第4話:法則の美学とプラチナの威圧 後編:『動的平衡のアンサー』
ゴクリ…。
ハーベルは息を呑んだ。
右手の『ヴォイド・アンカー』が、冷たく反応する。
東雲八雲としての魂が叫んでいた。
この世界で、もう一度「法則」を、理を、美しき平衡を追求するチャンスを奪われること。それは彼にとって、死よりも耐え難い屈辱だった。
「……本気、なんですね…。」
ハーベルが呟く。
「当たり前だ。俺様の美意識は、不完全なゴミを放置することを許さない。さあ、始めようか!」
ゼノはニヒルに笑うと、彼の右手が変貌する。
そこには、人肌とは到底思えない、流動する液体金属のようなプラチナの紋章が脈打っていた。
「ーー『白銀奏生』ー序曲:『不動監獄』!!」
ドーム内の音楽が、耳を塞ぎたくなるような重厚なパイプオルガンの重低音へと変わった。
「逃げて、リーフィア! レオン君の後ろへ!」
「う、うるさいわね! 命令しないで!」
口では反発しつつも、リーフィアはレオンの背後に隠れる。
レオンは『アイソレーション・バングル』を最大出力で起動させた。
「ーー『法則奏生』!!『絶対孤高』!!」
彼の周囲に、何者も干渉できない「不活性ガス」の透明な障壁が展開される。
だが、ゼノの攻撃は彼らの想像を超えていた。
パチンッ!
ゼノが指を弾くと、床から無数のプラチナの杭が、音速を超えて突き出してきた。
「甘いな、レオン! お前の拒絶は『点の拒絶』だ。俺様の支配は『面の固定』なんだよ!」
ズドーーン…ズドドドド…ドシュ!
突き出した杭は、空中で瞬時に枝分かれし、幾何学的な結晶構造を描きながらレオンの障壁を「包み込んで」いく。
ヘリウムの斥力で弾き飛ばそうとしても、プラチナの結晶は弾かれた先で再び結合し、より強固な檻となって彼らを閉じ込めていく。
「くっ……重い! 障壁越しに圧力が……!」
レオンの額に汗が滲む。
一方で、ハーベルは一人、壁際を走っていた。
(ゼノ先生のプラチナは、対象の『運動エネルギー』を奪って、自分と同じ硬度に固定している。なら……!)
「ハーベル、こっちへ来て! 一人じゃ死ぬわよ!」
リーフィアが叫び、チョーカーから回復と強化の波動を飛ばそうとする。
「ダメだ、リーフィア! 触れないで!」
ハーベルの声は、鋭い金属音にかき消された。
ゼノの右手から放たれたプラチナの流体が、ハーベルの足元を狙って津波のように押し寄せる。
ズズズズ…ズドーーン!!
「逃がさねぇぞ、アモルファス! お前のその『不定形』、俺様の『不変』で塗り潰してやる!」
ハーベルは逃げるのをやめ、急停止した。
右手の指輪『ヴォイド・アンカー』が、彼の心拍数に合わせて明滅する。
トクン…トクン…トクン…トクン…。
(計算しろ。前世の知識を動員しろ。プラチナの原子番号78、結晶構造、面心立方格子。その結合を、俺の『無』で上書きする……!)
「……壊れろ!『無形解放』!!」
ハーベルが右手を、迫りくるプラチナの津波に叩きつけた。
ズガァァァァァン!!
「何……!?」
ゼノの眉が跳ねる。
激突した瞬間、絶対的な硬度を誇るはずのプラチナの波が、ハーベルの周囲1メートルで「砂」のように崩れ去った。
いや、砂ですらない。
物質としての定義を失い、ただの灰色をした「旋律の残骸」となって虚空へ消えていく。
「やった……!」
リーフィアが歓喜の声を上げるが、レオンは苦々しくそれを見ていた。
「……フン、相変わらず気味の悪い力だ。だが、それでは耐えられんぞ。見ろ、先生の目を!」
ゼノの瞳には、歓喜に近い狂気が宿っていた。
「いいぞ……! それだ! 世界の法則を食い破る不協和音! だが、出力が足りねぇな!」
ゼノが両手を広げると、ドーム内の全プラチナが、巨大な旋回する「プラチナの刃嵐」へと姿を変えた。
それは、逃げ場のない全方位からの死の演奏。
「『白銀奏生』――『絶対固定』!!」
ドォォォォォォン!!
ドーム全体の重力が数倍に跳ね上がり、さらに音速のプラチナ刃が三人を襲う。
「レオン様! 私がエネルギーを!」
リーフィアが叫び、自身の生命力をレオンのバングルへ流し込む。
「ーー『法則奏生』!!『生命伝導』、バイパス接続!」
「黙っていろ……だが、背に腹は代えられん! 墜ちろ、雑音ども!!」
レオンが咆哮し、巨大なヘリウムの衝撃波を全方位に放つ。
プラチナの刃と衝撃波がぶつかり合い、火花という名の音符が空間に飛び散る。
しかし、その防壁を抜けて、一本の鋭利なプラチナの棘がハーベルの肩をかすめた。
「ぐっ……!」
「ハーベル君!」
傷口から血が流れる間もなく、その周辺がプラチナ化し、硬く固定されていく。
「アハハハ! 固定が始まったぞ、ハーベル! そのまま美しい彫像にしてやる!」
ゼノの嘲笑が響く。
ハーベルは激痛の中、自身の肩を見つめた。
(固定……定常状態か……。いや、違う! 俺が追い求めていた「安定」は、こんな死んだような静止じゃない……!)
脳裏に鮮明に浮かぶのは、かつて前世のラボで解析し続けた分子のダンス。
絶えず動き、変化しながらも、全体として絶妙な調和を保つ――『動的平衡』。
分子運動が激しく入れ替わりながら保たれる『動的平衡』――それこそが生命と物質の本質だ。
(無定形は「空っぽ」じゃない。あらゆる形に変化し得る、無限の「揺らぎ」そのものなんだ……!)
ハーベルの右手の指輪『ヴォイド・アンカー』と右手の甲から、これまでにない流動する漆黒の波動が、狂おしいクレッシェンドとなって膨れ上がった。
「……僕が決める。この世界の、新しい『平衡』を!」
ハーベルが叫ぶと同時に、彼の身体から溢れ出した黒い霧が、固定されかかった肩を包み込んだ。
プラチナの侵食が、霧に触れた瞬間に反転する。
硬質な輝きは、流動する漆黒へと書き換えられ、ハーベルの意思に従って形を変え始めた。
「なっ……先生のプラチナを、『書き換えた』だと……!?」
レオンが驚愕に目を見開く。
ハーベルの手元には、黒い霧が凝縮してできた、形を定めない「鎌」のような武器が形成されていた。
「ゼノ先生! これが、僕のアンサーだ!」
「ーー『無形解放』ッ!!」
シュン!!
ハーベルがその「無定形の刃」を一閃させる。
それは空気すらも切り裂かず、空間そのものに刻まれたゼノの「プラチナの法則」を、直接切り取って消滅させた。
ガキィィィィィィィン!!
ドームを支配していたプラチナの圧力が、一気に霧散する。
ドーム内の光が元に戻り、静寂が訪れる。
リーフィアは膝をついて荒い息をつき、レオンは忌々しそうにバングルを外した。
ハーベルは、右手の黒い霧が消えていくのを見つめながら、その場にへたり込んだ。
「ハァ、ハァ……。……どう、かな?」
ゼノはゆっくりと歩み寄り、ハーベルの目の前で足を止めた。
「合格だ…。と言いたいところだが、世の中そんなに甘くはないんだよ!!」
(アモルファス……。形無き器が、全ての法則を飲み込むブラックホールになるか、あるいは……)
ゼノの瞳には、かつて「剣魔」と呼ばれた男と同じ、壊れゆく世界を楽しむような、冷たくも熱い光が宿っていた。
「さあ、次はもっと過激にいくぞ。お前らの『三重奏』、俺様が完璧な不協和音に仕上げてやる!」
ゼノはまたしてもニヒルに笑うと、左手の漆黒の革手袋の端を、ゆっくりと口に咥えた。
そのまま、じりじりと……肉を裂くような音さえ聞こえそうな緊張感の中、手袋を引き抜く。
露わになったゼノの左手ーー。
王立調律学院の地下、冷たいプラチナの残響が残るドームで、ハーベルの「法則への探求」は、また一歩、危険な深淵へと踏み込んだのだった。
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