感謝の言葉
若菜視点で物語が進みます。
眩しい光で目を覚ます。
窓から夏の日差しが降り注いでいた。
どうやら私は、空いている病室に寝かされていたようだ。
『さよなら。若菜・・・』
聞こえるはずの無い晃の声が耳に残っている。
涙が一筋流れた。
しばらくしてベッドからゆっくりと起き上がる。
するとタイミング良く病室の扉が開いた。
扉を開けた白衣を着た白髪の男性は、黙ってベッドの脇の椅子に腰を掛ける。
「ご心配おかけしました、院長」
私はベッドに座ったまま頭を下げた。
「こういう時は、お父さんと呼んで欲しいな」
白髪の男性は目を細めて、私の頭を撫でる。
「ごめんなさい。お父さん」
頭を撫でられたまま素直に謝る。
「晃君のお父さんの代理の方が来てるんだが、会うかい?」
私は頭を下げたまま黙って首を横に振る。
用件は晃の葬儀についての事だろう。
晃のお父さんは世界経済に影響を及ぼすほどの企業の会長だ。
例え愛人の子供でも、それなりの葬儀をしなければ世間体も悪いのだろう。
そんな上辺だけの気持ちで、晃に接して欲しくは無い。
だが身内でもない私には何もできないのだ。
「大丈夫だよ」
黙って俯く私の気持ちを察したのか、父はあやすように私の背中をポンポンと叩いて言った。
「若菜は晃君の婚約者だ。晃君の葬儀は私達に任せてもらえるように先方に話そう」
父は微笑むと、静かに部屋を出て行った。
「何か用?」
父の背中を見送った視線を、窓辺に向ける。
そこには喪服のような黒いスーツに黒いネクタイをなぜか蝶々結びに結んだ、背中に黒い羽が生えている金髪碧眼の少年が居た。
「僕のこと見えるんですね?」
少年は確認するように私に尋ねる。
「あなたのように翼がある人を何度か見たことがあるわ。白い翼で日本人形のような女の子だったけど」
両親が事故で死んだ時。
研修医の時、受け持った患者さんが息を引き取った時。
この病院へ来て初めて担当したオペの時・・・
白い翼の記録は、いつも死とともにあった。
「そうですか、あなたは天使も見えるんですね」
少年はひとり感心したように頷いている。
そんな話はどうでもいい。
「晃はどうなったの?ちゃんと天国に行けた?」
死後の世界なんて信じてないけど、聞かずにはいられなかった。
私の問いにしばらく間を空けて、少年はしっかりと首を縦に振った。
それから思い出したようにジャケットの内ポケットから封筒を取り出した。
「ヤマウチ様より若菜さんに渡すように頼まれたんです」
少年が差し出すそれをゆっくりと受け取る。
震える手で中の便箋を取り出すと、晃の癖のある大きな文字が目に飛び込んできた。
〜若菜へ〜
若菜がこの手紙を読む頃には、俺はこの世には居ないでしょう。
優しい若菜はきっと俺のために泣いていると思います。
でも俺は若菜には泣いてほしくないです。
どうか笑って。
俺のことなんか忘れちゃっていいから。
俺の大好きだった笑顔の若菜で居てください。
いままで一緒に居てくれてありがとう。
どうか幸せに。
ほんとにありがとう。
俺のことは忘れて。
どうか幸せになってください。
それが俺の願いです。
〜晃より〜
短い手紙。
涙で霞む目で、ゆっくりと文字を追っていった。
晃が傍に居ないのに、私幸せになんてなれないよ。
「晃を忘れるなんて、無理よ・・・」
泣き崩れた私に、少年はハンカチを差し出しながら言った。
「忘れろなんて書いてあったんですか?ヤマウチ様も無理しちゃって」
少年はため息まじりに言葉を続ける。
「若菜さん。ヤマウチ様は本気で忘れて欲しいなんて思ってませんよ。忘れて欲しいのなら、あの場所を若菜さんに残すわけないでしょ?」
あの場所?
少年の言葉が気になって顔を上げると、目の前には書類のようなものがある。
これは・・・土地の権利書?
どういう事か説明してほしくて少年の顔を見ると、柔らかい笑顔がそこにあった。
「ヤマウチ様は最後の願いとして、ヤマウチ様が所有していた土地に、家と一本の木を再現してくれと言いました」
「家はヤマウチ様のおばあ様の家で、白い花が咲く木は若菜さんと初めて会った思い出の木だと聞きました。土地はもちろん家も若菜さんの名義になっています。忘れろなんて言うクセに思い出の場所を若菜さんに残すんですから、本当は忘れて欲しくないんですよ。ヤマウチ様も結構女々しい性格なんですね」
少年はクスクス笑っている。
ホント。晃ってば格好つけちゃって。
家を残すって事は、ここに住めってことよね。
あの家に住んでたら、晃のこと忘れること出来ないじゃん。
だってあの家には晃との思い出が沢山あるのよ?
だいたい私が晃を忘れたら、晃は寂しくて泣くでしょ?
そもそも、忘れろなんて言われて
”はい、そうですか”
なんて私が言うこと聞くと思っている時点で、晃の考えは甘いわ。
私、晃のことは絶対に忘れない。
晃と過ごした日々は、楽しくて愛しい私の宝物だもの。
「今まで一緒に居てくれてありがとう」
晃への感謝の言葉が、自然と口をついて出た。
愛しい気持ちを教えてくれた晃への感謝の言葉。
そして、”これかも一緒に居てね”と思い出の中の晃に告げる。
それからもう一人。
「あなたも、ありがとう」
少年に向かって微笑む。
少年は碧い瞳を細めニッコリと微笑み返すと、深くお辞儀をして窓から飛び出して行った。
そう、少年の背にある、漆黒の翼をはためかせて・・・




