夜のホームで
ガタンと、重たげな音を立てて、列車がホームを出た。
夜闇に沈む住宅街が、金網の向こうに見える。
そして雪橋悠は、まだホームで天井を仰いでいた。
神保町で買い求めた書籍の束を、神父が抱える聖書が如く抱きながら、ボンヤリと、天井灯がジジジと唸る様子を観察している。
「あ。」
呟いて、彼は腕時計を見る。
時刻はまだ9時半。
まだ、そんな時間だったが、些か致命的な時間だった。
「わぁ〜。」
言いながら、両手両足を投げ出して、駅のベンチで脱力する。
「しまったなぁ。」
などと一人声を漏らす少年。
ピリリと、携帯電話が着信音を鳴らす。
「はいっは〜い。ゆっきばしさぁんでっすよぉう。」
歩廊の屋根の合間から覗く夜空を見ようと、仰け反りながら彼は応えた。
「どしたのヒーくん。何か悪いものでも食べた?」
と電話越しに少女の声。
「おっやこっれは? 綾辻さん、じゃぁなっいですかぁ。どっしました? 元気でっすか? ぼっか元気でぇす。」
のけぞったまま彼は言う。
「ゴメン。何? 頭打った?」
「ひっどいなぁ。おちゃめじゃないっすかぁ。そっんな、おっこんないでくぅださぁいYO。…あぁ、ダッル。」
そして、腹の底から息を吐き切るような、深い呼吸。
「あの、雪橋、くん? その、大丈夫? ねえ、ちょっと、その、…怖いんだけど。」と、真面目な声。
「いや、一寸寝ぼけてみただけだ。悪いな。もう戻す。」
パンっと撥ねるように、のけぞって弛緩した躰を引き戻し、ずり落ちる寸前まで席の手前に出ていた腰を、一息に席の深くに落ち着ける。
「んで? どうかしたのかい綾辻。こんな時間に電話たぁ、また珍しいじゃないか。」
膝に肘をつきながら、幾分猫背気味の様子で大股開いてデンと座る。
「ん? いや、なにしてるかなぁって思って。」
「そうだねぇ。些か物思いに耽っていたよ。」
アハハぁと、乾いた様な笑いを漏らす。
「ね、ちょっと顔出せない? 近所の公園とか、どこでもいいんだけど、ちょっと会えないかな?」
「用があるってわけじゃないけど」と彼女は小さく付け足す。
「う〜ん。今晩は難しいねぇ。便宜を図りたいと思うのだけれど、二人の物理的な距離がそれを阻むのだよ。」
彼は言う。
そういえば夏休みの宿題でまだ終わってないのがあったが彼女は終えているだろうか、などとくだらない事を考えながら。
「なにそれ? 小説か何か? 君、今いったいどこに居るの?」
「うん?」と一瞬首をひねって、ああ、さっきの言い回しの事かと領解する。
「いや、東京に来てるんだよ。オープンキャンパスってやつでさ。三日目になるなぁ。」
「ああ、東京なんだね。それは遠いね。そっか。」
ちょっと残念そうな声をだして、そうして、何事か思案するような短な沈黙が降りる。
「ね、いつ頃帰ってくるの?」
「明日には、帰る、よ?」
「なんで疑問形?」
「いやぁ、特に深い意味は無いんだよ。ホントだよ?」
「変なの。」
呆れたように、彼女は言った。
そうやって、しばらくあれこれと取り留めもない話をして電話を切る。
腕時計を確認する。
時刻は10時10分。
「アス、カエル」と母にメールを打つ。
送信すると、すぐさま返信が来た。
「オロカ、ナリ」との文面を読み上げて、苦笑する。
西へ向かう新幹線。
品川駅から、今夜はもう、出ない。
ここまでお読み下さりありがとうございます。
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