二人
図書室で語り合う二人の男女。
例えばの話、一生独りだけで生きて行けるだろうか。
誰とも会わず、誰とも話さず、誰とも争わず、そんな風に生きて行けるだろうか。他人の存在に苛まれる事のない人生。他人に気を使わなくて良い人生。唯自分自身と、世界のみ。静かで、ゆったりとした、平穏な人生。あるいはそれは素晴らしい人生ではなかろうか。
いつもの気だるい午後の中、ある時そんな話を新島にふってみた。
「そう生活する事もある程度は可能だろうね」
彼女は読みかけの文庫本から顔を上げる事もなく答える。
多分、きりの良いところに来ていないのだろう。章の終わりが近いから、とりあえずそこまで読んでおきたいとか、そういった心理が働いているのだ。
よくある事だ。
別に相手に話をふられたのが煩わしいわけではなく、また相手を邪険にしているつもりもなく、しかしそうかといって自分が行っている読書もまたどうでも良いと言うわけでもない。それが故にまあ、一旦相手に向き直るのを保留して読書を継続するわけである。
会話をしながら読書ができたらそれはそれで無問題なのであるが、そのような芸当は聖徳太子なみに伝説的人間でなければ不可能であろう。
一般的で極めて普通な凡人であるぼくではどうしても一方がおろそかになり、かつもう一方に充分な集中ができない状態に陥り非効率的な時間利用を行うはめになる。それはいただけない事だ。そしてそれを他者に強いる事もまたしかり。さらに言えば、ああ、なんて良い天気なんだろう。最近梅雨がちで雨降りな天気ばかりが続いていたからな。今日はさぞ気持ちの良い風が吹いているだろう。
どこかに出かけようか。いやそれは少し億劫だな。どこか表でゆったりとごろ寝なんかできる場所はないものだろうか。昔はよくこんな天気の時は草むらなんかで横になって日がな一日空ばかり眺めていたりもしたものだが、最近はそうする気になれない。
どうしてだろう。
ぼくもまた昔持っていた物を取り落としてしまったのだろうか。ぼくはぼくにとって無価値になったものだけを捨ててきたつもりだったが、実はそうではなく、やはり無自覚にいろんな物を置き去りにしてしまったのだろうか。
ああ、そうすると成長するとは一体どういう事なのだろうか。それは決して進歩などと一言で表現して良い物ではなく、やはりなにかしら不幸な意味合いを含んでいるのではないか。
大人になると言う事はどこかしら社会に自分を染めて行く事で、それは単純に肯定される様な事ではなくて、子供時代という物も単純に無教育な時代として切って捨てるべきなのではなく、そこにはやはり何かしら肯定されるべき要素があって、ところで子供と大人の境界ってなんだろう。
二十歳を過ぎる事だろうか。成人式なんて物を考えるとそう言う事だろうか。でも成人式に参加している人間をみてぼくは彼らが大人だなんて実感できないんだよな。
どうしようもなくガキンチョに見える年上の人間なんていくらだって居るだろうし、子供だ大人だと言うのは単に言葉だけで、実は中身なんて何もなくて、唯単に相手を黙らせたりレッテルを貼ったり、無理矢理型振り分ける手段として使われるそのためだけの形式的な物なんじゃないだろうか。ああ、それにしてもなんて良い天気なんだ。
「実際問題、金銭があれば生活は成り立つのだからね」
呆けて窓の外を見ていると新島はぼくに向き直ってそう言った。しおりを挟んだ本を、一先ず机の脇によせて。なんの話をしているんだろう。ああ、ぼくがふった話の続きか。
「金銭がある限り、衣食住に困る事はなく、それを無理矢理に奪い去れる事はない。私有財産と商経済のたまものだね。
「それらが確立されていなかった時代は人間との繋がりによって自分の生活と財産が保証されるよう個々人で努力する必要があったわけだけど、今はその必要がない。それを奪う事は法に依って禁じられているわけだからね。店で店員と顔を合わせる事意外は概ね他人の存在を排除しても無問題だろう」
「じゃあ、金銭の獲得が問題になるわけだ」
「そうだね。多くの職業は顧客の存在によって成り立っているから、どうしても顧客との関わりに労力を注がざるを得ない。でも例えば、株取引などはどうなるだろうか。
「最近はインターネットで株取引ができるわけだから、いわゆる財テクというやつだね、そこで酷い失敗をしない限りは、人との関わりが無くても金銭獲得が可能だ。他の例は、ちょっと思いつかないな。
「昔は技術屋とか、研究者とかにそんな様子があったけど、最近はチームとして物事をすすめて行くようになってきて結局人間との関わりが重要事になってくる。でもまあ、最近の技術環境から考えて、人間との関わりを排除した形での金銭獲得の可能性は多いにあると思うよ」
「じゃあ、不可能事ではないわけだ」
ああ、と彼女は頷く。そしてしばらく視線をさ迷わせて何事か考えているかと思うと、ぼくの顔をマジマジと見つめる。つり目がちで、まっすぐで、濃いトビ色の大きな瞳。少し、その目に気圧される。
「逆に聞きたいんだけが、独りで生きて行く事が可能であったとして、君にとって独りで生きて行く事はそれほど価値のある事なのかな?」
ひどく真剣な様子で問い掛けてくる。
「まあ、集団行動は苦手だし、空気を読むとかできないし、ぼくはぼくでやりたい事があったりするし、他人の考え方に無批判に染まるとかいやだし…」
「それは集団との関係構築の仕方の問題ではないかい」
「まあ、そうだね」
「ならその関係構築が君を苦しめないならそれでいいのではないかい?」
「そう言ってしまえばその通りだけど、中々そうはいかないよ」
「だからといっていきなり独りであればすべて解決するなどと考えるのは短絡だと思うよ」
「そうかな?」
「ああ。生活上の必然性が失われた現在であっても、人間は集団で居ようとしているわけだからね。それが今現在有効性を否定されているかつての生活上での必要を引きずった結果であるとしても、それをもって説明が全て為されたと考えるのは飛躍だからね。
「それに君が感じているような、人間関係における苦痛も、かつての必要性の論理を引きずっている事から来る部分だってあるだろう。それがもう少し自覚されて、そうして明確にパラダイムが変更されれば、幾らか生きやすくなるだろう。独りであろうとする必然性はさしてないよ」
「そう、なのかな?」
どうもピンと来ない。なぜピンと来ないのかは今一つ説明できない。何かが納得いかない。かといって、彼女の説明にくわえるべき反論が思いつくわけでもない。
そんなぼくをしばらくながめて、新島はため息を吐く。これ以上の懇切丁寧な説明があり得るとは思えないし、かといってかゆいところに手の届く対応ができるわけでもない。彼女もまた、ぼくがなにに納得いっていないのかわからないのだろう。
これ以上の発展は望めない。これ以上の運動は期待できない。だからこの話題はここで打ちきり。
「外は良い天気だね」
「出かける気はないよ」
話題の転換を試みたら、にべもない対応が帰ってきた。それ以上特に話す事も思いつかない。彼女は読書に戻る。ぼくはまた窓の外をぼんやり眺める。
「背中を借りるよ」
ぼくの返事も待たずに、彼女は背を預けてくる。背もたれ代わりだ。やれやれだ。
背中越しに伝わる温もりと重さ。呼吸と鼓動。窓の外で、葉桜が鮮烈な緑を放ちながらゆらりゆらりとゆったりゆれる。本当に良い天気だ。静かで穏やかな、良い午後だ。
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