ピグマリオンの老衰
この前、バーで、ちょっと哀しい話を聞いたよ。聴いてくれる?
昔、一人の彫刻家がいてね。
その人は優しい人で、若い頃から、愛とか美を表現しようと、必死で勉強してきたんだって。でも、不器用で、おまけに運も悪かったんだ。
大切にしているものから順番に壊れてしまうし、よく人に騙されたり、裏切られたりもした。
そんなわけだから、彼はすぐに財産を無くし、作品も安い値段でどんどん手放さなければならなかった。
ところが、売れる作品が底を尽きたある日、そこに一人の女性がやってきてね。唯一残っていた彫刻をたいそう褒めてくれたんだそうだ。
彫刻家は、
「幸せだ、生きていて良かった」
とつくづく安堵のため息を零したそうだよ。
けれど、それも次の悲しい出来事の種でしかなかった。
その人が死んでしまったんだ。とても苦しい病気でね。
その人を埋葬した日の夕方、彫刻家は彫刻刀を一本だけ持って、丘の上に歩いて行ってね。夕陽を睨み付けたんだ。
このとき、いよいよ憎しみというものを覚えたんだろうね。どうして自分ばかりが不幸な目に遭うのだろうか、ってね。でもそれは、ぶつける相手すら居ない、悲しいものだったのだけれど。
その後、彫刻家が村に帰ると、さらに悪い事が続いてね。村が大火事に見舞われて、寝るところも無くなっていたんだ。
昏い焼け野原に佇んでいると、彼の頭にある渇望が湧いてきてね。
「ああ、永遠に消えて無くならないものが欲しい。欲しいよ」
そう云って、彼は泣いたそうだ。
不思議なことに、そんなに酷い目に遭い続けても、死にたいとは思わなかったんだね。いやはや、それが芸術家の性なのか、あるいはもう、彼にとって生きていることも死んでいることも、特に違いのないことになっていたのかもしれないね。
とにもかくも、彼にとって、単なる物質や命は、全てよそよそしいもの存在に成り果ててしまったんだ。
彫刻家はふらつく足で、村を素通りし、石山に向かってね。
疲れ切った心と体が思い出したのは、かつて本で読んだ、鉱石の名前だったんだ。
知っているかな。アダマンタイトという、とても硬い石さ。
それを使って彫刻を造れば、きっと誰にも壊されないだろう、と、彫刻家はそう考えたんだ。アダマンタイトで昔好いたあの女性の偶像を造り、せめて、それを自分の墓標にしようと考えたんだね。
ところがアダマンタイトというものはなかなか見つからなくてね。
それもそのはずで、そんな物質、本当は無いんだからね。神話上の存在なのさ。でもその時代、彫刻家はそれを知らないから、そこらじゅうに転がっている石を次々と砕き続けたんだってさ。
それで、石山は砂山になってしまったんだよ。
さて、石が最後の一個になったとき、彫刻家は、
「これも違うかもしれない。ああ、虚しい人生だった」
そう云って、死力を込めて彫刻刀を打ち付けたんだよ。
するとどうだろう、彫刻刀の先が、凛とした音を立てて弾けてね。
石は傷一つ付かなかったそうだよ。
落胆に沈んでいた彫刻家の顔は、久しぶりに、一瞬の笑顔を取り戻してね。それは狂気じみたものだったかもしれないけれど。
「やった、やったぞ。ついに見つけた!」
そう云って、倒れて、そのまま動かなくなったそうだよ。
当然、彼が砕けなかったその石は、周りの石と変わらない、普通の石ころなのさ。彼の手と、彫刻刀が疲れ果てていただけのことでね。
哀しい話だよね。
END
お読みいただきありがとうございました。