決別を
ぼくは今、東京に来ている。
オープンキャンパスというやつだ。
2泊3日で、ついでに観光していく体で、主に観光している。
志望校の様子を見て、公開講義を聴いて、適当に切り上げて、そして神保町などをうろついてきた所だ。
まあ、古書や希少本を収集する趣味は特にないのだが、通過儀礼のような物だ。
そして今、夕日を浴びた歩廊の上、ベンチに腰掛けて携帯電話を操作する。
携帯電話の、メールフォルダから、メールを1件、保護を解除して、削除した。2年前の冬の日付。
「あの書店はどうだったかな?」
笑いながら彼女は言った。
笑っている。
「いい品揃えだと思ったよ。値が張って、手が出ない本が多かったけど、まあ、それでも2、3探していた絶版の本が見つかったし。いい買い物ができた。」
言いながら、傍らに置かれた袋を叩く。
「君がお勧めしただけのことはあるね。」
「そう言ってもらえると嬉しいね。あの喫茶店には行ったかい?」
「ああ、行ったよ。言われた通り、チーズタルトとカプチーノを頂いてきた。確かに絶品だね。」
喋りながら、ぼくはまた一つ、メールの保護を解除し、削除した。
2年前の冬の日付。
「恵比寿の写真美術館は行ったかな?」
「うん。まあ、君の言っていた展示はもう終わってるわけだけどね。」
「三好の現代美術館には行ったかな?」
「うん。君の言っていた展示ではなかったけど、なかなか面白いのが見れたよ。」
そうして、彼女と話しながら、ぼくは一つ、また一つとメールを消していく。2年前の冬の日付。
「できれば、六本木の国立新美術館の展示も見て欲しかったけどね。」
「無茶を言うなよ。1日2日で行けるところなんて限られてるだろう。展示物はゆっくり見たいんだ。足を運ぶだけで手一杯だよ。」
10分とかからずに、携帯電話の中にあった保護済みのメールは全て削除された。
もともと、そんなに数が有ったわけではない。
消す気になれば、あっという間に消えてしまう。
そう、たった7件のメールなんだ。
すぐに消えてなくなる。
そんな僅かな繋がりに、すがるようにしてここまで来て、本当にぼくはバカなんじゃないかと思えてしまう。
「事実、莫迦なのだろうね。」
彼女はくすくすと笑う。
「うん。噛み締めてるよ。少しはましに成りたいね。」
「ましにはなっているんじゃないかな? ただ、君の理想も君の成長に比例して大きくなっていくのだろうね。」
「そうかもしれないね。」
天井灯が点灯するのを眺めながら、ふうっと、一つため息を吐く。
ここに来てから、ぼくはため息ばかりついている。
「息が詰まるのだろうね。」
歩廊の天井を見るぼくには、彼女の顔が見えない。
だが、間違いなく、意地悪く笑っていることだろう。
知っている。
分かっている。
自分がこれから何をするのか。
自分がこれから何をしなければいけないのか。
分かっている。
きっと、ずっとわかっていた。
また一つため息を吐く。
誰かに前に進む様促した人間が、自分は前に進もうとしないなんて、そんな事あっちゃダメだろう。
「この2年、色んな本を読んだよ。」
「そうだね。」
「心理学にせよ、神話学にせよ、教育学にせよ何にせよ、何か役に立ちそうな内容の物は結構読んだつもりだ。」
「そうだね。」
「ぼくは分かりたかった。自分がいったい、どういう物事の中で生きているのか。ぼくの回りのいろんなことが、どういう理由でそう成っているのか。」
「そうだね。」
「色んなことが、分かったと思う。色んなことが、意味を持ったと思う。」
「そうだね。」
「昔の事を思い出すと、いつも思うんだ。なんでぼくの思考はあんなにも霞がかかっていたんだろうか。なんでもっとクリアに物事が見れなかったんだろうか。なんであんなにも視野狭窄を起こしていたんだろうか。って、そんな風に思うんだ。」
「そうだね。」
「ぼくはきっと、信じていたんだろう。独我論的な世界を。」
「そうだね。」
「ぼくはきっと、信じられなかったんだ。ぼくに関わる何かが、ぼくと全く無関係に喪われてしまうという事を。」
「そうだね。」
「だから、ぼく、は、あの、あの事を、沙奈江に、聞いて、でも、信じ、られなかった、んだ。」
「そうだね。」
「きっと、何かの、間違いだろうって、いや、あの、事、自体は、別に疑わなかった。疑わ、なかった、はず、なんだ。」
「そうだね。」
「腑に落ちなかった、んだ。納得、できなかったん、だ。」
「そうだね。」
「どこかに、あると、思っていたんだ。それを、理解、する、何かが。何か、取っ掛かりに、なる、何かが。繋がっている、はずだと、思ったんだ。思ったんだ。」
「見つかったかな、それは?」
「いいや。結局、ぼくがその時、その場に、居なかった。それに至る、長い時間、ぼくは関われ、なかった。その不在が、どうしようもなく、深い溝になって、横たわって、ぼくを、そこから、断絶する。」
「そっか。」
「理解できないんだ。」
「そっか。」
ぼくは、そこで、一息吐く。
詰まった息を吐き出し、呼吸を整える。
「ぼくは結局、愚か者なんだよ。」
「そうなのかい?」
顔を掌で覆う。
ゆっくりとその凹凸を確かめるように顔を拭う。
「君と色んな話をした。」
「うん。」
「それを何度も思い出した。」
「うん。」
「それを何度も検証した。」
「うん。」
「何度も考えた。君だったら、ぼくになんと言うだろうかって。」
「うん。」
一息つく。
深く深く、息をする。
「君は、沙奈江の親友だった。」
「うん。」
「君に、早蕨は恋慕してしまった。」
「うん。」
「君は、高校に上がると同時に転校して行った。」
「うん。」
「その君が、2年前の冬、ぼくらとまったく無関係に死んでしまったということが、ぼくには理解できないんだ。」
薄暗がりの歩廊をぼくは見る。
輪郭が溶けた人型の影がそこに居る。
ぼくはもう、それがどんな顔をしていたか思い出せない。
ぼくはもう、それがどんな声をしていたか思い出せない。
日々の残骸の中に埋もれて消えて行くのを、辛うじて掴み出した彼女から来た最後の7件のメール。
ぼくが好きだった人と交えた幾つかの会話の記憶。
ぼくが亡霊に仕立てあげたそれをここに置いていく。
ぼくが描き続けた幻は、もうここでみんな終わりにしよう。
ぼくを抱きとめてくれる人はもう、君じゃない。
君じゃないということを、ぼくは思い知らないといけない。
だからぼくは、ぼくの描いた幻に彼女の死を告げる。
彼女は、ここに居ない。
彼女は、もう、どうしようもなく死んでいる。
ああ、ぼくは思い知らないといけない。
彼女は、もうどこにも居ないのだ。
ぼくが新島明奈と認めていたそれは、夜闇に溶けて消える前に、微笑んだ気がした。
ここまでお読み下さりありがとうございます。
研究のため、意図や意味の読み取りにくい箇所がありましたらお知らせ頂けますと助かります。
また、前後の展開と矛盾する設定・表記等お気づきになられましたらご指摘いただけますと助かります。




