AI生成文章の何が悪い?
最近増えたAI生成文章について。
言いたいことが伝わると良いなぁ。
AI生成文章、何が悪い?
「悪くない。使う人の自由だから」と思いますか?
読む専門の自分としては、その小説は読みません。
なぜならストレスが溜まるから。
AI生成に限らず文章を読むにあたり、誤字脱字・誤用が気になるのは?
正しい答え・使い方を知っているからです。
正しく美しい文章を読んで育っていれば、その培われた美意識が、少しの差でも違和感として訴えかけてくるのです。
小説をはじめとした文章全般を「夢中で読んだ」「一気読みした」となる理由は、内容の面白さはもとより、文章のリズム感・スピード感、言い回しの妙、言葉選びの巧みさなど多くあります。
それを挫くのが「違和感」です。
平坦な道を歩いていたら、一つだけあった石につまづく。
綺麗な珠があるけれども、一つだけついた傷が価値を台無しにしている。
真っ新な壁に、一つだけ飛んだシミがどうしても視界に入る。
そんな感覚が、読む集中力を途切れさせる。
それが何度も続いたら?
読む気を無くします。疲れる…というか嫌気が差すので。
この現象はどんな文章にも言えることです。
ですがAI生成文章には、単純な誤字脱字・誤用とはまた違う「不気味の谷」的な感覚を覚えます。
2022年は生成AI元年と言われています。
そこから、AIが爆発的に普及しました。
便利ですが「文章を作る」という一点においては、大変危惧されることです。
AIは今現在「新しく生み出す」ことをしません。これまでにある情報の中から必要なものをピックアップして提示してきます。
調べ物をすればすぐさま答えをくれますが、それはどこそこの文献からの引用だったり、ネットサイトからの引用なのです。
借り物の寄せ集めで作られているので、正確には「ゼロから1を生み出せない」ですね。
そのオリジナル性の無い文章に、私たちは日々晒されています。
その影響で、読む・書く共に文章力が画一化され、平均的な文章しか読めなくなる日も遠くないのでは?
それを防ぐには2021年以前の本を読みなさい、と言われています。
作者が知恵を振り絞ったかも知れない、
産みの苦しみの末に創り出したかも知れない、
推敲を重ねに重ねたであろう小説・文章。
滞りなく読んでもらえるよう加えられた校正。
それらを読むことで、正しい、美しい日本語を知ることができます。
こんな表現の仕方があるのか、と感動することができます。
この言い回しをどうやって思いつくのか、と羨むことさえあるかも知れません。
これまでの意見は「新しいものを拒否する」のではありません。
人間に与えられた想像力・創造力を「楽をすることと引き換えに損なわせたらアカンやろ」という想いから来ています。
辞書がわりに生成AIで調べるくらいは問題ないでしょう。
でも、「この言葉を使って作って」と指示した時点で、作者はAIになります。
AIのゴースト作家になりたいなら問題ありませんが。
同じように想像力・創造力を求められる芸術系の自分であれば、プライドが許さん、というだけのお話です。
まあツラツラと宣って来ましたが、結論。
最初に「ストレスが溜まるので読まない」と述べましたが、自身の読む力・文章力も削がれそうなのでやっぱり読まないな、と思いました。読んでも途中でリタイアする予感。
私にとってAI生成文章は、悪いのではなく、現時点では読む必要が無い。で最終解です。
以上!
愚痴だか意見だか分かったもんじゃない駄文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
色々こきおろしたように見えますが、生成AIさんには私もお世話になってますよ。
創造系はアカンってだけで!
ちなみに「不気味の谷」とは、人間そっくりに近づくほどある時点で急激に「不気味さ」や「嫌悪感」を感じるようになるという理論です。 (←AI先生より)




