襲来
自室に襲来した彼女
雪橋悠が自室のベッドに寝転がって、工場の写真集を眺めていた所、携帯電話は鳴った。湿気った空気が鬱陶しい夜の事である。
液晶画面には知らない番号が明滅していた。
3コール程、番号を眺めて待ってみたが、切れる様子はない。
「はい?」
「こんばんわ、先輩。」
電話の相手は祠堂美園だった。
「あれ、ミソノちゃん? ぼくの番号知ってたんだ?」
「はい。実は秀弥さんから聴いていました。もう少しびっくりイベントを発生させるようにネタとしてこの番号は仕込んでおきたかったのですが、少々緊急を要する用事ができましたので仕方なく使う事にしました。断腸の思いです。そして自分からわたくしに番号を教えに来ない先輩の根性のなさには失望を禁じ得ません。」
「うん。その暴言は長くなりそうかい?」
「いえ。これでしまいです。挨拶だと思って軽く流してください。」
「それで、どの辺に緊急性を感じればいいのかな、ぼくは?」
「わたくしから先輩に電話をしているという一点に感じていただければ十全です。」
「はあ。で、本題は?」
「先輩はひょっとして、携帯電話で雑談に耽る事がお嫌いな人種なのでしょうか?」
「いや、緊急なんでしょ?」
「そうですね、失礼いたしました。先輩の声を聴いたらついいつもの調子になってしまいました。」
えへん、と一声咳払い。仕切り直しという事か。
「え〜、っとですね。先輩。」
「ん?」
「わたくしは早蕨秀弥さんとお付き合いしているじゃないですか。」
「そうだね。」
「安心してください。先輩に恋愛相談をするほど追いつめられてませんので。」
「そういう心遣いはいいから。」
「失礼しました。え〜、おつきあいしているんですよ。1月から。」
「そうだね。」
「みんなで神宮へ行った時です。」
「うん知ってる。」
「それで、ですね。」
「なに?」
「先輩は、それを応援してくれるって言ったじゃないですか。」
「言ったかも知れないね。とくに邪魔する要素も思い当たらないし。」
「え〜、その時、もう一つ言ってた事ありましたよね?」
「あったっけ?」
「はい。」
「何だっけ?」
「覚えてません?」
「うん。」
「え〜っとですね。」
「だいぶ言いづらそうだね。」
「ええ、まあ。」
「ぼくはなんて言ったんだっけ。どうもあんまりよく覚えてないんだ。」
「まあ、お姉のことなんですけど。」
「うん? あいつがどうかしたっけ?」
「秀弥さんと色々あって、ちょっとこんがらがった感情を抱いているからまだしばらく話すのは止めておいたほうが良い、と。」
「言ったっけ?」
「はい。」
「ふ〜ん? で、それのどの辺が緊急なの?」
「あ〜まあ、もう分かっちゃう頃だと思うんですけどね。」
「まったく分からない。」
「いえ、そういう事ではないのですが。まあ、今姉がそちらにうかがいますのでよろしくご対応下さいということなのですよ。」
「喋ったという事か。」
雪橋の言葉に応じるのはプー、プーという電話が切れた事を知らせる機械音だけ。ブツっと電話が切れる寸前、「ごめんなさい!」という音声が遠目に入っていたような気もしないでもない。
さてコンビニへでも行くかと雪橋悠が立ち上がったところ、振り返った目の前に祠堂沙奈江がにこにこ立っていた。
「こんばんわ、ユキ。」
「やあ、こんばんわ。今夜はいちだんとキレイだね。」
「そう? ありがとう。それがなんでだか分かるかしら?」
「さあ、血行がよくなる運動でもしたのかな?」
「特にしていないわ、ユキ。血は煮えたぎる様な気分だけど。」
「大変だね。アイスノン脇に挟んどくかい?」
「あははは。とりあえず、お話しましょうか、雪橋くん。」
促されて、雪橋は腰を下ろす。なぜか正座してしまった。
その正面に、祠堂沙奈江が座る。同じく正座で、腕組みをして、にこにこと。
「さて、わたしに何か言う事はない?」
「キレイだね。」
「ほかに。」
「愛してるよ。」
「ねえ、ユキ。わたし今そういう冗談に付き合ってる気分じゃないの。わたしに黙ってる事、あるわよね?」
「色々あるね。」
「例えば?」
「中2の頃君が好きだったとか。」
「冗談に付き合う気分じゃないって言ったでしょ?」
「冗談でもないけれど。」
「そうだとしても、 今はどうでも良い。」
ほだされる様子がまるでない。雪橋は諦めて本題に触れる事にする。
「妹さんからどこまで聴いてる?」
「教えない。あなたが知っている事を言いなさい。」
口裏合わせは封じられたか、と内心舌打ちする。
「二人が付き合ってるという事は知ってた。」
「ええ。今日聴いたわ。なんで黙ってたわけ?」
「まだ気持ちの整理が必要かと思って。」
「大きなお世話ね。わたしがそれを知ったら、台無しにしに行くと思った?」
「多少はね。でも、君が傷つくのではなかろうかとお節介をした部分もある。」
「お節介ね間違いなく。」
「妹さんにはもう話したの? お前が早蕨と付き合ってた事。」
「いいえ。あの子に知る必要があるとは特に思わないし、今更わたしがどうこうする事でもないでしょう。」
「そう。」
「ただ、あなたがわたしに黙っていた事が許せない。」
「申し訳ない。」
「わたしたちはあの日、去年の暮れに終わったの。それはもう完膚無きまでに。その事であなたに心配される言われはないし、妹に迷惑かける気もないわ。」
「早蕨と話す気はある?」
「ごめん被るわ。なんで今更。」
「いや、その気がないなら別にいい。」
「あなたの、そういう言い方、わたしキライだわ。」
「悪ね、癖なんだ。」
ふんっと、彼女はソッポを向く。
そして押し黙る。言うべき事を言い切ったか、あるいは言いたい事がありすぎて言葉にならないか。
「お茶のむ?」
「いただく。」
そうして、半時ほど、彼女は雪橋の部屋で過ごした。
何をするでもなく、そこに座って、時たま思い出したように彼が注いだお茶を飲む。
あるいは可愛がっていた妹が巣立っていって寂しいのか。
きっとそばに誰かいて欲しかったのだろう。
そう思いながら、雪橋悠は常のごとく、彼女に特に構わずにいた。
「ねえ、ユキ。」
「ん?」
「あなたは、大丈夫そうなの?」
「うん? 質問の意図がよくわからないな?」
「わからないなら、いい。」
「ですか。」
「ですよ。あ〜あ。ここに来るまでは、絶対顔面に一撃ぶち込んでやるって思ってたのに、なんか気が抜けちゃったわ。」
「恐ろしい事を考えるな君。」
「考えてただけよ。いいじゃない。」
「まあ、考えるだけなら。」
「そう、考えてみただけよ。それだけ。」
ここまでお読み下さりありがとうございます。
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