幸福と価値と存在意義について
図書室での会話
夕方の図書室。
夏は日が長くて、外が明るいのに、もう随分な時間になってしまった。
「ふと思ったんだけど」
と、時計を確認したことなどとは全く関係ない事をぼくは口にする。
左斜後ろで、「うん?」と新島が顔を上げる気配がする。
「よく言うレゾン=デートルってなんなんだろう?」
「それを敢えて問うからには、それは単に『存在意義』という訳語について知りたいという事ではないということだね?」
「うん。うん? いや、結局知りたい事はそういう事なのかもしれない。もちろん、存在意義っていう言葉が知りたかったわけではないけど」
「存在意義とはそもそも如何なる存在であるか、とまあ、そういう疑問なわけだね?」
「そうそう。それそれ」
「しかし君、それはそのまま『存在することの意義』という説明で済むのではないかい?」
「どうもそれだとしっくり来ないんだ」
「どのあたりに? もう少しヒントをくれないと、君の思考が理解しがたいよ」
「そうだね。うん。言葉足らずでごめん」
そうとは言った物の、僕自身、自分の思考が彼女に伝えきれる程把握できていなかった。「違和感が有る」と、単にその程度の認識しか持ち合わせていないのだ。その違和感が大層気持ち悪いのだからどうにかしたい訳なのだが、どうにかするための助けの請いかたが判然としない。
「つまりぼくの存在意義ってなんだろうってことかな?」
「いや、それは私が解答を提示する類いの疑問ではないよ」
「うん、ごめん。自分で言っていてそう思った。違うんだ。君に訊きたかったのはもう少し別のポイントなんだよ。」
「でないと困るね」
「そうだね。どう答えた所で納得の得られない疑問に答えさせられる事ほど苦痛な事はないからね」
「いや、私はそれをそこまで苦痛とは考えないけど。しかし、困るのは事実だね。もう少し、君の疑問の周辺から話してくれないかな?」
「う〜ん。まあ、ぼくがぼくの存在意義がなんなのかよくわからないってところから話がはじまるかな、そしたら。」
「いいよ。続けて。」
「なんだろうね、つまり、ぼくらはこのまま高校を卒業して、大学に入って、そして就職して、結婚して、家庭を持って、定年を迎えて、そして死ぬわけじゃない。」
「いや、別に人生そうと決まったわけでもないだろう。」
「うん。決まってないのは分かるんだけど、それが基本的なレールじゃないか。」
「まあ、そうだね。」
「それを思うとさ、ぼくは死ぬ瞬間絶対思うと思うんだよ『俺の人生一体なんだったんだろう』って。」
「じゃあ、別の道を歩むと良いよ。」
「まあ、そうなるわな。」
「え? 終わり?」
「いや、終わらない終わらない。でもじゃあ、他のどんな道をぼくは選べばいいのだろうか? 後悔しない道なんてないだろう。でもできるだけ後悔の少ない道を選びたい。でもじゃあ、ぼくは一体何を基準にそれを選択したらいいのだろう。ぼくにとって最善の道ってなんなんだろう? ぼくが求める人生ってなんなんだろう? ぼくは一体人生になにをもとめるべきなんだろう? と、まあ、そんな事を思ってしまうわけなのですよ。」
「感想を言っていいかな?」
「どうぞ。」
「君は優柔不断で考えすぎだ。」
「随分遠慮がないな。」
「君と私の仲だからね。人生の基本は、小さな選択の積み重ねだと私は思う。」
「そうだね。」
「君はその小さな選択に逐一迷っている。」
「容赦ないね。」
「君は人生を俯瞰して見過ぎなんじゃないか? 人生そう末端まで計算高く計画的に、かつ満足して生きようなんて、君の思考力のキャパシティーを明らかに越えているよ。」
「本気で刺しにくるね。しかし、死を見つめて生きる事はあるべき生き方じゃないのか?」
「それは別に否定しないよ。でも、それは月に一遍思い出せばいい事であって、君みたいに何か選択する度にその問題を呼び出していては、誰だってままならないよ。」
「ぼくがそんなに頻繁にそんなこと考えてるってお前に話した事あったっけ?」
「ないよ。でもそうしてるだろう。」
「恐れ入る。」
「君は合理的に物事を判断しようとして、非効率な方法に頼っているんだよ。もう少し気楽に構えなよ。」
「ああ、まあ、その論点に関しては、お前の助言を全面的に支持したいと思うよ。」
「他の論点があるわけだね?」
「うん。さっきの話だがさ、ぼくらは何を基準にその選択を行えばいいんだ? 万事適当にとか、面白いほうにとか、それはある程度の事はそれでこなしてしまって良いと思うけれど、それで済ませるわけには行かない問題ってあるんじゃないか?」
「常識的な判断をしなさいよ。」
「その常識が、定年退職を迎える会社員の人生なんじゃないのか?」
「あ〜少し分かってきた。君は、基本的に価値観に対して懐疑的なんだね。それが幸福であると言われている事が、幸福であると信仰できないわけだ。それがさっきの存在意義の話に戻るわけか。『幸福とは何か』は、『人間の存在意義』に非常に近しいから」
「うん。それだそれ。でもそれだと、『ぼくは何をすると幸せなのでしょう』って訊いてる事になるな。それはなんか違う。」
「でもそういう事だろう?」
「そうなるのか。」
「うん。そして解答はさっきと同じ。私が解答できる設問ではないよ。」
「そうなるか。」
「うん。そりゃね、高度経済成長期なら、会社員勤めを君の幸福だと言いきれただろうね。あるいは、冷戦構造下なら、共産主義撲滅、はたまた共産主義の確立、時代を下って第二次世界大戦下の日本なら、国に仕えて散りなさいとか、君が戦国時代の武士だったら、一国一城の主になれとか、色々いえるんだろうけどね。でもね、価値が人それぞれだっていう今現在、私が君に出してあげられる結論なんて無いよ。」
「教師に言えば、とりあえず勉強しろとか返してくるかね?」
「まあ、それは先生しだいだろうね。結局、その人が信じている幸せの形が違えば、出てくる解答も違うんだ。だから、正答が提示できないよ、私には。だからそれは、君が君の手で探していくしかないんだよ。」
「そうなの?」
「だって君、誰かが『これが君の幸せだ』って言われても、『ふざけるな!』って言って投げ捨てるでしょ?」
「うん。その自信あるわ。」
「君にとって、君の存在意義は、他の誰かから与えられる物ではあり得ないんだよ。なら、君が見出すしか無いじゃないか。」
「そうか。でもさ、泣き言めいて嫌だけど、それが分からないまま生きるのってなんか結構辛いよ?」
「そうだろうね。だって、いかだの上に立って海を渡る様な物だもの。さらに言えば、今にも崩れて海に放り出されそうな気がする。」
「不安定で、心許ないわけだ。それが辛さにつながるわけだ。」
「まあ、考えても始まらない事だけど、きっと君は考え続けない訳にはいかないんだろうね。」
「結論が出せない事にはね。」
「だから、君の感情が少しでも動く物を大切にしないといけないよ。君はそこに何かしらの価値を感じ取っているという事なんだから。」
「一時の気の迷いって事もあるだろう?」
「それは、なんていうのかな、木を見て森を見た気になって、終いに森がなかったから木もなかったんだって結論するような物だよ。君の気を迷わす物がそこには確かにあったんだ。それまで否定したらダメだよ。」
「そっか。」
「うん。価値を見出すのはほかならぬ人間なんだ。君自身なんだ。それを、忘れたらダメだよ。それを忘れて、あれもこれも、全部本質じゃない要素だって思って取っ払っちゃったら、何にも残らないよ。タマネギの芯を探すみたいな話さ。終いには、君は何にも価値を見出せなくなってしまうよ。何もかもが意味のない、価値のない、薄っぺらな偽物に見えてくるよ。『偽物』は『本物』が有って初めて成立するのに、『偽物』しかない世界を君は自分の中で作っちゃうんだ。そしてね、一度そこまで踏み込んじゃうと、どんなに言葉を費やして理解しても、君は世界が『本物』で有る事を信じられなくなっちゃうんだよ。それはとても辛いよ。」
「気をつけるよ。」
彼女の言葉は、とても説得力があった。おかげでその言葉を素直に受け取る事ができた。ただ、それを素直に実行できるかというと、あまり自信がない。
ぼくは何に価値を見出しているのだろう?
そんな物があっただろうか?
いや、そうだった、それは見つけて行かないといけないんだったか。
「話したら少し楽になった気がするよ。」
「そうかい。それは、よかった。」
「うん、ありがとう。」
「どういたしまいて。」
言いながら、彼女は少しぎこちなく笑う。
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