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中庭

本来の用途を失った場所。

「お〜い、雪橋。お客さん。」

 クラスメイトからそう言われて、雪橋悠は顔を上げる。カバンに諸々詰め込んで、絶賛帰宅準備中の所であった。

 彼に声をかけたクラスメイト、彼は実の所苗字さえ曖昧にしか覚えていない。確かKから始まったと思ったが、彼の脳内検索エンジンは回答に至らない。

 しかしながら、実用上それは大した問題ではなかった。

「客?」

「おう。そこに。」と、そのクラスメイトは教室の外を指す。

「ん?」

 外には特に誰も見当たらない。ひょっとして、このクラスメイトは今更霊感にめざめたとか言い出すのだろうかと若干いぶかっていると、「なんか、ちっちゃい女の子。」と言い残してさっさと自分の席に帰っていった。

 和服の幼児でも幻視してしまったのだろうか?

 だとすると彼はきっと手遅れだろう。ご冥福を。

 そんなどうでもいい事を考えながら、雪橋悠は教室を出た。

「あ、先輩。」と、いつにないか細い声が、左下方から聞こえてきた。

「よっ、ミソノちゃん。元気?」

 これまで明確な言及をしていなかったが、祠堂美園は長身なほうではない。身長140そこそこといった感じだろうか。身長180弱の雪橋から見ると、随分下の方に頭がある。

 確かに「ちっちゃい女の子」のたぐいかもしれない。

「さあ、元気と言っていい物かどうか。」

「なんだ、珍しい。」

 言うと、彼女は少し口を尖らせる。不機嫌らしい。

 思い当たる節が無きにしもあらず。

 保身の意思を持って彼はその話題を追求しないことにした。

「で、どうしたの? こっちの棟まで来るなんて、これまた珍しいじゃん。」

 以前言及したことがあったかもしれないが、雪橋悠が居るのは高等部3年のみが利用するいわば大学受験生専用棟。高等部3年以外の生徒を見かける事などほぼ皆無と言っていい。中等部3年であるところの祠堂美園とてその例外でない。中等部と高等部の棟が別れている事もあって、彼女と遭遇するのは全学年が利用する昇降口近辺か、特殊用途の教室近辺に限られていた。

 それに加え、これまでの彼女の振る舞いからは想像し難いかもしれないが 、彼女は激しい人見知りの気があり、知らない人の多い場所にはまず寄りつかない。アウェーでの活動は極めて限定的である。基本、ホームでしか生息しない生き物なのである。

「秀弥さん、見ませんでしたか?」

「ん? あいつ探してたの? さあ、気付いたら居なくなってたな。今教室にはいないみたいよ。」

「そうですか。」

 シュンッとうなだれる小動物。

「あの、先輩、昨日の事なんですけど…。」

「あれ、 ミソノちゃん! どうしたの?」

 入り口のところで立っている二人に気付き、帰り支度を済ませた綾辻がやってきた。

「あ、翠さん。お疲れさまです。」

「お疲れ〜。どうしたの? 珍しいじゃない。早蕨くん? 今どっかいっちゃったみたいね。ヒーくん知らない?」

「知らない。」

「ふ〜ん? どうしたんだろうね。なんか今日一日ずっと変だったし。」

「そうだっけ?」

「変だったよ。妙にテンション低くて、静かで、おまけに普段のあの、ぞうきんでぬぐっても落ちなさそうなにやけた顔が普通だったよ?」

「普通の顔していることはいい事じゃないか?」

「普段気持ち悪い顔してるのが普通の顔してるのって結構不気味だよ。」

「不気味と申すか。」

「不気味だよ。なんだか天変地異の予兆みたいで。」

「そら、大事だな。」

「大事だよ〜。あ、ごめんね、ミソノちゃん。あいつの事変に言って。」

「いえ、気にしません。」

 にこりと美園は笑う。綾辻の顔を見て少し元気が出たか。

「あ、ごめん。ちょっと買いたい物あるから、ぼく帰るな。」

「あ、お疲れ〜。」

「お疲れさまです先輩。」

 カバンを2つ取り、二人をおいて先に行く。

 美園は綾辻にまかせておけば大丈夫だろう。ぼくの出る幕じゃない。

 そんな、言い訳ともつかない考えを抱きながら、彼は教室を後にする。

 さて、この学校が複数の棟によって構成されている事は既に話した通りである。高等部、中等部、そして高等部3年用の棟。これら教室棟が、生徒たちが授業を受ける主な環境である。それ以外にも、体育館や武道場、また隣接する同資本の短大など、諸々の施設が集まっているのがこの学校である。幾度かの増改築、施設の追加を経て今の形がある。

 そうすると、どうしても発生するのが通路としての役割を終えた通路である。

 従来の姿では意味をなした通路が、途中、それまで計画になかった施設の追加により人の流れが変わってしまい意味を失うのである。

 そういう場所は、ある種の隠れ家的な魅力を孕んだスポットになる。

 そしてそういったスポットの一つが、「中庭」である。

 従来は、活気のある場所だったのだろう。生徒の憩いの場として活用される予定だったのだろう。よくわからない噴水らしき残骸がある事から察するに、そうだったのだと推測される。水が抜かれ、ひび割れたコンクリートから雑草が伸び、あまり一般受けする姿とは言い難かったが、かつてはそういう用途を想定していたのだろう。

 体育館、教室棟、体育倉庫などの施設によって四方を壁に囲まれ、各施設の隙間のごとき細く薄暗い通路を通ってしか至れない場所。通常学園生活をしている分にはまずその存在に気付かない。なぜなら、その隙間の様な道に踏み込もうと思わない限り、この中庭が存在している事自体わからないからである。

 薄暗い通路を抜けると、中庭の中央には日が差し込んで見えた。

 丁度、噴水のある辺りである。

 そこに先客がいた。

 噴水の縁に座って、ぼんやり日の差し込む辺りを眺めている。

「いよう、早蕨。」

 カバンを振り上げながら雪橋悠。

「珍しく黄昏(たそがれ)てるじゃないか。」

「おう、ユッキー。」

 ボスッと、みぞおちの辺りで投げられたカバンを受け取る。

「サンキュ。」

「いえいえ。」

 言いながら、カバンを置いて彼も噴水の縁に腰を下ろす。

「それで?」

「いや、思い返せば思い返すほどさ、昨日の事…。」

 ふうっと嘆息する早蕨秀弥。「昨日の事」とは、ショッピングモールでの遁走のことであろう。

「あ〜もう、恥ずかしい! ちょーカッコわりー! なんでこう、うまくできんかなぁ〜、も〜。へこむわ〜。」

「うぇへっへ。」

「笑うなよ。マジでへこんでんだから。」

「いや、笑うっしょ。なに、てんぱってんだよ、お前。」

「あ〜、ほんとにな。なんであそこで怒鳴っちまうかな〜。あ〜。ばかみてぇ〜。」

「ばかだばかだ。」

「なんでいきなり居るんだよ猪野尾さん。まじ勘弁してくれよ。心の準備とかあるだろうよ。おまけにアヤメさんまでいるし。見られたし。みっともねぇー。まじみっともねぇー。」

「けけけけ。」

「つーかさー、怒られてよくない? オレ怒られてよくない? なんであのひと何も言わんの? なんで目ぇ見開いてオレ見てんの? あの視線マジ心痛いわ。いやだわー。夢に見ちゃったらどうすんだよ。いたたまれんわ。」

「かかか。」

 ひたすら愚痴を吐き出す早蕨秀弥。その横で、それを笑って聴いている雪橋悠。

 そんなやり取りを小一時間ばかり続けたところで、早蕨が言った。

「なんか言ってた、猪野尾さん?」

「オレはあいつの友人になれなかったのだろうか。」

「へこむ。まじへこむ。」

「こんなに友情に充ち満ちてるのにな。な?」

「うっさいボケ。ほかすぞタコ。」

「なに県人だよお前。さっさと言っちまえよ『ぼくたち付き合ってるんです』って。」

「それができりゃさ〜、苦労せんのよ。悩まんのよ。も〜やだ〜。なんとかしてよユッキー。」

「どうにもならんね、こればっかりは。てめぇでなんとかしなさいな。」

「冷たいよユッキー、助けてよユッキー、頼りにしてんだからさユッキー。」

「まとわりつくな暑苦しい。」

 そうして二人、中庭で時間を潰す。しばらくして、「コンビニよろうぜ。」とどちらともなく立ち上がる。もう夕暮れ時で空が紅く色づいていた。

「ところでユッキー。」

「なんだね早蕨。」

「ここまだ翠にバレてないよな?」

「わからん。あいつに知られたスポットが既に二ケタになってしまったからな。ここはしばらく使ってなかったが、あいつの探索能力は侮り難いからな。」

「いやだわー。こんな姿女子にみられたらいやだわー。」

「『あら素敵、なんだか母性本能をくすぐられるわ』ってな展開がありえるじゃないか。」

「む。その展開は確かに魅力的だ。そして優しく胸に抱き寄せてくれるのだな。」

「うむ。『さあ、ここで泣いていいのよ』とな。」

 ざくりざくりと帰り道。

 蒸した空気がまだ暑い。

ここまでお読み下さりありがとうございます。

研究のため、意図や意味の読み取りにくい箇所がありましたらお知らせ頂けますと助かります。

また、前後の展開と矛盾する設定・表記等お気づきになられましたらご指摘いただけますと助かります。

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