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第二王子の視察。(2)

 ※引き続き、ヨハン視点です。



 まずは、街の様子を知りたい。出来れば、街の人達の話も聞きたい。


 しかし、僕等に自由は殆どなかった。安全のためにと屋敷に閉じ込められ、常に周囲に貼り付かれている状態だ。庭に出るだけでも、護衛が付く。ヴィント王国の近衛兵が僕等の傍にはいるというのに、わざわざ辺境伯子息の私兵が、だ。監視されていると考えるのは、穿ち過ぎだろうか。


 多少の危険性はあるが、夜中に抜け出す事も考えた。だが実行する前に、思わぬ好機が訪れる。南西の森の視察が、予定より早まったのだ。

 フィリップが街を離れる。この機会を逃す手はない。


 僕はリヒト王子らと、別行動すると申し出た。

 旅の疲れが出た、という表向きの理由をあげ、面倒な公務に参加するくらいなら遊びたいという、裏の顔を演じる。

 怠け者な放蕩王子だと認識されているようで、あっさり信じてもらえた。

 フィリップが傍にいる時に、『あの侍女の子が可愛い』とか、『会議なんて面倒臭い』なんて馬鹿丸出しの独り言を呟いていた甲斐があったというものだ。


 ヒラヒラと手を振り笑顔で見送る僕を、ナハトが何か言いたげな目で見ていたが、気づかないフリをした。後で追求されるだろうが、情報を渡せば機嫌は治るだろう。

 賢い王子として、頑張ってフィリップの注意を引き付けておいてくれ。

 僕は馬鹿王子として、情報収集に勤しむから。


「お腹すいちゃったな」


 屋敷に帰る途中、独り言を洩らす。


「あ、では、屋敷に戻りましたらお食事を用意させますね」


 フィリップが僕につけた侍従は、少しぎこちない笑みを浮かべて応えた。

 名前はティモ。年は十三、四。柔らかそうな茶色のくせ毛に、目尻の下がった同色の瞳。薄いそばかすが特徴の、気弱そうな細身の少年だ。


「わざわざ用意してくれなくてもいいよ。軽く食べて帰ろう」


「えっ? で、ですが」


 ティモは、僕の提案に焦った様子を見せた。おそらくフィリップに、屋敷に閉じ込めておけと命じられているのだろう。


「さっきから良い匂いがするんだよね。屋台で肉でも焼いているのかな?」


「ええ、羊肉の串焼きが名物なんです。……でも、王子殿下の召し上がるようなものでは!」


「ああ、セリ科の植物の種を香辛料として使うんだっけ? 色んな種類の香辛料を混ぜるって聞いたけど、本当?」


「はい! 店ごとに配合が違うので、美味しい店を探すのが醍醐味でして……お詳しいですね」


 ティモは目を輝かせて語った後、我に返ったらしい。顔を赤く染めて、気まずそうに頬を掻いた。


「知り合いの商人に教えてもらったんだ。せっかくの旅なんだから、美味しいものを食べて楽しみたいじゃないか」


 享楽的な放蕩王子らしい言葉に、ティモは、なるほどと納得してくれた。

 まぁ本当は、何度も来た事があるからだけど。ついでに名物を教えてくれたのは、君達の主人であるハインツ様だけどね。


「人目の少ないところで、馬車を止めてくれ」


 ヴィント王国の近衛兵は、すぐに是と頷き、御者に伝えてくれた。

 馬車を降りようとする僕を、ティモが困惑した顔で見る。必死に止めようとしているらしいが、言葉が見つからないのだろう。


「少しくらい寄り道しても大丈夫だろう?」


「こ、困ります! それに、その、目立ちますし……」


「そういえば、そうだな」


 自分の格好を見下ろして、頷く。白のブラウスやブーツはともかく、ボタン留めのジレとキュロットは、オリーブ色の上質な布で仕立てられている。施された刺繍は派手でこそないが、複雑で緻密。腕の良い職人の作だと、ひと目で分かる。


「ジレを脱げば、多少はマシになるかな」


 言うなりボタンを外し、ジレを脱ぎ始めた僕を、ティモは信じられないものを見るような目で見た。構わず、クラヴァットを取り払い、襟元を寛げる。


「殿下、こちらをどうぞ」


 近衛兵が差し出したのは、褐色の外套だ。

 随分と気が利く。というか、普通は止める立場じゃないだろうか。疑問の目を向けるが、近衛兵は気にした素振りもなく、己の鎧を取り外し始めた。どうやら、軽装になってついて来る気らしい。

 もしかして、ナハトが予め取り計らってくれているのか。なんて頼りになる友だろう。


 準備万端な僕達に、ティモは止める事を諦めた。内緒ですよ、と涙目で言う彼には申し訳ないが、それこそ思う壺というものだ。秘密にして欲しいのは寧ろ、こちらの方なのだから。


「美味しい店はどこかな。オススメってあるかい?」


「はぁ。この先の通りにあります」


「じゃあ、そこに行こうか」


「……目抜き通りは人が多いので、逸れないで下さいね」


 肩を落とし、溜息を吐き出したティモの言葉に、僕はにこやかな顔で頷く。

 彼の後ろを歩きながら、僕はさり気なく周囲を窺った。


 レンガ造りの建物が立ち並び、その奥に街を取り囲む高い塀が見える。景色は、以前来た頃と全く変わらない。忙しなく通り過ぎる人々も、一見しておかしな様子はない。ただ、髪や肌の色が違う人の割合が、かなり増えた気がする。交易が盛んになり、国外からも人が集まっているのだろう。


 そういえば、南西の森には黒い肌の部族が暮らしていると本で読んだ事がある。

 森林伐採の弊害で、住む場所を奪われていないかと懸念していたが、彼等も街へと出て暮らしているんだろうか。今のところ、この街では見かけていないが。


「あそこの店です」


 ティモが指差す先に、行列が出来ている。随分な人気店のようだ。


「僕が買ってきますので、少しお待ち下さい」


 ティモはそう言って駆け出す。一度だけ振り返り、絶対にここから動かないようにと釘を刺してから、彼は行列に並んだ。

 近衛騎士と共に道の端に寄り、大人しく待つ。


 家の壁に寄り掛かった僕の耳に、子供の声が届いた。見上げると、開いた二階の窓から聞こえて来るらしい。遊びに行きたいと強請る女の子と、咎める母の攻防戦だ。微笑ましいなと、思わず笑みが浮かんだ。

 しかし母の叱る声が、大きくなるにつれ、笑ってはいられなくなる。子供の我侭を窘めているだけなのに、その声は必死だった。まるで、懇願しているかのようですらあった。


「……?」


 僕は首を傾げる。

 何故、そんなに必死になって止めるんだろう。夜ならば心配する気持ちも分かる。だが今は、昼前だ。軍人達は荒っぽいが、子供を乱暴に扱うようなクズはいないだろう。ハインツ様は、そういう輩を嫌う。


 ならば、理由はなんだ。

 そう考えた時、一番先に頭に浮かんだのは流行病だった。


 病は、子供や老人に移ると重症化しやすい。

 もう一度周囲を見回してみる。通りには人が大勢いたが、子供や老人の姿はない。女性の数も少なく、溢れているのは商人ばかり。


「……そうか」


 顎に手をあてて考え込んでいた僕は、ある事に思い至った。

 外国人の数が多いのは勿論だが、それだけではない。街の人間の数が少ないから、余計にそう見えるんだ。

 グレンツェの人達の多くは、明るい茶の髪と瞳に、象牙色の肌を持つ。ヴィント国では見慣れた色彩だが、この大通りを見渡しても、占める割合はせいぜい半数だ。


 残りの街の住人は、何処へ行ったんだろう?

 背後の家の二階にいる親子のように、家の中に閉じ籠もっているのか。それとも。


「別の場所か」


「お待たせ致しました!」


 呟いたのとほぼ同時に、ティモが戻って来た。


「おかえり。一人で並ばせて悪かったね」


「いいえ。よく並ぶので、苦になりません。それよりも熱いうちにどうぞ!」


 串に刺さった羊肉を手渡される。

 焼けた肉と香辛料のにおいが、鼻孔を擽った。


「あ、立ったままはまずいか……どこか座る場所をご用意しますね」


「いいよ。串焼きを行儀よく食べるなんて、逆に間抜けだろ?」


 郷に入っては郷に従え。躊躇いなく齧り付くと、ティモは呆気にとられていた。

 口に入れた途端、独特のにおいが鼻に抜ける。噛みしめれば、牛とも豚とも違う味が口の中に広がった。相変わらずクセが強い。だが、それが美味い。


「お味はどうですか?」


「うん、美味しいよ。ここの肉は柔らかいね」


 呑み込んでから答えるとティモは、安堵したように、ふにゃりと笑った。羊肉も香辛料もクセが強いので、好き嫌いがハッキリ別れる。僕の口に合わないかもと心配してくれていたんだろう。でも、ごめんね。実は、何度も食べた事があるんだ。


「若い羊を使っているそうですよ。年を取った羊の肉は臭みが増すので、街の住人でも苦手な人はいます」


「そうなんだ」


 アレはアレで美味いと思うけど。

 心の中で呟きつつも、しれっと返す。


 酒場で飲んだくれていた軍人達も、この臭みが良いと言いながら食べていたし、好きな人は好きなんだろう。

 そこまで考えて、もう一つ、気になる事が出来た。


 辺境伯の屋敷でも、街でも、僕は一度も顔見知りに会っていない。


 この街での僕の知り合いといえば、ハインツ様の部下ばかりで、数は決して多くはない。

 街の中を出歩いたのは今日が初めてだし、会えないのも当たり前かもしれないが……屋敷を護る兵士の中に、一人も顔見知りがいないのも不自然ではないか?


 まさか全員、フィリップの私兵?

 だとしたら、ハインツ様の部下は何処にいる?


「食べ終わったら、お屋敷に戻りましょう」


「ああ、うん……」


 ティモに促された僕は、上の空で返事をした。


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