愛しい人
「俺ってさぁ、愛人の子供なんだよ」
何の脈略もなく俺はアルフに語りかけた。なんとなく沈黙が気まずかったから。
いきなり話始めた俺にアルフはきょとんとしていたが、俺は構わずしゃべりだした。
「母さんはさ、俺が5歳の時に死んだんだ。それでピアノの先生をしていたばあちゃんの所に引き取られんだ」
アルフは俺の話を黙って聞いている。
「俺の親父にあたる人は、俺が生まれてからずっと生活するのに十分な金を与えてくれてたようだけど、成人するまでは会ったこともなかったな」
「俺と若菜は幼馴染ってやつでさ。初めて会ったのは7歳の時で、若菜がここの院長先生の養女になってすぐの頃で、俺のばあちゃん家にピアノを習いに来たのがきっかけだった」
「初対面の若菜の印象は、”変な子”だったんだよ。若菜は庭にある木の下でピョコピョコ跳ねてたの。ずっと、ぴょんぴょん跳ねてて、息切らして座り込んで、何やってんだコイツ?みたいな」
「んで、俺は気になって若菜に声をかけたんだよ。何してるの?って」
俺は自分が何をしゃべりたいのか良く分からないまま言葉を繋ぐ。
きっと誰かに自分の事を知ってほしい、覚えていてほしいと無意識に思っているからだろうか。
こんな事をしても、何の意味も無いのに。
それなのにアルフは笑顔で話の続きを促す。
「若菜さんは、なんて応えたんですか?」
「花が欲しいって」
「花、ですか?」
「そう。その木にさ、白い花が咲いてたんだよ。それが欲しいって」
コンコン
不意に、ドアをノックする音が病室に響く。
俺の返事を待つことなくドアは開かれ、ひょっこりと顔を出したのは白衣姿の若菜だった。
「晃、ケーキ食べる?」
満面の笑みを浮かべながら、紙皿の上にのったケーキを俺の目の前に差し出す。
突然の若菜の訪問で困惑しながらも俺は紙皿を受け取る。
「って、これケーキか?!」
そこに山盛りで置かれているのは、生クリームとイチゴのデコレーションケーキだったであろう物体。
形が崩れすぎて、一瞬見ただけでは何なのか判別しがたいものになっていた。
「今日は省吾くんと優香ちゃんのお誕生会だったからケーキ作ってきたの」
そう言いながら若菜は先ほどまでアルフが座っていたベット脇の椅子に座る。
アルフはいつの間にか椅子とは反対側の窓辺に立っていた。
”若菜にはアルフが見えてないのか?”
俺以外の人物が病室に居るのに、若菜はなんのリアクションもしない。
ということは若菜にはアルフが見えていないのだろう。
やっぱり幻覚なのかなぁ・・・などと考えていると。
「ほらぁ、食べないの?」
と、若菜が上目遣いで俺を見上げる。
若菜のこういう仕草が凄くかわいいと思う。
俺、ケーキより若菜のことが食べたいんだけど。
とは言えず、黙ってケーキに目を向ける。
「なんでこんなにケーキがグチャグチャなんだ?」
フォークでケーキだった物体を突っつきながら若菜に訊ねる。
「子供達がね“晃お兄ちゃんの分も”って取り分けてくれたのよ」
なんか想像つく。
優香ちゃんが慎重にケーキを皿に載せようとしてるところを、省吾や大輝が邪魔をしたってところだろう。
俺は苦笑しながらもケーキを口に運ぶ。
「うん、うまい!」
形はどうあれ、お菓子作りが得意な若菜のケーキはおいしい。
ましてや子供達が俺を気に掛けてくれているという話を聞いたら尚更である。
この病院の小児病棟は長期入院の子供が多い。
子供好きの若菜につられ、昔から暇があれば若菜と二人でよく小児病棟に顔を出しては子供達と遊んでいたのだ。
子供達の笑顔を思い出し上機嫌でケーキを食べ終え、若菜が入れてくれた麦茶を飲む。
そんな俺を若菜は穏やかな表情で黙って見ていた。
アルフの時のように沈黙が苦にならないのは、二人の間に流れている温かな空気を感じるから。
”側に居るだけでも感じる幸せ”俺の自惚れではなく若菜もそう思っているのは表情からも見てとれる。
ずっとこうして若菜の側に居られたら・・・
でもそれは叶わぬ願いだ。
行き場の無いこの気持ちに、無意識に縋るように窓辺に立つアルフに目を向ける。
アルフは哀しそうな顔で小さく首を横に振る。
俺の思いを察したようで、それを叶える事はできないという意味で首を横に振ったのだろう。
わかってる。
わかっているさ。
俺はもうすぐ死ぬ。
消えてなくなるんだ。
俺は、ただ黙って窓辺に立つアルフから、視線を外せないでいた。
アルフを見ていた俺に釣られるように、若菜も窓の方へ視線を向ける。
窓辺に立つアルフの金髪は薄いカーテン越しの夏の日差しを受けて、キラキラと銀色に輝いていた。
その柔らかい輝きに似合わない憂い顔で、アルフは若菜に視線を向けている。
だが、若菜は何の反応も示さない。
むしろ普段から穏やかな笑みを浮かべている若菜にしては珍しく無表情だ。
若菜の瞳はアルフを素通りして外の景色を見ているのだろうか。
やがて、
「ねぇ、今日はここに泊まってもいい?」
視線を窓に向けたまま若菜が言った。
若菜が病室に泊まりたいなんて言ったのは初めてだ。
この病院は身内でも夜間の付き添い看護を原則禁止している。
それを若菜もよく知っているからだ。
「どうしたんだ、急に?」
若菜はゆっくり立ち上がると、いつもの柔らかい笑みを浮かべ、
「明日は夜勤だから、そのまま仕事の時間までゆっくり晃と一緒に居れるし。ね?いいでしょ?」
お願い!なんて言いながら顔の前で手を合わせて俺の表情を伺う若菜。
そんなかわいい顔でお願いされたら断れないし。
それに若菜と一緒に居られるのはこれで最後かもしれない。
でも・・・
「夜間の付き添いは禁止だろ?医者がそんな勝手なことしていいのか?」
「あら。医者だから出来るのよ」
ふふふっと得意げに笑う若菜。
「職権乱用かよ」
俺は呆れて苦笑しつつも、院長の許可はもらっておけよ!と言ってOKサインをだした。
「それより、とっくに休憩時間過ぎてるんじゃないか?」
俺の言葉に、はっとしたように腕時計に目をやる若菜。
「まずい!」
バタバタと紙皿やカップを片付け、じゃああとでね。と言い残し若菜は慌しく病室を出て行った。
アルフはしばらく若菜が出て行ったドアを見ていたがやがて、
「僕も失礼します。また後で改めて伺います」
と、にっこり笑って最初に病室に入ってきたときと同じように、黒い翼を羽ばたかせて窓から出て行った。
静かだ・・・。
一人になって、いろいろと考える事があるはずなのに、今の俺の頭の中は真っ白だ。
”死”が確実に目の前にあるという事実は、思っていた以上のショックを俺に与えたようだ。
あと一日半の命で何ができる?
何も思いつかないまま、気ばかりが焦っる。
特に何の意味も無く、それとも無意識のうちに私物の整理でもしようと思ったのか、おもむろに備え付けのクローゼットを開けてみたりした。
服の他に1年の闘病生活で溜まりに溜まった雑誌やゲームソフトなど、適当に放り込んであったものを手当たり次第引っ張り出す。
ふと、目に入った植物図鑑。
「こんなもの持ってきてたっけ?」
さまざまな植物を写真付で載せている分厚い図鑑は、確かに幼い頃に自分の家にあったものだ。
何気なく図鑑を開くと、開いたページに何か挟まっている。
茶色く変色した子供の手のひらくらいの大きさのそれは、元は白い花だった。
白木蓮。
若菜との思い出の花。
初めて若菜に会ったときに咲いていた花だ。
空に向かって真っ直ぐに咲く白く美しい花と、若菜の笑顔を思い浮かべながら俺はゆっくりと図鑑を閉じた。




