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そしてまた明日、君と

 世に、女性に踏まれる事を至上の快楽とする人種が居ると風の噂に聞いたり聞かなかったりするわけだが、今現在のところ雪橋少年はそのような趣向に目覚めること無く日々を平穏な性癖で過ごしている。

 だから、愛すべき後輩であるところの祠堂美園から「わたくしは先輩が嫌いです。」と夏休み中に言われた台詞をリピートした彼女に「うん。」と答えた途端、彼の右足の爪先を叩き割る勢いで彼女のかかとに力いっぱい踏んづけられた際に、別に「ありがとうございます!」などという台詞は吐かなかった。

 快楽に変換するべき要素を素粒子一個分も発見すること無く、彼はただ鮮烈に痛烈な感覚に苦悶するのみであった。

 下校途中の事である。

 下校途中、校門を出て3歩ほど歩いた所での事である。

 苛立たしげに早足で先を行く祠堂美園。

 それを宥めながら追う早蕨秀弥。

 雪橋悠は、右足の五指がちゃんとあるべき場所に付いていることを確認している。

「なぜだ?」

 痛みの余り止まらない冷や汗と、荒れる息。

 いや、べつに五指がちゃんとついていた事を疑問に思ったわけではない。

 彼は、ただ彼が見送るいたいけな少女に、暴虐の限りを尽くされた事の理由が、理解できなかっただけだ。

「まったく、バカだよね、ヒーくんは。」

 雪橋悠の傍らで、彼のカバンを自分のと一緒に両の腕で抱えながら綾辻翠はそう言った。

「なぜだ?」と、今度は自分をバカ呼ばわりする隣の少女に疑問を投げかける。

「わからない?」

「わからない。」

 まったく呆れた話だわと、彼女は肩をすくめる。

「簡単に納得しすぎなの。」

「え、何が?」

「嫌いですって言われて、簡単に受け入れちゃって。」

「いや、嫌いなものは嫌いなものなのだから嫌ってしまってもそれは仕方がないことじゃないか?」

「仕方のないことだとしても、仕方ないと納得されるのが腹立たしいのよ。」

「なんだと!?」

 ついっと、人差し指を立てて、彼女は自分の顎を撫ぜる。

「『私に嫌われてもなんとも思わないわけ?』とか『私が貴方を嫌うことが驚くに値しないとでも言うわけ?』とか、色々考えちゃうわけですよ。結局貴方は私に興味なんてないの? 結局貴方は私という存在に何も感じていないの? 結局、貴方の心の中に私は一欠片も場所を作れていないのって、そんな風に思っちゃうのよ。」

 そんな風に、まるで我が事の様に、綾辻翠は詳細に、具体的に、分析してみせる。

「いや、色々思った上で、嫌われて仕方ない事をしていると、そう自覚しているから、彼女の反応が正当な物だと判断していると、ぼくはただそれだけの事を言いたんだよ?」

「それはそれで『私が貴方を簡単に見限る狭量な人間だと思ってたんだ』って思っちゃうのよね。」

「え? じゃああれか? ひょっとしてぼくは、すまないことをしたと言いながら、だけど嫌ったりしないでくれと懇願しなければならなかったのか?」

「それはそれで『あれだけ嫌われても仕方ない様な事をやっておいて、なんて未練たらしい人なの』って思うんだけどね。」

「酷くね? 詰んでるじゃないか。」

「そうだね。ヒーくんは立場上『ゴメンと言いながら強く抱きしめる』という選択ができないからねぇ。」

 やれやれ困ったと、わざとらしい仕草を見せる綾辻翠。

「そりゃ、早蕨がやってもぼくがやっちゃダメだろ。だいたい嫌いな相手に抱きつかれるとか、怖気が走るだろうよ。」

「嫌われてると思ってるんだ。」

「いや、現に嫌われてるだろう。」

「まあ、嫌われてはいるわね。」

「…綾辻さん、君はいったい何が言いたいんだ?」

 眉間にしわを寄せながら、彼は友人の言説を解釈しようと試みるも、どうにも納得いく解釈が見つけられない様子である。

「う〜ん。嫌われるっていうのにも色々種類があるのかなっと、私はそう思うわけですよ。まあ、美園ちゃんがヒーくんをなんで嫌っているのか、君たちは相変わらずの秘密主義で詳しいことを教えてくれないから判断しかねる部分が多分にあるんだけどねぇ。」

 チラチラと横目で雪橋に視線を送りながら彼女は言った。

 対する雪橋は明後日の方向を眺めて素知らぬ顔。

「まあ、どうせ碌でもない事を、思い余ってやってしまったのだろうね、ヒーくんは。」

 それ以上の追求を諦めたようで、彼女はそんな事を言う。

「でもね、ちゃんと見ていたら簡単にわかると思うんだぁ。ヒーくんが言ってる”嫌う”と、美園ちゃんが言ってる”嫌う”は、中身がきっとまるで違ってるよ。」

「そうですか?」

「そうだよ。ヒーくんの言っている”嫌う”は、完全な断絶と拒絶でしょう。それを感じてるなら、なんで今も美園ちゃんが君に口を利いてるのだと思ってるの? なんで仲良く一緒に下校しようとかしたと思ってるの? 今の今しがたその企画は潰れたけど。」

「何の因果か、ぼくが彼女の愛しの恋人の友人だからだろ?」

「あ、それは正解ね。」

「君はひょっとしてぼくを苛めたくて、この話をしているのか?」

「いやいやぁ。そんな事はないですよぉ。綾辻さんはいじめっ子じゃないですよぉ。それは正解だけど正解の一部でしかないよって言いたいだけなんですよぉ。他意はありません。ええ、ありません。」

「なら始めからそう言えよ。」

「細かい事は気にしない。器がチッチャイなぁ、ヒーくんは。」

 とてもいい笑顔で彼女はそう言った。

 これは何かの仕返しなのだろうか?

「なんで一部だと思うわけだい、名探偵様は?」

「ウフフ。カワイイ抵抗を試みたものね。そんな皮肉が効果的だと思ったのかしら?」

「…なんで一部だと思うわけだ、君は?」

「だって、それが全てだったら、君に『嫌いだ』なんて言うわけないじゃない。それも早蕨くんのいる前で。何も取り繕えてないわよ? 『嫌だなぁ』と思いながら黙ってニコニコしているか、早蕨くんの前ではいかにも仲良さそうに振る舞って、君と二人の時だけあからさまに態度にだしたり、無言でひたすら不機嫌そうにしている方が選択としては正しくないかしら? それが全てだと思うなら。」

「性格の問題だろ。真正面から真っ正直に、ぼくと彼女の関係上の問題だから直接ぼくに明確にするのは、なんらおかしな所は無いと思うけど。早蕨の前でそうするのだって、アイツに嘘をつきたくないと思えばこそじゃないか?」

「う〜ん。」と、彼の返しに綾辻翠は言葉に窮して唸る。

「さすがヒーくん、ヒネクレ大王。うまいこと説明つけてくるね。」

 まるで既知のアダ名を言うかの様に彼女はそう言った。

 彼は「ひょっとして影でそんな呼ばれ方しているのか?」などと内心疑問を覚える。

「まあ、ね、美園ちゃんは君のこと大嫌いだと思うよ。」

「なぜ今ぼくの嫌われっぷりを盛ってきた?」

 彼女は、彼の呈した疑問に構わずに話を続ける。

「でもね、同時に、その”嫌い”で潰せないくらいに君のこと大好きなんだと思うな。」

 疑問を黙殺された事に抗議しようと構えていた彼は、一瞬、彼女の言葉にぽかんと呆けて思考が停止する。

「…え? なんで? 根拠は?」

「う〜ん。」と唸って、「なんだろ?」と質問に質問を返す。

「無いのか根拠。」と呆れ顔。

「いやいやいや。」

「いやいやいや。」

「根拠がないわけじゃない」と言いたいらしい綾辻に、「だってないんだろう」と仕草で示す雪橋悠。

 コホンと一つ、少女は咳払い。

「だってさ、ほら、結局それって君とお話したいってことじゃない? 君のこと大っ嫌いで、大っ嫌いで、大、大、大っ嫌いなのに、君に”嫌い”って言ってその返事を求めるなんて。」

「どこまで盛ってくるつもりだ。なんだその特盛り。」

 そして、ため息。

 少し、思い当たってしまった。

 だからぼくの足を踏み抜く勢いで踏んづけたくなるくらいに怒る結果に成ってでも、ぼくの返答を聞きたいと思ったのだろうかと、思ってしまった。

 だからあの時、彼女の姉を裏切ったぼくをみて、彼女は泣いたのだろうかと、思いついてしまった。

 まあ、その嫌悪が本物であることには変わりないのだろう。

 なら、好意は一欠片もなかったのか?

 一欠片もないというのなら、祠堂美園と彼が重ねた会話は、一体なんだったというのか?

 それがどれほどの分量だったかははかりかねるが、そこに存在していたことは確かだろう。

 なら、それはどういうことだ?

 総合すると、どういうことになる?

「少し君の言わんとすることがわかってきた。」

 駅までの道のり。

 しばらくぶりに、沈黙を破って呟くように彼はそう言った。

「うん?」と、小さな囁きを聞き取るためにそうするように、彼女はそっと顔を寄せる。

「つまりぼくは、彼女に、彼女がぼくを嫌う理由なんて無いと、説明しきって、納得させなければならなかったわけだ。」

 きっと「ふざけるな!」と怒鳴られ、睨まれる。

 それを受け止めて、謝り倒して、彼女が得心行くまで、話し続けなければ、ならないのだろう。

 頭の中がグチャグチャで、何一つ整理がつかなくて、キレイに交じり合わないいくつもの感情が渦巻いて、理屈も説明もつけられず、それでもどうにかしたいと思っている。

 だけど「助けてくれ」なんて、彼女は死んだってぼくには言いたくないだろう。

 それでも、そうしないと彼女は、自分の感情にけりをつけられないのだ。

 私が貴方を好きでいた事が間違いではなかっと、示して欲しい。

 私が抱くこの嫌悪こそ間違いであると、示して欲しい。

 貴方が間違っていないと私に教えて欲しい。

 貴方が間違わない人だと信じた私が、間違っていなかったと教えて欲しい。

 つまり、そういうことなのだろう。

「でもそれは、ぼくには無理だなぁ。」

 彼は思う。

 ぼくにはできない、と。

 だってぼくは、その嫌悪に納得してしまっているのだから。

 ぼくは君の嫌悪を肯定してしまう。

 君が抱いてくれた、なけなしの好意に泥を塗りながら。

「ああ、なるほど。私はそういう事が言いたかったのか。」

 彼の言葉を聞いてしばらくして、綾辻翠はポンと手を打つ。

「…。うん。いや、良くある良くある、そういう事。でも今そこはかとなく君に殺意が湧いた。」

 まあ、構わないのだけれど。

 そう呟いて、嘆息する。

 ぼくはまた間違えかけたわけだ。

 そう思って、嘆息する。

 早蕨秀弥に全てを預けて、ぼくの存在など君の中から抹消してしまう事もできただろうに。

 それでもぼくとの関わりを、見限らずにいてくれたわけだ。

 それが愛情の一種であったとして、これほど嫌われた今、それが恋愛に発展することなどあり得ないだろうが、友愛たり得ないことはあるまい。

 なら友人として、誠意をもって応えよう。

 それが祠堂美園が抱いてくれた、自分に対する僅かばかりの好意に対する礼儀というものだろう。

 ぼくはどうしようもない愚か者なのだけれど、君に嫌われてしまって仕方ないと思っているのだけれど、君に憎まれてしまっても仕方ないと思っているのだけれども、それでもまだ君がぼくを好いてくれるというのなら、それでもまだぼくとの友情の在処を探ろうとしてくれるなら、そうならぼくは、君に応えたい。

 君に答えを返したい。

 ぼくがまだ君の友人であれるなら、ぼくはせいぜいそれにしがみつこう。

 君がぼくを見限るまで、ぼくはその友情を探り出そう。

 君と一緒に。

 未練がましくも、君の友人であり続けたいぼくだから。

「ね、ヒーくん。」と、思考に沈む雪橋を引き戻す少女の呼声。

「なんぞ?」と、何事もなかったように、彼は返事を返す。

 祠堂美園の姉との件を考えていた事はおくびにも出さない。

 祠堂美園がそうであったとして、祠堂沙奈江が今現在彼をどう思ってくれているのか?

 彼女が彼を見限っていることはあり得ても、それは自分で確かめなければならんだろう。

 見限られていたならば、その怒りも嫌悪も、憎悪も、甘んじて受けよう。

 そしてもし見限られていないならば、ぼくはやはり、君とそれを探りだそう。罵られながら、嫌われながら。

「私は君の助けになれたかな?」

 綾辻翠は話を続ける。

「うん?」

 だが、彼は首を傾げて訝しむ。

 どうにも話の繋がりが読み取れない。

「この間、君が東京に行っている時に、話したかった事なんだけどね。」

 と、ちょっと恥ずかしそうに俯いて、語りだす。

「私さ、今回、かなり君に迷惑かけたじゃない?」

 泣いちゃってさ、と気恥ずかしそうに呟く。

「それでね、私は君に、随分助けられたと思うの。」

「へえ?」

「だからね、お返しがしたいの。」

 彼女は、彼の前に立って、その目を覗きこむ。

「君が困っている時、君が苦しい時、私が君を助けたいの。」

「ふぅん?」

「だから、ね、言って。助けが必要な時は、きっと私を頼って。ね?」

「…そっか。」

 ありがたい話だ。

 願ってもない申し出だ。

 きっとこれ以上にないほどに、喜ばしい申し出だろう。

 彼女は彼から受け取った物を理解している。

 そして彼女はそれと同じだけの物を、彼に返したいと考えている。

 彼はそれを友情と呼んだ。

 だから彼女もそれを友情と呼んだ。

 いやはや。

 困った困った。

 ポリポリと、彼は頬を掻く。

「じゃあ、綾辻。早速で悪いんだけど、少しだけ助けてくれないかな?」

「どーんと来い!」

 彼女は胸を張る。

 背筋を少しそらし気味に伸ばし、グッと、力強く引き結んだ唇。

 彼に向けられる目は真剣そのもので、眉間に刻まれたシワが、ちゃんと消えてくれるか少し心配になる。

「うん。ちょっとそのまま。」

「うん?」

 首をかしげる彼女。

 彼はそっと近づいて、少し屈んで、そうして彼女の細い肩を抱きしめた。

 彼女の肩に乗る顔は、耳が触れ合う程に近く、彼女の髪がほほをくすぐる。

 柔らかく彼女の肩を抱く腕が感じる彼女の体温。

 掌に伝わる、衣服と筋肉に包まれた細い骨格の硬さ。

 仄かに、甘い香りに浸る。

「よし。」と言って、彼は、硬直して立つ彼女を離す。

 彼女は、口をぽかんと開けて、雲の数でも数えていたのか、空をみあげて放心のてい

 そして小型犬がごとく、プルプルと微振動を起こしている。

「な、な、なぁあああああああああああああ!?」

 彼女は叫んだ。

 腹の底から叫んだ。

「なに今の!? なに今の!? ちょっと、なに今の!?」

「ありがとう。とても助かった。」

「なに!? なに!? 私はいったいあなたの何を助けたの!?」

 未だ事態を把握できずに混乱の極みにある彼女。

「セクハラ! セクハラ! 今のセクハラ!」

 カバンを振り回して、追いかけてくる彼女を躱して、雪橋悠。

 いたずら好きな、その少年はただ笑うばかり。

この物語はこれにて完結です。

お読みいただきた皆様、ありがとうございます。

そして連載当初から読んでいただいた皆様、更新期間に一年近い間が開いてしまい申し訳ありません。

そして誤字脱字が多くて申し訳ありません。

もう修正しましたが、「終幕」の部分で一箇所「新島明奈」のはずが「綾辻翠」になっていた箇所には背筋が凍りました。申し訳ない。


そして第一章あたりでハーレム物を期待された方には結構エグい事したかと存じますが、すみません、これはそういう企画で作りました。


原稿用紙300枚以上となる物語を書いたのはこれが初めてとなりますが、はたしてうまく書けているのか。

自分がやりたかった事は概ね投入できた気がしますが、なにぶん探り探りなところが多い執筆となりました。


伏線をどうやってそれとなく配置するかというところと、対話の有り様だけを気にして作った様な物語ですが、キャラクターのやりとりを楽しんでいただけたなら、幸いです。

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