが、リリーさんを含む多くの村人は渋った。余所者がふらふらと歩き回るだけでも嫌なのに、手伝いなんて論外だと訴えたらしいが、人の良い彼等は結局許してくれている。それどころか、嫌そうな顔をしながらも助言してくれたり、手伝ってくれたりもする。たぶん、根が善良な人達なんだろう。
「逆です。貴方は力仕事が一番向いてませんよ」
「そうだな。お姫様は室内で大人しくしてりゃあいい」
背後から声がかけられたかと思うと、水の入った桶に誰かが手をかけた。
体格の良い四十過ぎの男性は、軽々と桶を持ち上げて歩き出してしまう。
「あ、あの!? わたし、持ちますのでっ!」
「アンタに任せていたら日が暮れる」
スタスタと歩く男性の後ろを追いかけて訴えるが、一蹴された。
「そうかもしれませんが! でも」
「邪魔だぞ、のろま」
「うぎゃっ!?」
小さな影が横を通り抜けると同時に思いっきり、スカートを捲り上げられた。潰れた蛙みたいな無様な声をあげて、慌ててスカートの裾を押さえる。ギッと睨むと、想像通り生意気な顔をした少年が、楽しげに笑っていた。
「何をするのよ!!」
「お前の服、ひらひらして邪魔くさいんだよ。通るのに邪魔だから払っただけだ」
真っ赤な顔で抗議するが、鼻で笑われて終わった。
この糞ガキー!!
「失礼な事をしないで、ロルフ」
「へいへい」
リリーさんが窘めるが、糞ガキ改めロルフは、聞く耳を持たない。
遠巻きに眺める村人が多いなか、構ってくれるだけでも感謝しなければいけないのかもしれない。が、無理だ。
というか、周りにいなかったタイプなので苦手意識すらある。
私の周囲にいた男の子は、基本紳士だった。
貴族の生まれであるゲオルクやミハイルだけでなく、市井で育ったルッツやテオにも、こんな扱いをされた事はない。
ある意味、私が今までに会った中で一番『男の子』っぽい子だ。
短く切り揃えた固そうなアッシュグレーの髪に、蜂蜜色のアーモンドアイズ、それに褐色の肌と、色彩はクーア族独特のソレだ。
顔立ちは美形と言い表すには、野性味が強すぎる。小柄だが、腕や首筋を見ているとしっかり筋肉がついていて逞しい。野犬を連想させるような外見は、ヴォルフさんに少し似ていた。
鋭い目つきの彼は、私を見て片眉を跳ね上げる。
「なにジロジロ見てんだよ、ブス」
「……なんでもないわよ」
前言撤回。似てない。全然似てない。
ヴォルフさんは時折厳しい人だけど、女性を貶めるような言葉は使わない人だ。こんな糞ガキと一緒にしては申し訳ない。
「マリー様。行きましょう」
「はい」
リリーさんに促されて、私は彼女の後に続いた。ロルフもついてきたが無視だ。
途中、細長い石の前に差し掛かると、リリーさんは足を止める。天秤棒を下ろし、膝をつく。祈りを捧げるように胸の前で手を組み、目を伏せた。
ロルフも当然のように同じ動作をする。形だけ真似をする気にはなれなくて、私は、ぼんやり佇んだまま、石を眺めていた。
細長い石と表現したが、元は石像だったらしい。
風雨に晒され続け、削れて原型を留めていないが、辛うじて人の形をしている。初日にリリーさんが案内してくれた際、女神像だと教えてくれた。
クーア族の始祖たる女性で、奇跡の力を持っていたそうだ。
その女性が望めば雨が降り、歌えば花が咲き乱れる。草木を一瞬で成長させ、一撫でで怪我や病気を治す。そんな多くの伝説を持つ女性を、クーア族は女神と呼び、信仰している。
「お待たせしました」
祈りを終えたリリーさんは立ち上がる。ちなみに、彼女が私に祈りを強制した事は一度もない。
「今日の食事も、お前がつくるのか?」
「そうよ」
ロルフの言葉に頷く。
力仕事ではてんで使い物にならない私だが、炊事ならほんの少しは手伝える。最初に申し出た時は、当たり前だが断られた。知らない人間の作ったものを食べる抵抗感と、王女に炊事なんて出来るはずがないという思い込み故だ。しつこくお願いして、一度だけという約束で作らせてもらえたのは、失敗すれば懲りるだろうという諦観まじりの妥協だったのだろう。
だが予想外にも食べられるものが出来たので、それからは度々、炊事を任せてもらえるようになった。
「本日は、何をつくるのですか?」
「香辛料を分けてもらえたから、少し変わったものを作りたいと思っているんだ」
この村では野菜と薬草だけでなく、香辛料も育てている。香辛料の多くは薬としても使えるからだろう。
種類は驚くほどに豊富で、ユリウス様の伝手を使っても手に入らなかった物もあった。
クミンやコリアンダーは隣国ヴィントでも流通していると知っていたけれど、まさか唐辛子やウコンに巡り会えるとは。
これで念願の、アレが作れる。
「リリーさんは、辛いものは大丈夫ですか?」
「はい。どちらかというと好きな方です」
「オレも」
「貴方には聞いてない」
気安い会話をしながら歩いていると、バサリ、と鳥の羽音が聞こえた。
頭上を飛んでいった鳥の黒い羽が、眼前を舞う。
『目的、忘れてませんかね?』
皮肉げに笑う男の顔が、脳裏を過ぎった。
手を伸ばして、羽を掴み取る。
「……忘れてないわよ」
俯いた私は、小さな声で呟く。
何かいいましたか、と覗き込んできたリリーさんに、なんでもないと苦笑を返した。
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