夕暮れの散歩道
夕日を浴びる道。
少年は一人歩く。
ヒグラシの音と、家々から聞こえる家事の音。
突然、なりだした携帯電話の着信音。
雪橋悠はそれをジーンズのポケットから取り出して、直ぐに通話を開始する。
「あ、どうも、猪野尾さん。」
電話の相手は、猪野尾忠彦。
「え? 生まれて初めて愛の告白を受けた?
「おめでとうございます。で、返事はしたんですか?
「ああ、まだですか。まあ、そうですよね。
「そんな唐突に言われたらびっくりしちゃいますよね。アハハ。
「まあ、じゃあゆっくり考えて答えを出すのが良いんじゃないですか?
「もともとそういうつもりだったと思いますけど。
「え? 相手がどのくらい待ってくれそうかってか? そんなの相手しだいでしょう?
「はあ、相手が言うだけ言って飛び出していった?
「そんなことも有るかもしれませんね。
「まあ、2週間ほどゆっくり考えたらいいんじゃないですかね。アハハ。」
電話を切って、即座にまた別な番号に電話する。
「あ、アヤメさん。どうも。
「今、猪野尾さんから誰かに愛の告白を受けたって聴いたんですけど、アヤメさんついに告ったんですか?
「え、違う? いやぁ、それは失敗したなぁ。違う人でしたか。
「え? それで猪野尾さんがどうしたかって? とりあえず返事は保留でしばらく悩むみたいですよ。
「まあ、1週間くらいじゃないですかね。あの人、即断苦手ですし、慣れてない展開でしょうから。
「アヤメさんも早いとこ手打ったほうが良いですね。
「ええ。そうですか、頑張りますか。
「では、ご健闘を。」
電話を切ってふぅっと、一息つく。
とても長く、面倒な仕事をやり終えた風に、息を吐く。
「先輩はやはり鬼畜ですね。」
電話を終えた雪橋悠に、少女が声を掛ける。
「おや、ミソノちゃん。奇遇だね。」
カバンも持たず、気楽な格好。
散歩にでも出ていたのかもしれない。
「しかし、立ち聞きはあまり関心しないなぁ。」
「少し心配していましたので。姉が貴方に電話しているのを聞きました。猪野尾忠彦の家に行くと。自分からわざわざ行く気になったということは、まあ、そういうことなのでしょう。」
と、彼女は弁明する。
「立ち聞きは関心しないなぁ。」
「ご容赦くださいな。姉を想う故です。」
二人は並んで歩く。
帰路は概ね同じ。
「先輩はやはり、”姉の味方”ではないのですね。」
「”アヤメさんの味方”でも居たいと思っているだけだよ。」
「”どっちもに味方する”事はできないでしょう。これは一人だけが報われる話なのですから。」
「だからと言って、ぼくが選ぶ事柄なんて何もないよ。」
道ばたの自動販売機で飲料を2つ。
甘めのココアとカプチーノ。
「結局のところ選ぶのは当人達なんだから。」
ココアを祠堂美園に手渡して、彼はカプチーノの缶を開けた。
「そう考えていらっしゃるなら、どうしてわざわざ姉をあのアパートまで連れて行ったのですか? 今回だけならまだわかりますが、今年の春頃から、何度も姉をあの扉の前まで連れて行っていらっしゃいましたよね。面倒がる姉を、言いくるめて、何度も。」
「そこまで強引におせっかいをやいたつもりはないけどね。行きたいと思っているのを、渋っているのを多少”しょうがないから行ってやる”って理由付けを与えてあげただけで。それに、当人は案外乗り気なほうだったと思うよ? お気に入りの格好で気合入れてたし。」
「先輩にしては、それはまた随分おせっかいを焼いているますね。」
「どうにも、こじらせてるみたいだからね。」
わざわざ浪人して、彼の通う大学に再挑戦しようなどと思うくらいに。
すべり止めで受かった大学を全て蹴ってしまうくらいに。
「先輩はいつからご存知だったのですか? 姉の片想いについて。」
「3年前から。」
早蕨秀弥と祠堂沙奈江の両方が猪野尾忠彦を家庭教師にしていた頃から。
「ミソノちゃんは、ずっと知らないままだった?」
「わたしはまだ小学生でしたし、中学受験は塾通いでしたからね。その頃の様子はよくしらないんですよ。受験で神経質になっていたわたくしと姉を遠ざけておく意図もあったのでしょうね。姉が誰かを恋慕しているのは存じていましたが、それが猪野尾忠彦であると知ったのはつい最近です。そうですね、依然先輩から猪野尾忠彦の話を振られたあたりから、少し姉の様子と結びつける様になりましたでしょうかね。」
チラリと、探りを入れる様な眼を少年に向ける。
ひょっとしたら、以前その話題を振られたのは彼が彼女に探りを入れていたのではないかと。
だが彼は何かを気にする様子もなく、「そう」と短く応じてカプチーノを口にするだけだった。
「しかし、そのまま放っておけば良かったんじゃないんですか?」
と、彼女は話を戻す。少し不服そうな表情だ。
「結構、放っておいたよ。舞台を見上げて憧れていても、舞台に上がりたいと本気で思っているかは別だからね。でももう、けりつけさせてあげないと辛いかなっと。」
「たいへん大きなお世話だと怒られそうですね。」
いい気味だと、その表情が言っている。
「そうかもしれない。うん。だからきっとこれはぼくが納得したいだけなんだろう。」
「そういう言い方、少し卑怯じゃありません? 例えそうであったとしても、先輩の行動は色々な人を巻き込んでいるんですから。」
「ぼくの示せる友情の形はそういう形しかないんでね。ぼくは彼女らの友人でいるつもりで、できる限りの事はしたいと思っている。でも当面の問題については部外者でしかない。ぼくにはそれに関わる何事に対しても、決定権を持ち合わせていない。だからせめて、二人のスタートラインは、同じところに引いて上げたいと、そう思っただけだよ。」
「残念ながら、わたくしはその”アヤメさん”を存じ上げていません。だから、共感いたしかねます。」
「うん、それはそうだと思うよ。だから”お姉さんの味方”で居てあげてよ。」
「今からわたくしを引きあわせたりはしないんですね。」
「そうした場合、君は友人を裏切る事になると思うよ。アヤメさんといずれ仲良くなったとしても、今君は”姉の味方”でしか居られないでしょう。」
「だから紹介するならことが全部終わってからと、そういうことですか。」
「そういうこと。」
「古来より、人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死んでしまうそうですよ。」
「その場合ぼくはどうしたって死んでしまうね。」
祠堂沙奈江の恋慕を知っていた。
犀原文目の恋慕を知っていた。
そして二人が、その感情に実を結ばせたいと、そう想った事を知っていた。
二人共が友人で、二人共の味方でいたいと想った。
どちらを、あるいはどちらも、助けたところで、助けなかったところで、それは反対から見れば妨害でしかない。
「姉は、貴方が味方である事を信じていたでしょうね。」
「そうかもね。”ぼくがこうすることを知っていた”みたいな事は都合いい展開を期待しすぎだろうね。
「ぼくにできる最大限の支援は、あの扉の前まで彼女を連れて行くことと、その道中彼女の不安を引き受けること。ぼくはそれを最大限行うつもりだったし、それを最大限行ったと自負している。でもね、彼女を最大限助けたいと想ったところで、他の友人を蔑ろにしたいとは思わないんだよ。だから、例えそれが彼女への妨害となったとしても、ぼくは他の友人にできる支援は行うと、そう決めたんだよ。
「どちらのためにも何もしないという選択もあるけれど、ぼくはそれは是としない。だって、それこそ本当に友達がいがないじゃあないか。」
「どうして、そう言ってあげなかったんですか?」
「知る必要があるとは思えないからだけど。君の姉は、犀原文目の恋慕を知らないし、彼女と親しいわけでもない。どっか自分の知らないところに恋敵が居るかもしれない程度の話だよ。」
「保身の様に聞こえますね。」
「そうかもしえれないね。」
「八方美人は嫌われますよ。」
「うん、知ってる。でも、友人に順位付けしたいとは微塵も思わないな。」
「貴方は結局、誰の味方でもないんですね。」
「”見守る”と”見捨てる”は実に似ていると思っているね。」
彼は悪びれる様子もなく、はぐらかすように思わせぶりな台詞を口にする。
「だからわたくしは、先輩が嫌いです。」
「うん、知ってる。」
泣きそうな顔で嫌悪を伝える彼女に、彼は苦笑交じりにそう言った。
ここまでお読み下さりありがとうございます。
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