夕日の歩廊
例えば自分の気分が落ち込んでいる時。
別に泣きたいわけではない。
別に叫びたいわけではない。
ただ少し、誰かの体温が恋しくて、誰かを抱きしめていたい時があるとしよう。
その時、その抱きしめたい相手が特定の誰かだとしよう。
その特定の誰かしらに対して、自分が抱いている感情はいったい、なんであろうか?
そんな話を犀原文目嬢にしたところ、「それはもう、恋だよ。」と断定されてしまった。
それが、この程めでたく恋人ができた彼女が、些かおめでたい発想に傾倒しているからと一笑に付すのはたやすい事だが、こと恋愛に関して彼女のほうが一日の長が有る以上、無下にはできない。
いやはや困った困ったと、ぼくは今、思っているわけだ。
「困ることがあるのかい?」
問われて、思う。
困り事の前に、落ち込んでいる。
ぼくはこれで、めでたく一人の友人の恋を成熟させたキューピッドになって、一人の友人の長い片想いを台無しにしたクソ野郎となったわけだから。
多少、落ち込んでも仕方ないだろう。
と、そう思う。
「それは、行動を起こす前からわかっていたことじゃないかい? 今更だよ。」
そう、今更だ。
わかっていたことだ。
わかっていなければいけないことだ。
だから、簡単に後悔してはいけない。
だから、簡単に落ち込んではいけない。
それを踏まえても尚、ぼくは落ち込んでいる。
だから、ぼくはその人を求めるのだろう。
「困り事はそれだけかい?」
制服姿の新島が笑う。
笑いながら問う。
駅のホーム。
夕日が彼女の背後から射している。
「情けない気分になることなら他にもあるね。」
ぼくはため息を吐きながらそう言った。
「それはそれは。」
まるでめでたい事を聞いたみたいな顔をして、彼女は笑う。
「色々ね、君とのやりとりを思い返したりしていて、最近わかったことがあるんだよ。」
「そうなのかい?」
「うん。そして実に情けない気分になっている次第だよ。」
「そうかい。それはぜひ、何に気付いたのか伺いたいものだね。」
と彼女はいつになく朗らかな顔で言う。
ぼくは嘆息する。
肺の中から、身体中から、息という息を吐き出してしまいたい気分だった。
「どうやらぼくは、君のことが特別に好きだったらしい。」
それはぼくの紛れも無い本音のはずだったけど、口に出した途端、なんだか芝居の台詞を棒読みする様な空虚さを感じてしまう。
「それはありがとう。」
彼女は変わらない笑顔でそう言った。
「しかし君、そんなことに気付くのに、2年かかるとは、なかなかどうして、大した愚か者っぷりだね。」
「2年。そうだね。いや、2年半かな。それとも、君と初めて会った4年前までさかのぼったほうが良いのかな。」
「そこまでは遡る必要はない。君は私に初めて会った瞬間に恋に落ちたりはしないよ。」
断定されてしまった。
まあ、その通りなので特に反論はしない。
どんなに遡ってみたところで、最早大した意味など無い。
結局のところ手遅れなのだから。
時間は不可逆。
その時、気づけなかったなら、その話はもうそれでお終いだ。
気づけなかったというただその結果だけを残して、時間は更に流れていく。
だがそれがどれほど無意味でも、そこにいかなる生産性がなかったとしても、ぼくはそれでも問いかけてしまうのだ。
「じゃあ、いったいいつなんだろうね。ぼくはいつ、自分の感情に気づくべきだったんだろうね。」
どうしようもうなく、この後悔がぼくの胸を抉るのだ。
「それは私に聞くことじゃないよ、雪橋君。」
夕日を浴びる彼女のシルエット。
列車の来ない駅の歩廊で彼女は踊るように手を伸ばす。
彼女は笑っている。
影絵の様になって、輪郭しか分からない。
でも分かっている。
彼女は笑っている。
ここまでお読み下さりありがとうございます。
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