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学生室にて

大学生2人プラスワン。

 高校という施設に比べ、大学と言う施設は大きい。私立大学となるとそれほどでもないのだが、国公立大学となると、基本的にバカでかい。書庫の主、猪野尾忠彦は現在大学生であるわけだが、彼の通う大学はそのバカでかい種類の物に当たる。

 総敷地面積42万8021平方メートル。

 端から端まで歩くのに徒歩ではだいぶんつらい。

 概ねの場合、ある程度専門分野ごとに棟が集中しているので、その広さが問題になる事は少ない。だが、受講する講義が他分野に渡る場合、非常に辛い事態に陥る。一つの講義が終わるたび、教室移動だけで休憩時間がなくなってしまうような事態だって存在し得る。履修登録の際はぜひそのあたりの可能性も踏まえて講義を選んで欲しい。この物語とはまったく関係のない話であるが。

 さて、大学正門からまっすぐに、進むと、小さな広場の様な所にでる。そこから左に見える背の高い棟は文科系の講義が主に行われる棟である。最上階まで吹き抜けになっているホールを抜けて、古びたエレベーターに乗って7階に上がると、いくつかの講義室と、教授の研究室が並ぶフロアに至る。そこから細い廊下を左に行くと、文学部日本文学科の学生室に行き当たる。

 長机が四つと、まばらに設置されたパイプ椅子。壁一面に辞書、辞典が並ぶ。

 なぜ国語辞典が十種類並んでいる必要があるのか、と当学科と関係のない人間は思う事であろう。

 しかしこれが必要なのである。

 この物語とまったく関係のない話なので説明は割愛する。

 この学生室の長机にしつらえたパイプ椅子の一つに、野球帽を目深に被った少年が腰を据えた。ぱらぱらと文庫本を読み始める。タイトルは『機関銃の社会史』。およそ日本文学科とは関係のなさそうな書籍である。

 学科と関係のなさそうな書籍を読んでいるからと言って、べつにいぶかられる事はない。学生室にはまばらながら人影が在り、めいめい、何やら調べ物か読書かに耽っている。学生室にしつらえられた3世代前のPCに張り付いてレポートに必死になっている学生もいる。

 互いに特に面識もなく、互いに特に仲が良いわけでも、仲が悪いわけでもなく、彼らはただそこで時間を過ごしていた。喫茶店にまばらに客がいるのとにたような物だと言えなくもない。コーヒーメーカーも絶賛稼働中だ。

 唐突にチャイムが流れ出す。午後の2つ目の講義が終わる時間だ。

 しばらくすると、がやがやと、向かいの講義室から学生が流れ込んでくる。

 かさばる荷物を学生室に置いて、講義に出ていた面々だろう。

 講義について話し合い、教授の冗談について話し合い、今から遊びに行く先について話し合い、がやがやと去っていく。

 その集団から外れて、一人女子学生がパイプ椅子に腰を下ろした。ちょうど、野球帽を被った少年の正面の席だ。

 くり色に染めたセミロングの髪と、やわらかな雰囲気。化粧っ気はあまりない。

 ちょっと人を探す風に学生室を見渡して、机に置いたトートバックのなかからハードカバーの専門書を取り出す。タイトルは『王の舞の民族学』。『王の舞』と呼ばれる日本古典芸能に関する研究所である。

 ぱらり、ぱらり、と数項、読んではめくる。

 項をめくるスピードは、とてもゆっくりとしている。

 そうして、頭痛がするのか、眼が疲れたのか、まぶたを押え、伸びをする。少し眠気がしたのかもしれない。

 と、彼女は正面の少年に気付く。

 いや、別に今の今まで少年の気配を感じなかったわけではない。

 ただ少し、おやっと思うところがあったらしい。

 少年は相変わらず読書に耽っている。

 彼女は首を傾げる。何かが琴線に触れた気がした。しかしそれが何かよくわからない。それが故に首を傾げる。と、彼女は少年の雰囲気に覚えがある事に気がついた。しかし、それは大学の知り合いと言う風ではない。はてな、とさらに首を傾げる。

 目深に被ったその帽子の中を、下から見上げる様に、相手の顔を窺うと、「ユキちゃん、なにしてんの。」と彼女は思わず声を上げた。

「おやアヤメさん。こんにちは。」

 ぱたりと本を閉じて、雪橋悠は帽子を取った。

「意外と時間がかかりましたね、気付くまで。」

「いやいや、何してんのほんとに。今日平日だよ?」

「本日、我が校はめでたく創立17周年を迎えましたとさ。」

「ああ、創立記念日なのね?」

「そういうこってございます。」

「いやいや、それでも何してんのこんなところで。ここは大学の学生室でしょ。」

「そうですね。畜産農家の牛小屋には見えません。」

「いや、見えたとしたら君はそこになんの用があるのよ。」

「乳でも搾るんですかね?」

「それってセクハラってことでいいのかな?」

「バカ言わないでください。セクハラするんだったらちゃんと乳もみしだくって、手の動きを交えながら言いますよ。」

「は〜い。やらなくていいからねぇ〜。おねぇさん、おこるよ〜。おこっちゃうよ〜。」

「失礼しました。」

「やけに素直ね。で、なにしに来たの。」

「まるで来ちゃいけなかったみたいに冷たく言いますね。」

「いや、来ないのが普通でしょ。一応関係者以外立ち入り禁止なんだよ? 例えご近所の皆様にお手軽散歩コースに選ばれている大学であっても。」

「国公立大学ってほんと誰でも入れますよね。」

「で、なにしに来たの? なんで学生室にいるわけ?」

「それは決まってるじゃないですか、アヤメさんに会いに来たに。」

「お。ウソだと分かっていてもちょっと嬉しくなっちゃうねそのセリフ。」

「アヤメさんって結構ちょろいんですかね?」

「そんな事はありません。」

「だって、ほめ殺しでころっとなびいちゃいそうじゃないですか。」

「冗談ではありません。おねぇさんそんなかるくないよぉ〜。お手軽じゃないよぉ〜。」

 と、そこでパタンと学生室の扉が閉まる音。

「いやぁ、在った在った。なんか隣の棚に移ってたよ。誰かが適当に返したんだろうな。」

 入ってきたのは猪野尾忠彦。

「ほら、お前が読みたいって言ってた本。」

「お! 有り難うございます。気になってたんですけど書店じゃおいてなくて。」

「あんたが連れてきたのか。」

「おう、文目(あやめ)。講義どうだった?」

「うん、まあ面白かったんじゃないかな。あんたには。」

「お前にゃどうだったんだよ。」

「ちんぷんかんぷん。」

「なんだよ。それじゃあお前に内容きけんじゃないか。」

「講義でないあんたが悪い。」

「あ〜。鹿野道は? 出席してたか?」

「居た。でも寝てた。」

「殴って起こせよ。」

「やめてよ。大きな音出ちゃうじゃない。」

「あのせんまい部屋で良く寝る気になるな。教授の真ん前じゃないか。」

「レポート大変だねって気遣われてた。」

「あ〜、それで済んじゃうのか。」

「あれは鹿野道くんの人徳だよ。あんたじゃ無理。」

「俺はそもそも寝ない。」

「そもそも出ないの間違いでしょう。いい加減出席数まずいよ?

「3回休みだから大丈夫だよ。」

「そもそも、ここまで来てて出ないってどうなのよ?」

「なかなか見つかんなくてなぁ。」

 この大学では、大学図書館とは別に、それぞれの棟にその棟の研究室と関係する専門書が集中して収納されている。専用のカードキーを各学科の助手から借りる必要があり、学科生以外の入室ができない。ただ、すでに絶版になってしまった書籍や、珍しい研究所、祭事の写真集などがあるので、興味のある人には大変興味深い品揃えなのである。

 今回は、その一冊に興味をもった雪橋に代わって、本学科生たる猪野尾がその本を探しに行った次第である。

「又貸し厳禁なのに。」

「俺ん家で読むだけだよ。」

「ユキチャンが?」

「そう。」

 まあ、それならいいかと納得して、「も〜。イックン卒業する気あるの?」

 彼女は話をもとの出席日数の話題に戻した。

「単位はもらえる様に調整してるって。それに、必要枠の外だから無理して単位とらなくても平気だって、この間も説明しただろ。」

 戻すほどの話題じゃないだろうという表情で彼は切り返した。

「そうだっけ?」

「そうだよ。」

 言い合う二人を尻目に、雪橋は用意してもらった本をぱらぱらとめくっている。

「あ、もう時間だ。行かなきゃ。」

「そんな時間か。じゃ俺らも行こう。」

「奢んないわよ?」

「奢られたためしがねえ。ちゃんとかね出して飲むよ。おい、雪橋。」

「はい?」

 まったく会話を聞いていなかった雪橋悠。きょとんとした面持ちで顔を上げる。

「いくぞ、鴨屋。」

「ああ、ですか。」

「は〜や〜く〜。」

「今行きますって。」

 もどかしげにその場足踏みの犀原(さいはら)文目(あやめ)に言うと、傍らのリュックサックに書籍を突っ込んで、手早くしたくを整える。

 ガヤガヤと、何事か言い合いながら3人は学生室を後にした。

 大学学生室は学生の憩いの場。たまに学生以外も憩う。

ここまでお読み下さりありがとうございます。

研究のため、意図や意味の読み取りにくい箇所がありましたらお知らせ頂けますと助かります。

また、前後の展開と矛盾する設定・表記等お気づきになられましたらご指摘いただけますと助かります。

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