第二王子の視察。(4)
※引き続きヨハン視点です。
「では、道中お気をつけて」
「ありがとう。お父上にお会い出来なかったのは残念だが、宜しくお伝えしてくれ」
短い挨拶を終え、リヒト王子が馬車へと乗り込む。
結局、僕等はハインツ様に一度もお会い出来ないまま、帰途につく。お見舞いをしたいと何度も申し出たのだが、遠回しに却下された。弱った姿を皆様に見られたくはないだろう、と言われてしまえば食い下がる事も難しい。情に訴える手を使うあたり、実に小賢しいなと忌々しく思う。
「王都は恋しいけれど、いざ帰るとなると名残惜しいね」
馬車の中、グレンツェのある方角へ視線を向けながら、リヒト王子はしみじみと呟いた。
帰りも馬に乗ろうとしていたが、やんわりとナハトに止められて、大人しく馬車へと乗り込んだ。基本、人の話を聞かない人だが、ナハトの話は割りと聞く。それでも五分くらいの確率だが。
「この先にある街で、一度休憩するのだろう? 少し買い物をしてもいいかな? お土産をもう少し見たい」
「いいえ。休憩と食事を終えたら、すぐに出立して頂きます」
「どうして?」
「兄上には、フィリップの注意を引き付けて欲しいのです」
「フィリップ殿の? ……ナハト。言っている意味が、良く分からないよ」
戸惑うリヒト王子に、ナハトは説明をした。
といっても、要点だけを簡潔に、だ。細かく説明したところで、リヒト王子が混乱する事は目に見えている。
熱病は終息しておらず、病人をどこかに隔離している可能性がある事。フィリップがそれを隠蔽していると疑っている事。それから、僕等の行動は見張られているかもしれないという事を。
話し終えると、リヒト王子は難しげな顔で黙り込んだ。
珍しくも眉間に皺を刻み、腕組みをした彼は、暫しの沈黙の後に口を開いた。
「……えーと。ナハトは、フィリップ殿が悪い事をしているって言いたいのかな?」
「まぁ、大雑把に言ってしまえば、そういう事です」
「で、病人がどこかにいるかもしれないから、探しに行きたいと?」
分かってくれたようだと、僕とナハトは安堵した。幼子のような言い回しだが、そんなのは瑣末な事だ。一度で理解してくれた奇跡を喜ぼう。
「ナハトが?」
「はい」
躊躇いなく頷いたナハトに、リヒト王子の顔付きが険しくなった。初めて見る真剣な表情で、彼は否と首を振った。
「それは駄目だ」
目を丸くする僕とは対照的に、ナハトは苦々しく顔を歪める。多少なりとも、予測していたからこその反応に見えた。
「そんな事をしなくても、フィリップ殿に問いただせばいい。なんなら命令して、調べたいところを調べよう。私達には、その権限がある」
「兄上。私達の考えは、あくまで想像の域でしかないのです。証拠もないまま罪を問い、権限を振りかざせば、民はどう思うでしょうか。西方一帯に強い影響力を持つギーアスター家と、理由もなく対立してはならない。それが許されるのは、民の目にも明らかな形で罪状が確定した時のみだ。それに私達が不用意な行動をとれば、最悪な事態を招きかねない」
「……最悪な事態?」
ナハトが言葉を濁したため、リヒト王子には伝わらなかった。
真っ直ぐな気質の兄には、言い難かったのだろう。フィリップが証拠隠滅のために、病人をまとめて葬り去ってしまう恐れがあるなどとは。
「……とにかく、フィリップに気取られるような行動は慎むべきです」
「だとしても! ナハトが行く必要なんてない」
確かに王子殿下自ら、調査に行くなんて有り得ない事態だ。本来ならば、騎士団に依頼すべき任務。しかし今回は、正当な手順を踏んでいる暇もない上に、派遣する人員にも厳しい条件がつく。早急に対応する必要があり、且つ、罪状が確定していないからこその特例措置。
「近衛騎士に少数で調査させたとして、仮に証拠を掴んだとしても、握りつぶされれば終わりです。最悪、口封じをされかねない。その点、見つけたのが私ならば簡単にはもみ消せないでしょう」
「危険がないとは言い切れないだろう!?」
「確かにゼロではありません。ですが身分を考えれば、騎士に行かせるよりはずっと、私のほうが生存率は高い」
「病に罹ったらどうするんだ!」
「そうなったら、薬を探しますよ。元より、病人を治すために行くのですから」
「ナハト!」
言い返しても、軽く言い負かされてしまう事に、リヒト王子は苛立っていた。なんとかして止めようとしているが、ナハトは頑として聞かない。いつもと立場が逆転している。僕はそんな二人の様子を、唖然として見守る他ない。
仲が悪いと感じた事はなかったが、ここまでリヒト王子がナハトを心配するとも思っていなかった。
「……なら私が行く」
「駄目に決まっているでしょう。貴方はこの国の王になる人だ」
沈痛な面持ちで告げたリヒト王子の言葉を、ナハトは呆れ顔で一蹴する。
しかしリヒト王子は引き下がらなかった。
「ヴィント王国に必要なのはお前だよ、ナハト。私じゃない」
「なにを言い出すんですか」
「父上だって、お前が王になる事をお望みだ。私も王になったお前を、近衛騎士団長になって護る事を夢見ていた。なのに、お前が嫌だって言ったんじゃないか。自分はそんな器ではない、私の方が向いているって、お前が押し付けたんじゃないか」
これ、僕が聞いていいやつか?
泣きそうな顔をしたリヒト王子と、渋面を作ったナハトを交互に見比べながら、僕は冷や汗をかいていた。
「事実です。王は国家の代表であり象徴でもある。私のような陰鬱な男より、光の象徴のような貴方が相応しい」
「見目が多少良くとも、政務には何の役にもたたない。お前が傍で支えてくれなければ、ヴィント王国は私の代で滅ぶよ」
この王子様は、僕が思うほど馬鹿ではないのかもしれない。客観的に、自分を見ることが出来ているのだから。
今回の場合に限り、論理的でないのは、どちらかといえばナハトの方だ。端正な容姿や陽気さなどなくとも、王になれる。寧ろ必要な要素は、ナハトの方が持っている。僕が思うに、ナハトは単にやりたくないだけだ。目立つ事がとても嫌いな彼は、面倒事を兄に押し付けたのだろう。
兄の奔放さに振り回されて苦労している姿を見てきた僕は、ナハトに同情的であったのだが、どうやら認識を改めた方がいいかもしれない。
ナハトの我侭の方が、質が悪い。
じとり、とナハトに責める視線を向ける。
「なんだ、その目は」
「いえ。まさかそんな背景があるとは知らなかったので。ちょっとリヒトに同情していました」
「し、しかたないだろう! 健康な第一王子がいるのに、押し退けて第二王子が即位するなど、国家を混乱させかねない。下手したら二つの派閥が出来て、国が割れる。私は、そういう危機を回避するためにもだな……」
「面倒だっただけでは」
即座に突っ込むと、ナハトはグッと言葉に詰まる。どうやら図星だったらしい。
「ナハト……」
リヒト王子は、眉を八の字に下げてナハトを見る。まるで捨てられた子犬のような目に、ナハトは罪悪感を刺激されている様子だった。
長い溜息を吐き出した彼は、リヒトの手を両手で握った。宥めるように、軽く叩く。
「必ず、生きて帰ります。お約束します」
真っ直ぐに目を見て告げたナハトの言葉に、リヒト王子は長い沈黙の後、小さく頷いた。
それから休憩のために立ち寄った街で、僕とナハトは給仕の少年らと入れ替わった。しおれた様子のリヒト王子は、ナハトと離れ難いのか、中々出立しようとはしなかったが、ユリア王女が馬車へと誘導してくれた。
無事に王子一行の馬車が街を出たのを見届けてから、僕とナハトは顔を見合わせる。
「さて。これからどうするか」
「馬と食料は用意してあるので……あとは、護衛ですかね」
馬の手綱を引きながら街中を歩く。
グレンツェを出る前に、予め入れ替わる人間や、馬や荷の手配は出来た。だが急拵えでは、護衛の手配までは至らなかった。近衛騎士を一人でも残せば、怪しまれる。かといって、現地の人間をどこまで信用していいか分からない。
「護衛か、確かに必要だな。君だけならばともかく、私は非常に弱い。襲われたら一撃で死ぬ。……だが、そう簡単に見つかるものか?」
「酒場に行けば、傭兵の一人や二人、いそうですが……」
錆びた看板を眺めながら、僕は言葉を区切る。
「条件に合う人間を探すのは、難しそうですね」
口が堅く秘密が守れる。
ギーアスター家の息がかかっていない、出来れば余所者。
こちらの事情に無関心で、言われた任務だけ熟す。
病の危険性を承知して、手を貸してくれる。
そんな人間が、果たして一朝一夕で見つかるものか。
「そんな都合良く、いるわけないんだよなぁ……」
「珍しく、弱気でいらっしゃる」
「っ!?」
弱音をこぼすと同時に話しかけられ、僕は反射的に距離を取る。乱暴に手綱を引かれた馬が、驚いて嘶いた。
背後にいたのは、背の高い……、声からして、おそらく若い男だ。外套を被っているので、顔は見えない。僕が驚かせた馬の腹を、宥めるように撫でている。
フィリップの手の者かとも思ったが、それにしては様子がおかしい。
だが、僕をヨハン・フォン・ヴェルファルトと認識して話しかけたのだとしたら、後をつけてきたという事。
一体、なんの目的で。
混乱する僕の前で男は、外套の頭に被る部分を、指で摘んで軽く持ち上げた。隠れていた顔が、僅かに覗く。
「……!?」
訝しんだのは、一瞬。
目の前の男が誰なのか理解した僕は、大きく目を見開いた。
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