転生王女の焦燥。(2)
ヴォルフさんの発言は、大きな波紋を呼んだ。
私は半ば投げやりな気持ちで、そりゃそうだと胸中で呟く。
外界とは最小限の関わりしか持たず、交流は基本、同じ部族の人間だけ。そんな狭いコミュニティで生きてきた人達にとって、私という余所者の存在は異物でしかない。それが、次期族長の嫁候補としてだって受け入れられないのに、まさか、主人なんて。想像もしていなかっただろう。
上を下への大騒ぎというか、阿鼻叫喚というか。収拾のつかない事態となり、取り敢えず、その場は解散の流れとなった。
もちろん、私の身柄は拘束されるだろうけど。
私はヴォルフさんとは引き離され、族長の家へと案内された。
通された部屋の広さは八畳くらい。壁は石造りで、小さい窓が高い位置に一つ。家具は、簡素なテーブルと椅子、それにベッド。行李に似た収納箱が一つ。
普通の部屋だ。牢屋じゃない。
「こちらの部屋を使って下さい」
族長自ら案内してくれたのだから、手違いという可能性はないだろうけど、疑問は消えない。
私を牢屋に入れなくていいんだろうか。
「あの……本当に、ここでいいんですか?」
戸惑う私と相対する族長は、顰めっ面で溜息を吐き出した。
「大国の王女殿下を、牢屋になど入れられないでしょう。ですが、それは長として、一族を護る義務があるからこその決定です。貴方を歓迎している訳ではない事はご理解頂きたい」
「はい」
鋭い眼光に晒された私は、背筋を伸ばして返事をする。
「世話をする人間を一人つけますので、分からない事があったら、その者に訊ねて下さい。おいで、リリー」
振り返った族長が呼びかけると、小柄な少女が入ってきた。
年はおそらく、私と同じくらいか、少し下。肩口で切り揃えたクセのない髪は、濃いグレー。少し目尻が上がった一重の目は蜂蜜色。肌は小麦色だが、かなり細身なせいか健康的には見えない。
表情の変化が少なく、和装に少し似た民族衣装のせいもあって、日本人形のような印象を受ける。もちろん、色彩は全然違うけれど。
族長はリリーさんにいくつか指示を出した後、退室した。私はどうしたらいいか分からず、立ち尽くしたまま。リリーさんは戸口近くで直立不動。室内に気まずい沈黙が落ちた。
「あの……リリーさん?」
「はい」
恐る恐る声をかけると、リリーさんは私の方を向いた。能面の如き無表情は、迫力がある。気圧されながらも、私は会話を続ける。
「ヴォルフさんは、どこに?」
「牢屋です」
リリーさんは、抑揚のない声で淡々と言った。
「牢屋!?」
別の部屋にいるのかと思いきや、まさかの牢屋。
驚きはしたものの、彼のした事を思えば仕方ないのかもしれない。独断で余所者を連れ込み、しかも主候補だと言い出す。この時点で、何個も掟を破ってそうだし。
「その、会えたりは……」
無言で頭を振られ、私は項垂れた。ですよねー。
所在なく佇んでいたが、落ち着かないので、ベッドの端に腰掛ける。ちらりとリリーさんを見るが、相変わらずの直立不動だ。出来れば、色々お話しして情報収集したいが、答えてくれるだろうか?
「御用がないのでしたら、下がらせていただきます」
「えっ」
「外におりますので、御用があれば戸を叩いて下さい」
声を荒げている訳ではなく、寧ろ静かな口調なのに、口を挟む事が出来ない。
まずい、このままじゃ行ってしまう。
「では……」
「ああああ、あのっ、少しお話しをしてもよろしいですか!?」
慌てて引き止めると、リリーさんは動きを止めた。数秒の間をあけて、頷く。今までの無表情と違い、少しだけ眉が寄っている。迷惑そうだ。
でもそこで引き下がっていたら、私は無知なまま。これじゃ、対策もたてられない。今後どうするか具体的に決まっていないが、部屋に閉じこもったままでは何も解決しない事は分かっていた。
「よかったら、椅子に……」
「結構です。それで、どのようなお話でしょうか」
わぁ、取り付く島もない。
軽く心を折られたけれど、負けない。負けないぞ。
「クーア族について、教えて頂きたいんです」
言った瞬間、空気が凍った。さっきの迷惑そうな顔なんて比較にならないほど、くっきり眉間に皺が刻まれる。鋭い視線と、引き結ばれた唇。明確に敵と認識された気がする。
「もちろん薬の材料とか作り方とか、そういった部外の人間に洩らしてはいけないような内容は聞きません。そうじゃなくて、成り立ちとか、そういう……」
語尾がだんだんと小さくなる。話している最中に、ふと、『村の存在自体が秘匿されているんだから、どんな小さな事でも口外禁止なんじゃないか』という事に気付いたからだ。敵認識されているなら、尚更だ。何が弱点になるか分かったものじゃないだろうし。
「……説明は、明日。村の中を案内しますので、その時に」
「はい、駄目ですよね……え?」
意気消沈し、項垂れていた私は顔を勢い良く上げる。
「長から、そのように承っております」
決して納得していなそうな顔で、それでもリリーさんは言う。
「村の中を、歩いていいんですか?」
しかもガイドさんの説明付で? 観光か!?
唖然としている私に、『長の決定です』とこれまた納得していない顔でリリーさんは言う。訳が分からない。彼女の言動ではなく、族長の考えがだ。
族長も、私を歓迎していないと言った。にも関わらず、この対応はなんだろうか。
私が悶々と考え込んでいるうちに、リリーさんは部屋を出ていった。
一人取り残された私は、背後に体を傾けてベッドに横たわる。行儀が悪いけれど、どうせ誰も見てやしない。
「クーア族って、なにか問題があるのかな……?」
疑問を口に出す。
展開の速さについていけず、流されるままだったが、今になって色んな疑問が湧いてきた。そもそも、ヴォルフさんが私を主にしようとした理由って、なんだろう。
ヴォルフさんが私に話してくれたのは、薬狙いの盗賊や、保守派の人達の事。でも、本当にそれだけだろうか。
今回ヴォルフさんがとったのは、強行策と言っても過言ではない。いくら私に会った事自体が偶然だったとはいえ、あまりにも乱暴な策だ。
下手したら、ヴォルフさんは責任追及されて、次期族長にはなれなくなるかもしれないのに。
『私達には技術と知識がある。それなのに、なにもせずに山奥に引き篭もって、ゆるやかに滅びていくのを待つなんて絶対に嫌だわ』
洞窟でのヴォルフさんの言葉が、ふと思い浮かぶ。
そういえば、『滅び』と彼は言った。最初は、盗賊によって危険に晒されている事を指しているのかと思ったが、違う。なにもせずに山奥に引き篭もって、と前置きがあるんだから盗賊の件は関係ないだろう。
むしろ、盗賊の危険から逃れるために引き篭もろうというのが保守派の主張なのに、どうして滅びる?
「……考えたら、余計分かんなくなった」
額に手をあてて、目を瞑る。疲労で頭がまともに働かない。
喉の奥に何かが引っかかったようなモヤモヤがある。明日説明を受ければ、この不快感も消えるんだろうか。
「……痛っ!?」
かつん、と額に何かがぶつかった。私は痛みに跳ね起きる。
額を押さえながら周囲を見回すと、シーツの上に、どんぐりに似た木の実が転がっている。これか。
近くにブナ科の木でもあるのかな。
そう考えながら見上げた私と、窓の縁に止まる黒い鳥の目が合った。
「…………あ」
何故に鳥?
呆気にとられていた私だが、鳥の足に結ばれた紙に気付き、ようやく合点がいった。
あの子、カラスの鳥だ!
慌てて立ち上がり、手を伸ばす。
人懐っこいのか、訓練されているのか。逃げる事無く鳥は、私の手に止まる。苦労しながらも片手で手紙の結びを解き、開いた。
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