図書室
凶悪なモーニングコールと、図書室での会話
「おはようございます先輩。」
目を開けて、まず天井が目に入って、次に雪橋悠の目に入ったのは、祠堂美園の顔だった。
「…」
「おや、無言なのですか? かわいい後輩に起こされて、寝起きの挨拶をしているというこのシチュエーションにいかしたコメントの一つもないのですか?」
無言のまま、雪橋悠は「待った」とばかりに手をかざし、祠堂美園の膝を指先で乱打する。
力はそれほど加えていない。
「先輩、例えわたくしと先輩の中とはいえ、女子の生膝をそう無遠慮に触るのはどうかと思います。」
などと言いながら、わざとらしく恥ずかしげな表情を作ってくる。
スッパーン!
と、派手な音を立てて、雪橋悠は祠堂美園の膝を平手打ち。
なにやらキャン! などと可愛らしげな声がした。
「痛いですねぇ。酷いですねぇ。まったく、跡ができたじゃないですか。」
彼女はスッと、立ち上がって、膝にできた平手の跡を確かめる。
のっそりと、雪橋悠は状態を起こす。
ゆっくりと呼吸を整えて言う。
「寝ている、人の、腹に、座る奴が、あるか。」
ペロリと小さく舌を出して、祠堂美園は笑ってみせる。
つい今しがたまで、重圧にうなされる雪橋悠の腹の上で正座して、学校の自動販売機に新しく追加された抹茶ラテをゆっくりじっくり味わっていた祠堂美園であったが、彼女は一先ず、上体を起こした雪橋悠の前に座り直した。
「改めまして、おはようございます。」
「おう、おはよう。」
「めずらしく、あからさまに不機嫌な顔をされていますね先輩。」
「目覚めが最悪だったからな。」
「何をおっしゃいます。目が覚めたら棺に詰められて土葬されていたとか、火葬される寸前だったとかいった目覚めに比べたら、全然良いじゃないですか〜」
「なんだそれは。映画の話か?」
「ええ、昨晩の洋画劇場でやってました。それにしても…」と、背をのけぞらせて本棚の間から顔を出し、室内の様子をうかがう。
「あんな派手な音を立てて、勉強している皆さんに申し訳ないとは思わないのですか先輩」
「さっさとどかないお前が悪いんだろう。人の腹に座るってお前、10キロの米を乗せられるのだって相当だぞ、それを貴様、人一人乗っかるって、どんな拷問だよ」
彼らは本棚のレーンの間に居る。
とはいえ、壁に垂直に据えられた本棚。
奥に行っても壁しか無い。
本棚にある書籍に連絡するため以外に用をなさない通路である。
よって、人気のない分野の書籍のレーンは誰も訪れない。
もっとも、ただでさえ人の居ないレーンに、横になって寝ている人間がいたらまず踏み込んだりするまい。
「つまり先輩は迷惑な人なのです。」
「だから拷問されても仕方ないとでも言うのか。」
「そんなこと言ってないじゃないですか。酷い被害妄想ですね。」
やれやれとばかりに首を振る少女。
その顔にはりついたニヤケ面を張り倒したくなるものの、耐え忍ぶ雪橋悠。
声を荒げて文句の一つでも言ってやりたいところだが、そういうわけにもいかない。
彼らの通う学校は、中高一貫型の私立校で、わざわざ学術強化補修を行う程度に大学進学を視野にいれた学校である。
当然ながら、進学への意識が高い生徒も多く、図書室での勉強会はよく見る風景だ。
本校の図書室は、それほど騒いでいるわけでもなければ特に注意される事もない。
そう言った勉強会で多少ガヤガヤとなるのは生徒の意識に対してプラスであろうと判断しての事だろう。
多少賑わった喫茶店程度には騒がしいわけである。
だからといって、そんな和気あいあいした雰囲気の中、声を荒げて怒りをぶちまけるほど理性を失ってはいない。
常々彼は理性的な人間で在りたいと考えている。
あるいは、それも言い訳だろうか?
などと雪橋悠は自問する。
「とにかく、今度からは気持ち良く睡眠を満喫している人をみかけてもその無防備な腹に座ろうとしてはいけません」
「失礼しました。先輩を図書室で見かけるのがあまりに久しぶりだったので、具体的には2年ぶりくらいだったので、思わず座ってしまいました」
「人間の腹部は決して"思わず"座ってしまう場所ではないと思う」
「これでも自重したのですよ。本当は飛び乗りたい勢いでしたので」
「それはただの飛び膝蹴りだ」
「可愛らしい愛情表現じゃないですか」
「なんて恐ろしい事を吐かしやがる。貴様、まさか"愛情表現"と言っておけば何でも許されるとか思っとらんだろうな」
「ギクリ」
「口で言っちゃったよ」
などと言いながらファンキーな外人よろしく大仰な仕草で呆れて見せる。
「それで? ミソノちゃんはなんでまた図書室に?」
「勤勉な生徒が夏休みに図書室でやることなんて決まり切ってるじゃあないですか。」
「ああ、夕方まで涼みに来たんだね。」
「やめてください、先輩じゃあるまいし。その理由がメインなわけないじゃないですか。」
「部室で大富豪に熱中していたら追い出されたんだね。」
「む〜…」
反論してこないところを見るとどうやら正解の様だ。
「だよねぇ。まさか君が補修の予習復習とか、今から大学受験を見据えて勉学に励むとか、そんな勤勉な生徒みたいなことするはずないよね。」
「そんな事ありませんよ。例えばきっかけが何であれ、わたくしは今、勉学への熱意が燃えに燃えています。」
「そうかい。では勉学に励むがいいよ勤勉な生徒が如く。ぼくはここであと二時間ほど眠るとしよう、自堕落な生徒である故に。」
「わざわざ倒置法で宣言していただいたところ誠恐縮ですが、それは許されません。」
「なに故?」
首を傾げる雪橋悠に、祠堂美園はコホンと一つ咳払い。
「わたくしお勉強教えてほしいなぁ、センパ〜イ♡」
小さな拳を顎に寄せて、計算されつくされた角度に上体を傾斜させ、芸術的な上目遣いとともに彼女はそう言った。
「うわ、ウザ」
祠堂美園はコホンとまた一つ咳払い。
「う〜ん。予想していた対応とは言え、酷いですね。改めて酷いですね。つくづく酷い人ですね先輩。」
「人の事を酷い酷いと三回も言うとは君もなかなか酷い奴だな。だいたいそういうのは早蕨とやれよ。」
「秀弥さんは翠先輩と楽しく談笑しているようだったのでおいてきました」
「おっと」
刹那、少女の愛らしい瞳が、鋭く猛禽のごとく光る。
「どうかしましたか、先輩。」
「いんや、別に。」
「なんだか不自然な反応をされた気がしますが?」
「そりゃ、ぼくは人間だからね。極めて人為的な反応をするさ。」
「人為的であることは不自然であることと同義ではありませんよ?」
「自然の対義に人為があるのだから、同義でなくても類義ではありえるんでないかい?」
「とんでも理論ですね。空想科学読本とかでバッサリ斬られるがいいですよ」
「せいぜい白刃取りの練習でもしておくとするよ」
祠堂美園はコホンとさらに一つ咳払い。
「先輩、わたくしに隠し事がありませんか?」
「うん? 君のお姉さんの件ならもう特に隠し立てしてないよ。」
「お姉の件以外で、です。」
「取り立ててないな、隠し事は。」
言わないことならいくらでもあるけどねと、内心呟く。
少女はしばし少年を睨むも、彼は飄々とした様子でそれを受け流す。
「むむむ」
「どうしたんだい真面目な顔をして。まるで真面目な子みたいじゃないか。」
「わたくしは充分に真面目な生徒です。」
「なら図書室で抹茶ラテを飲むな。」
「そこは普段の真面目さに免じて大目に見てください。」
「どこが真面目か。」
「もう。話をはぐらかしてばかりですね。いいですよ。とにかく、わたくしの勉強を見て下さい。」
「いいさ。乗りかかった船だ。波動方程式とユークリッド幾何学の極意を教えてやる。」
「そんな無駄に高度な知識でいたいけな受験生を混乱に陥れようとしないで下さい。だいたい、先輩は人に教えられるほど極めてないでしょう、それ。」
「バレたか。」
そうして、彼らは外国文学の棚を後にする。
ここまでお読み下さりありがとうございます。
研究のため、意図や意味の読み取りにくい箇所がありましたらお知らせ頂けますと助かります。
また、前後の展開と矛盾する設定・表記等お気づきになられましたらご指摘いただけますと助かります。




