黄昏時の道
コンビニ帰り、後輩との会話
このあたりのコンビニ事情は、昨今やや改善が見られたように思われる。
とはいえ、徒歩五分圏内にコンビニが5軒前後林立する都会とは異なり、徒歩20分圏内に1軒あれば上々というのが現実である。しかしながら、自動車を使って20分圏内に1軒であった昨年に比べれば偉大な前進であると言える。繁華街の辺りへ行けばもう少しましになるものの、住宅街ではしかたない。商店街のあるような、いくらか昔ながらの街ならともかくとして、『家を買う人』への商業に特化した新興住宅街ではそれも望みがたい。
このような形態の街に関して、「散歩しても同じ形をした家ばかりでまったく面白みがない」というのがかの変人、書庫の主、猪野尾忠彦の言である。彼は散策癖というか、なんというか、時折見知らぬ土地を意味もなく歩き回る趣味があるらしい。
それに対して「補導されてしまえばいい」というのが祠堂沙奈江の言であるが、ひとまずそれは脇へおいておこう。
前カゴにミニ○トップのレジ袋を入れ、自転車をこぐ男子が一人、夕方の住宅街を走る。雪橋悠である。
先日部屋に来ていた祠堂沙奈江ご所望のハロハロを今更買いに走った訳ではけっしてない。単に自分が食べたくなったので一人分買ってきたに過ぎない。本日は自室に客などおらず、一人ゆったり夕食後に優雅な甘味を味わうべく自転車を走らせていた。
夕暮れ時の空を眺めながら田んぼ道を走り抜け、長い坂道を上りきり、『同じ形の家』が軒を連ねる住宅街に到達する。
少し大きめの交差点にさしかかり、赤信号に捕まる。
無視して渡ってしまおうかとも思ったが、思いの他交通が多いようで中々タイミングが掴めない。そうこうしている内に、「おや」と背後から声を掛けられた。
「先輩じゃないですか。」
「あ、ミソノちゃん今晩は。」
「先輩。声掛けられるたびにちょっと鬱陶しそうな顔しないでくださいよ。傷つくじゃないですか。」
「え、ごめん、そんな顔してた?」
「いえ。私はそれほど先輩の表情読めませんので。つまり冗談です。」
「誰がそうすると面白いと入れ知恵した。」
「いやぁ、多分ご想像の通りだと思いますよ。」
「あいつか…。」
「聞いてた通り、慌てた顔が面白かったですね。リアクションの大きさは思っていたほどではありませんでしたが。」
「なんでリアクション芸を批判されなければならないんだ、ぼくは?」
「いやぁ、先輩からリアクション芸取ったら何も残らないじゃないですか。」
「リアクション芸がぼくの存在に占める、そもそもの割合はそんなに大きく無いはずだが。」
「え〜。9割9分そうじゃないですか。まあそれで売っていけるレベルとはちょっと言い難いですけど。」
「なんだ。今日はまた辛口じゃないか?」
「そんな事ないですよ。いつもこんな感じですよ。」
「そうだとすると本当に、声を掛けられるたびに鬱陶しげな顔をしてしまいそうだ。」
「え〜、酷いなぁ〜。かわいい後輩のする事じゃないですか。大目に見てくださいよ。」
「ごめん。君に可愛げを感じた事ってあんまり無い気がする。」
「ひど! 先輩ひどいですよ。仮にも花の女子高生を捕まえて可愛げないはひどいですよ。」
「君まだ中3でしょ。」
「女子高生は中学校3年生を差別するような狭量な言葉ではありません。」
「なんだかそう自信を持って言い切られるそんな気がしてくる。」
は〜っと、なんの脈略もなくため息を吐く雪橋。ちらりと、彼の表情をのぞき見る傍らの少女は、彼の視界に入っていない。どこか遠い山の方を、ぼんやり眺める風情。
「ところで、いつ変わるんだこの信号。」
ポツリとつぶやくと、横の少女が噴き出した。
「先輩。何年ここ住んでるんですか。」
「何年って、越してきてからだからかれこれ8年くらい?」
「じゃあ知っていてもいいでしょうに。」
いいながらまたクスクス笑う。
「この交差点は押しボタン式で、そこのボタン押さないと歩行者信号はいつまでだって赤のままです。」
「なんと!」
「おっかしい。もうほんとおっかしい。」
あははは、と声を上げて笑う少女。ちょっと悔しいと思いつつも、雪橋は黙って歩行者信号のボタンを押す。
「ああ、先輩ほんと最高ですよ。」
「うるさいな。」
「そうむくれないでくださいよ。」
クスクス、クスクス、と思い出しては笑っている。
「そう言えば先輩、最近、図書室にはいってますか?」
「まあ、たまにね。」
「そうですか。最近とんと皆さん見かけなくなりましたから、ちょっと寂しいです。」
「そっか。」
夕焼けの日を浴びた雲の流れを、彼の目は追っている。日はもうじき沈む。橙に染まる西の空も、やがて藍色に染まる。そのゆっくりとした変化に、その目はジッと向けられていた。
「それじゃあ、先輩。わたしはこっちですので。」
小さな交差点を3つくらい過ぎたあたりで少女は言った。
「ひさしぶりにお話できて楽しかったです。」
「そっか。」
ぶっきらぼうに手を振って、ゆったりした足取りで家路につく彼女を見送る。
「あ、そうだ、ミソノちゃん。」
9歩ほど離れた彼女に声をかける。振り替えりながら小首をかしげる少女のしぐさを見ながら、雪橋は続けた。
「早蕨は鴨屋のアヤメさんに絶賛アタック中らしいよ。」
「ほう。それはそれは。教えていただき、ありがとうございます。」
足早に立ち去る彼女を見送って、彼もまた家路を急ぐ。
部屋について、机の上を見ると、おきっ放しにしていた携帯電話のインジケーターが明滅している。不在着信5件。早蕨の名前が列記されていた。
「よう。」
3コールで相手は電話にでた。
「おまえ、このやろう、余計なことミソノちゃんに言ったろ!」
電話の向うの相手の第一声。
「いやいや。決して『余計な事』は言っていないよ。どんな感じだった?」
「『明日学校で〆ますから覚悟してろ』ってメールが来た。」
「おう。期待通りの展開だ。さすがミソノちゃん。」
「貴様、オレに恨みでも、いや、恨みは数えるほどあるか…。」
「自覚してたのかよ。」
「フッ、己の行いを分かった上でなお為す人間こそ良い大人という物だ。」
「カッコよくない、カッコよくない。現状君はそれで首絞まってるから。」
「もう、ほんと、勘弁してよユッキー。いま結構うまく行ってるんだからさぁ。」
「やぁ、大事に至るラインは越えない範囲だったと思ったけど。」
「どの件話した?」
「『早蕨は現在鴨屋のアヤメさんに猛烈アタック中』と話した。」
「あ〜。まあ、大事にはならんか。」
「チョークスリーパーと卍がためで済むと踏んでいる。泣かれはせんだろう。」
「うん。泣かれるのはごめんだ。」
そうして数分ばかり、電話越しに雑談して、「じゃあまた」と電話を切る。
早蕨秀弥と祠堂美園が彼氏・彼女という関係になったのは今年の初め。それ以来、たまにこういう事がある。
どういう事であるにせよ、それはきっと些細な事なのだろうと、雪橋悠は思うのであった。祠堂美園が祠堂沙奈江の妹である事も、きっと些細な事だろうと。
ここまでお読み下さりありがとうございます。
研究のため、意図や意味の読み取りにくい箇所がありましたらお知らせ頂けますと助かります。
また、前後の展開と矛盾する設定・表記等お気づきになられましたらご指摘いただけますと助かります。