部屋での出来事
ある日雪橋悠が自室に帰ると
ある日、雪橋悠が自室に帰ると客がいた。
「なにしてんの?」
「お邪魔してんの。」
客、もとい乱入者は祠堂沙奈江であった。
「あ、サナちゃん来てるわよ悠。」
「遅いですよお袋さま。」
洗濯物を一杯につめたカゴを抱え、母親が彼の部屋をのぞきながら言った。
「サナちゃん、麦茶で良い?」
「あ、お構いなく、おば様。」
「そんな遠慮しないの。直ぐ持ってくるわね。ほら悠、邪魔よ。」
入り口で呆けていた彼は、洗濯物のムッとする匂いに押しのけられた。
「部屋入らないの?」
階段をバタバタと下りていく母親の背中を見送る彼に、祠堂沙奈江は言う。気だるそうに、部屋の真ん中に設えた小テーブルに上体をもたせている。姉さん座りでフローリングの床に直に座り、履いていた靴下がだらしなく横に放置されていた。
「入らないの? 入らないならとりあえずドア閉めてくれないかな? エアコンが効かないから。」
「入りますよ。」
ため息交じりに自室に踏み込む雪橋悠。
そのまま彼女の脇を通りすぎで勉強机に腰を据える。
「ねぇ。」
ぱらぱらと参考書をめくる音の響く室内、透き通った声で沈黙を破る。
「なに?」
相変わらず、勉強机で参考書に向き合ったまま彼は短く応じた。
「外、暑い?」
「暑いね。猛暑だよ。」
「そう。じゃあ、もうしばらく涼んでく。」
「そう。」
「邪魔?」
「いや、別に? そこでへたれてる分には全く。」
「そう。」
ブォ〜ンと、エアコンがうなりを立てる。吹いてくる風が少し邪魔に思える。カリカリとシャープペンシルでノートに文字を連ねる音。化学記号の塩基配列はどこか暗号じみているなとどうでも良い事を考えながら、雪橋はページを繰る。
「ねぇ。」
「なに?」
「高校生の勉学なんて不毛だと思わない?」
「さあ? もっと面白い事をするための基礎訓練なんじゃないかな?」
「真面目な答えが返ってきた。」
「ぼくは真面目に生きてますから。」
「君は基本、嘘吐きだよね。」
「いえいえ。その場における本音をつねに申し上げていますよ。」
「ああ、持続しないんだ。」
「条件が変われば、対応も変化せざるをえんのです。」
「へぇ〜。そんなもの?」
「そんなもの。」
パタンと、参考書を閉じる音。
もぞりと、テーブルにだれたまま、沙奈江は雪橋の背に目をやるも、彼が次の科目に手を掛けているのを見て、また入り口へ視線を戻す。
「そう言えば、だけど。」
参考書をぱらぱらと眺めながら雪橋は言った。
「なに?」
「今日はどうしたの?」
「なにが?」
「いや、なんでぼくの部屋に居るの?」
「居ちゃ悪い?」
「理由訊いちゃ悪い?」
少し、ほんの少しだけ、言葉のトーンが鋭かった気がして、目線を彼に向ける。肩越しに少し、睨むような目を向けられた。彼女は目をそらす。
「…なんでもないよ。単に少し、気分転換。涼みに来ただけ。」
「そ。」
ちらりと、また彼を見やる。彼はまた参考書を手になにやら始めたようだ。
「ねぇ。」
と、その背に声をかける。
「なに?」
と彼はぶっきらぼうに応じる。
「ハロハロ食べたい。」
「後でね。」
「今食べたい。」
「もうちょい待て。」
「ちょいってどんだけちょい?」
「あ〜。あと30分。」
「長い。5分。」
「はい、5分。」
長めにいいやがったか、とちょっと不機嫌になるも、まあいっかと思って彼女はまたテーブルに頬をつける。さっきまで頬を付けていた場所は、彼女の体温で温くなってしまった。また新しい場所を求めて、もぞり、と足を動かす。新しい場所に頬を付けて、少しひんやりした感触を心地よく感じる。
「はい、サナちゃん。」
と、扉を開けて雪橋の母が麦茶を持って現れた。
「ありがとうございます、おば様。」
はじかれたように居住まいを正す沙奈江。
「いいえ、どういたしまして。ほら、悠も。せっかくサナエちゃんが来たのに勉強なんてしてないで。」
「勉学は学生の本分です。」
「屁理屈いわないの。」
母は麦茶のグラスを二つ、テーブルに置くとさっさと出ていった。屁理屈じゃないとおもうんだけどな、などとブツブツ良いながら雪橋は沙奈江の斜向かいにあぐらをかく。
「麦茶おいしい。」
カランと、グラスの中で氷が崩れた。
「良く冷えてるからね。」
ごくりごくりと麦茶を飲み込んで、ハ〜っと、息を吐きながらグラスを置く雪橋。
「おっさん臭いよユキ。」
「いいの。」
言いながら、また麦茶を咽に流し込む。
「…順調? 勉強。」
一息ついて、雪橋が訊ねる。
「うん、まあ、ぼちぼち。」
「そ。」
どこかそっけなくも思える応対を彼女に返す。
「早くしないと卒業しちゃうからね。」
ぽつりと言うった雪橋の顔面に座布団が飛んできた。
「関係ありません!」
「あ、ないんだ。」
バウンドした座布団を華麗に空中でキャッチして、彼女はそれを大上段から降り下ろした。バスン、バスン、バスンとくぐもった音がする。
「無い! 関係ない! まったくない!」
「いや、わざわざ浪人までするからてっきり。」
バスン、とまた一撃見舞われた。
「違います。単にランク下げたくなかっただけです。」
「あ〜そうだねぇ。第一志望受からなかったからねぇ。すべり止めなんて行ってられないよね。」
バスン、とまた一撃。
「わかりましたから。ほこりが立つからやめなさいよいい加減。」
「ユキ、あんた私が年上だって事忘れてるでしょう。」
「考えた事もなかった。」
バスン。
「ああ〜もう! 疲れたじゃない! ただでさえ暑いのに!」
「そうですね〜。まあ麦茶でも飲みましょうよ。」
正した居住まいがまた崩れ、彼女はアゴをテーブルに預けてぐったりしている。
死にかけの金魚ってこんな感じだっけ、などとかなり失礼な事を内心思う雪橋悠。
「ねぇ。」
しばらくして、彼女は声を発した。相変わらずテーブルに体を気だるげに預けている。
「なに?」
飲み干したグラスをコトリと置いて、まわりについた水滴を玩ぶ。
「猪野尾さん、元気そうだった?」
「やっぱり気になってんじゃん。」
ぶん殴られた。
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