電車の中
電車の中で二人。
放課後。
帰宅途中。
いつもの駅。
線路を眺めている。
鋼鉄の平行線。
連続する枕木。
街の合間を抜けていくレール。
それは制約に閉ざされた道筋である。
されどその行く果ては、今あるここから酷く遠い気がした。
駅のアナウンスが何か言っている。
ああ、電車が来るのだ、と雪橋悠は思う。
ゆっくりと近づいてくる車両。
甲高く鳴くブレーキの音。
近づいてくるヘッドライトの光。
黄色い線の後ろにお下がりくださいとアナウンスが聞こえる。
ここから一歩踏み出して、車両の前に出たならば、どうなるのだろう?
と、そこで手首をつかまれた。
「ダメだよ?」
振り返ると、綾辻翠がニコニコと立っていた。
「なにが?」
「さて、何がでしょう? 聡明なヒーくんならば理解しているのではないでしょうか?」
ニコニコと、おどけたしぐさで彼女は言う。
「さあ、とんと心当たりがないな。」
黄色い線の内側へ歩を進めながら彼は言う。
「それならそれで良いんだけどね。」
ニコニコと、彼女はそう言う。でもつかんだ手を放す気配はない。
「前にもこうした事あったよね〜。」
「そうだっけ?」
「おや? ヒーくんには女の子に手を握ってもらえる事態は記憶するに値しないということですかな?」
「…覚えてるよ。」
「なに〜? どうしたの〜? てれちゃったの〜? そんな意識されるとはずかし〜な〜。」
「じゃあ、とりあえず手を放せ。」
「そうだね〜。」
言って、彼女は素直に手を放す。
放す直前、グッと、力強く握られた手の感触が、柔らかく、暖かく、彼の手首に残る。
「乗ろ?」と言って彼女は話したばかりの彼の手をまた取って、今来たばかりの電車に乗る。
車両には、疎らながら人がいる。
4人掛けのボックス席にはちらほらと人がいて、空のボックスはない。
二人はつり革につかまって、並んで立つ。
「あの時は冬だっけね〜。」
「続けるのか、その回想。」
「うん。」
少し意地悪げに微笑んで、彼の反応をうかがうように彼女は目を細める。
「もっと黄昏の色がいっぱいで、キレイだったの覚えてるな〜。」
「そっか。」
「それで、ホームにでたらさ、あなたが今日みたいに立っててね。」
「うん。」
「それでやっぱりやって来る電車をじっと見ててね。」
「そうだっけ。」
「それで思わずあなたの腕をつかんじゃったのさ。」
「そうなんだ。」
「なんか反応薄いな〜。何かあったの?」
む〜と、唸りながら彼女は雪橋を睨む。
少しばかり素っ気なかったかな、と彼は反省する。
「いや。ただ、どうしてその回想を引き続き君が語るのかを不思議に思っているだけだよ。」
「うん。ちょっとね、確認。」
「確認? なんの?」
「あなたとわたしとの間にある秘密について。」
「…まだ怒ってんのか。」
「怒っちゃいないよ〜。怒っちゃいないけどさ〜、なんだか悔しいじゃない。仲の良いはずの友達二人がわたしに内緒の秘密を持っていて、その話でなんだか盛り上がっているのに、わたし一人はのけ者なんだもん。」
「のけ者ってわけじゃないんだけど…。」
「でも教えてくれない。」
「それは、ごめん。」
「うん。きっと言えない内容なんだな、とか、わたしが関わってない所でのすっごい立ち入った話なんだなって、それは分かるから、訊かない。」
「助かるよ。」
「でも悔しいの。」
ぷ〜っと、頬を膨らませ、視線を流れる町並みに移す綾辻。
「わかるんだけど、すっごいもやもやしてね。ちょっと収まりがつかないんだ、これが。」
は〜っと、嘆息。そして視線を雪橋の目に、まっすぐに戻す。
「だから、秘密の確認。早蕨くんが知らない、わたしとあなたの間の秘密。」
「そっか。」
その視線に耐えかねて、雪橋悠はそっと視線を逸らす。
ガタンゴトン、と一定のリズムが続く。
足下から伝わる緩やかな振動。
「ごめんね。きっと、わたしにも知られたくなかった何かなんだよね?」
一寸、沈黙の後彼女はそう告げた。
「君という人物にはまったく頭が下がるよ。」
それに気付いてしまえる事にも、それを謝ってしまえる事にも。
きっとぼくにはできない事だ、と彼は思う。
「それで、何か変わっちゃいそうなのかな? 今のままみんな仲良しって訳には行かなくなっちゃう?」
「いいや。色々くすぶるとは思うけど、概ねは今まで通り。みんなでバカやっていこうよ。とりあえずは卒業まで。」
「ふ〜ん? あなたはそれで良いんだ?」
「何が?」
「前から気になってたんだけどさ。訊いていい?」
「なに?」
「美園ちゃんと付き合おうとか思った事無い?」
「無いな。」
「即答だね。」
「いろんな人に訊かれたからな〜。」
「じゃあさ、もう一つ訊いていい?」
「なに?」
「沙奈江さんと付き合おうと思った事無い?」
「うん。ない。」
「これまた即答だね。」
「なんでそれが気になるん?」
「あんなに二人ともヒーくんと仲良しなのに、早蕨くんが付き合ってたから。それがすっごい不思議なの。だから、ヒーくんはどうだったのかなって。」
「…あれ、知ってたの?」
「うん? 沙奈江さんが早蕨くんと付き合ってた事? そりゃ知ってますよ。恋する乙女の情報網なめてもらっちゃ困ります。」
「自分を乙女と言ってしまうのか。」
「悪いか。」
「ふくらはぎを蹴るな。」
「というか、ひょっとしてわたしに内緒にしようとしてたのってそれ?」
「まあ、その件。」
大枠では、と内心注釈をつけつつ、彼はそう言った。
「秘密でも何でもないじゃない。そんなのちょっと辿れば直ぐ分かっちゃうよ。なんか拍子抜け〜。秘密しょぼい〜。」
「いろいろあるのだよ、それでも。」
「まあ、当人としてはあまりいろんな人に話したがらない内容なのだろうとは、なんとなく理解できるけどね〜。でもその程度の事をわたしに伏せようとしていたという事がなんかショック。」
「その埋め合わせは、またぼくがするのか?」
「え、してくれないの?」
「いや、するけどさ。」
「えへへ〜。じゃエスプレッソ・ビバーチェ。」
「はいはい。」
ガタンゴトンと電車は進む。
予定された進路を、予定された時刻のまま。
「ね、ヒーくん。きっと訊いちゃダメだと思うんだけどさ、訊かせて欲しいんだけど、いい?」
「なに?」
「どうして二人はダメだったの? その、恋人としてってことだけど。」
「さあ? ただ、そんな気にならなかったってだけだから。」
「あんなに仲良いのに? もはやラブでラブしちゃってる感じなのに?」
「そう見える?」
「見える。」
「でも多分、あれは違うんだと思う。なんとなくだけど。」
「そっか。なんとなくか。」
「うん。」
「あ〜、難儀だな〜。」
「え、何が?」
「色々。」
「よくわからないな。」
「分からなくていいの。これはヒーくんには内緒の話だから。」
「君、実はだいぶ怒ってるだろう。」
「さあ? ドーナツも付けば収まるかもね〜。」
「はいはい。仰せのままに。」
「むふふふ。」
ガタンゴトンと電車は進む。
予定された進路を、予定された時刻のまま。
それでも、確かにぼくらを運んでゆく。
ここまでお読み下さりありがとうございます。
研究のため、意図や意味の読み取りにくい箇所がありましたらお知らせ頂けますと助かります。
また、前後の展開と矛盾する設定・表記等お気づきになられましたらご指摘いただけますと助かります。




