ある日の帰りに2人で寄り道
不機嫌な少女に足の甲を踏まれ続ける雪橋悠。
文庫本を片手に、駅のホームに立つ雪橋悠。
今日は、ホームの奥まで歩く気にはなれない。
庇の下でも空気が温く、ジットリとまとわり付く。
日差しは差すように強く、濃い陰影が眼に痛い。
ジ〜ワ、 ジ〜ワと鳴く蝉の声が、耳鳴りのようにやかましい。
パラリと、彼はページを捲る。
額に浮かんだ汗が、ゆっくりと頬を伝って、アゴの先からアスファルトに落ちた。
コツリ、と靴底がアスファルトを打つ音がする。
やたら近くに響いたその音に、「うん?」と、彼は本から視線を上げで、左隣を見やる。
白いウナジが眼に入った。
そう長くも無い髪を、琥珀色の髪飾りで涼しげにまとめた少女の後頭部。
体は雪橋と同じ様に、線路の方を真直ぐに向いているのに、首だけは硬い決意を持って左へ向いていた。
誰か待っているにしても、実に不自然な体勢で、その少女はなめらかなウナジを雪橋に向けているのであった。
雪橋はしばらくそのウナジを眺めていたが、最終的に、静かに読書に戻る事を選んだ。
パラリ、とページを捲る、僅かに紙の擦れる音。
「イッタッ!」
少女に無言でつま先を踏みしだかれて、雪橋は思わず声を出す。
「何すんの?」
ちょっと語気が荒くなるのを感じながら、彼は隣の少女に言った。
答えは返ってこない。
ため息を吐いて、また文庫本に視線を移す。
しばらく立って、から、眉根を寄せて雪橋は言う。
「踵で靴を踏むのをやめてくれませんか、綾辻さん?」
パタリと、文庫本にしおりを挟んで閉じる。
ふんっ、とそっぽを向いたままではあったものの、隣の少女は脚をどける。
「さっきから、まったく、なんなんだよ?」
隣の少女は何も言わない。
「話したくないなら、それでいいけど。」
ぱらりと、また文庫本を開こうとする。
「とりあず、足を踏むのを止めろ。」
パタンと、文庫本を閉じて鞄にしまう。
少女はまた、脚を戻す。
「どうしたいわけ?」
「…どうもしませんよ。」
つっけんどんな返答を返す少女。
「いや、お前は何がしたい訳だよ。んな不機嫌で。」
「別に不機嫌じゃないですよ。」
「なんで丁寧語?」
「いいじゃないですか、別に。」
「まあ、確かに別に良いっちゃ良いんだけど。」
言うと、ムッとした顔でまたソッポ向く。
まったく何がしたいのかわからない、と彼は内心ぼやく物の、無下にもできず、なんとなしに言葉を紡ぐ。
「補講どうよ?」
「どうでもいいでしょ?」
「予備校とか行ってたっけ?」
「あなたに関係あるの?」
「志望校はそのまま?」
「わたしの勝手でしょ?」
にべも無い返答を返されてばかり。
不機嫌だ。
理由は半分までは分かっている。
先日の件が尾を引いているのだろう。
ただここに一つ問題がある。
先日の件が原因で有る事は分かっているが、先日の件の理由が今一つ彼は分かっていなかった。
そして彼自身、それを分かっていないと言う事を含めて、理解はしていた。
実に困った。
謝ればいいのであるが、はてさて、何について謝ればいいのかが検討もつかない。
いま下手に謝れば、彼女が怒っている理由が分からない事を謝る事になる。
謝りが誤りであったなんてそんな下手なダジャレみたいな事に。
そしてそれはそれで彼女を怒らせる事だろう、とそこまで予想は立つ。
だから早急に、先日の件の原因を解明する必要があるのだが、さて。
「乗らないの?」
と彼女の方から話題を振ってきた。
見れば、既に電車が到着していて、彼女は乗車している。
扉の辺りで、こちらを睨むように眺めている。
「いや、乗るよ。」
と、彼も続いて乗車する。
「座る?」
「あなたは座るの?」
「うんにゃ、遠慮しとく。」
「じゃあ、わたしも座らない。」
「そう?」
「そう。」
はあ、とため息一つ、彼は色々諦めた。
「この間の件だけど…」
「なに?」
「ごめん、君が何に怒ったのかわからない。」
そう正直に伝えると、彼女はグッと顔を寄せて、下から見上げるように、彼を睨む。
発車のベルが歩廊に響き、電車のどこかの機関から、蒸気を上げる音がする。
グッと、溜める様な慣性の働きを全身で感じて、ガタンゴトン、と電車は周期的な振動を線路から拾い始める。
ガタンゴトン。
ガタンゴトン。
「まあ、そうでしょうね。」
と彼女は言って、顔を放した。
ペタリと、閉じたドアに頭を着けて、頭上の電光掲示板を見るとなく見ている。
「それがわかるあなたなら、わたしは今このような苛立ちを感じていないわけですよ。」
「まこと、すみません。」
「分かってた事なんだけどね。だからといって割り切れる物でもないの。腹立つことには変わりがないの。」
「申し訳ない。」
「あんまりわたし独り苛々してるのも、八つ当たりしてるみたいだから嫌なんだけどさ、でもごめん、軽くローキックくらいは大目にみてね。」
「甘んじて受けます。」
「よろしい。」
「ついでに、何にお怒りか教えていただけると助かります。」
雪橋がそう言うと、綾辻翠は、グッと鋭い視線を彼に向ける。
「やだ。」
にべも無く、彼女は言う。
「何があっても絶対に教えてなんてあげない。」
そう言ってまた、彼女はソッポを向く。
ここで文庫本を取り出そう物なら延髄蹴りでも飛んでくるのだろうと、いい加減学習した雪橋悠は、不貞腐れる彼女の横に、黙って立っている事を選んだ。
「ねえ。」
「なんでしょう、綾辻さん。」
「映画連れてってよ。」
「映画?」
「うん。それでチャラにしてあげる。色々不満だけど。」
「何か面白いそうなのやってる?」
「見たいのないの?」
「取り立てて。最近話題の映画は良く知りません。」
「そこはあなたが選んで男を見せるところでしょ?」
「はたしてそうだろうか? 今一度考えて欲しい。それは失敗へと直結する選択ではなかろうか?」
「わたしに選ばせる気?」
「じゃあ、最寄りの映画館行って適当に選ぶか?」
「まあ、それでいいわよ」
そうして2人、愚にも付かない恋愛映画を見た後、散々主役の男性の意気地の無さについて酷評する綾辻の話を映画の倍の時間喫茶店で聞いて、別れる事となる。
「ねぇ、ヒー君。」
「なんだいね?」
「わたしって面倒くさいかな?」
「人並みに。」
「そこは否定しなさいよ。」
「根が正直者なもので。」
「嘘ばっかり。」
別れ際、彼女がいつも通りに笑っていることに、少しばかりほっとする。
ここまでお読み下さりありがとうございます。
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