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住宅街の午後

 インターホンを鳴らして、そのまま把手に手をかける。

 ガコンっと、金属の打ち合う音がする。

「うん?」

 鍵が掛かっているらしい。

 ガチャン、ガチャンと、念のため2、3度把手を引いてみるも、やはり鍵が掛かっている様子。

 所は川沿いの木造アパート。

 猪野尾忠彦の部屋の前。

「ありゃま。」

 と額を掻くのは雪橋悠。

「でかけちゃったかな?」

 と独り言ちると、すたすたと歩き出す。

 7月半ば。

 曇り後晴れ。

 うだるような暑い午後。

 大学の受講講義を全てレポート提出方式の物に固め、試験期間中アパートにこもって読書と執筆に耽って、地元へも戻らずに半ば夏休みを開始していた猪野尾忠彦だったが、あいにくと不在らしい。

「さてさて、どうしたものか。」

「いないの?」

「多分ね。」

「ふ〜ん? まあ、またどこか旅立ってるんじゃないの? バイク無いし。」

「ああ、本当だ。というか、気付いていたなら教えてくれよ。」

「いいじゃない。大した距離じゃないのだから。」

 良いながら、麦わら帽子の縁を玩ぶ祠堂沙奈江。

「まあ、100歩とないけどさ。」

 アパート前の居住者用の駐車場。

 その脇にバイク用の駐輪場がある。

 普段は猪野尾が所有しているオートバイがそこに停めてあるのだが、今はその姿がない。

「本借りたかったんだけどな。」

 と、ハードカバーの書籍の角で頭を掻く雪橋。

「…返したかったの?」

「返して、借りたかったの。」

「いないんじゃしかたないじゃない。」

「そうだね。借りるのも返すのも。返却本をポストに突っ込んどく訳にも行かないし。」

「そう? 別に気にしないと思うけど、あの人は。」

「帰って来る前に雨でも降ったら大事(おおごと)だよ。」

「別に野ざらしじゃないのだから、問題ないでしょ?」

「夏場の湿気をバカにしちゃあいけねぇよ? 特に雨上がりなんかは。」

「まあ、川沿いでカビが酷いとか言ってたし、そうかもね。」

 二人はアパートを辞して、夏日射す道路を行く。

 住宅街の道。

 子供の歓声は聞こえない。

 木造屋の中からテレビの声が漏れ聞こえ、焼き魚の匂いが漂ってくる。

 チリ〜ンチリンとなる風鈴の音は最早珍しく、遠くの大通りからバスの発車音が聞こえてくる。

「どっかで涼んでいく?」

「いい。もう帰るから。」

「そう。」

 遠くの工場から響くサイレンの音。

 重く響くその音が空一面に木霊している気がした。

「ね。あの()と仲良いの?」

「うん? 誰と?」

「この間ユキの家に来てた()。」

「さあ? 普通じゃないかな。」

「普通に仲よくて家までやってくるんだ。へ〜。」

「別におかしかないでしょ。」

「いやいや。なに言ってんの。そんなわけないでしょうに。」

「そう?」

「そうよ。フフフフ。ついにユキにも春が訪れた訳だ。」

「それは気のせいだと思うな。」

「え〜。あっさり否定しないでよ。」

「広げる事でもないでしょう。」

「つまんない〜。」

 はいはい、と軽くあしらって、彼は空を見上げる。

「なに? また雲さがしてるの?」

「う〜ん。入道雲って意外とレアなのかな?」

「たまに『竜の巣か!』って言うのを見かけるけどね。」

「あ〜あるね〜。なんかワクワクしちゃうんだよな。特に突入するわけでもないけど。」

「あははは。」

 カラカラ、カラカラ、風車が回る。

 地蔵のお堂に備えられた缶コーヒー。

「また2、3日居ないのかな?」

「さあ? ちょっと買い物とかじゃないならそうなんじゃない?」

「たまに野宿して、あとはひたすら走り続けて、みたいな形かな。」

「だいたい長旅はそうだよね、あの人。」

「いいな〜、バイク。」

「どこか行きたい所でもあるの?」

「そういう訳でもないんだけどさ。」

 どこへでも行けそうだとか、なんだか自由な気がするとか、そんな言葉が彼の脳裏をよぎったが、言わない事にした。

 なんだかそれを言うのは気恥ずかしい気がした。

 同意を得られるという気もしない。

「買ったらさ…。」

「うん?」

「バイク。」

「ああ、うん。」

「後ろ、乗せてよ。」

「本当に好きな相手は後ろ乗っける物じゃないらしいよ。」

「あら? じゃあダメって事?」

「うんや。全然オッケーってこと。」

「あ〜、殴りたいわ〜。」

「脇腹を拳でグリグリしないでください。」

ここまでお読み下さりありがとうございます。

研究のため、意図や意味の読み取りにくい箇所がありましたらお知らせ頂けますと助かります。

また、前後の展開と矛盾する設定・表記等お気づきになられましたらご指摘いただけますと助かります。

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