08.第一章七話
翌朝は、寮の自室を出たところから、すでに周囲の空気感がいつもと違っていた。
孤児院に世話になっていた身で、貴族や王族の後見人を得ずに特待生としてディオリア学園に入学した者として、ルシアは元から学園内ではそれなりに有名である。魔法師協会で依頼を請けていることも、知っている者は知っているだろう。
そういうわけで、学園内でルシアを見てヒソヒソ話す人は珍しくないし、ミラベルに付きまとわれるようになってからは尚更だった。
しかし、さすがに今日はそれだけが理由ではない。ダーレンの件が、すでに生徒間に広まりつつあるようだ。ルシアへの注目度が普段の比ではない。
「聞いた? ミューア嬢に好かれてるって勘違いしたダーレン様が逆上して魔法で攻撃したって話」
学園の本館に向かう道中、女子生徒の話し声が聞こえてきた。
「聞いたわ。さすがにやりすぎよね。でも、どうせミューア嬢が勘違いさせる振る舞いをしてたんでしょ。あのミューア嬢だもの」
「私、忘れ物を取りに放課後本館に戻ったんだけど、帰る時に取り巻きの伯爵家のご子息に『怖かったんですぅ』って説明して慰めてもらってる彼女を見かけたわよ」
どうやらミラベル自身が広めているらしい。教師からあまり言いふらさないように言われていそうなものだけれど、守ってくれるよう彼女に期待するのは無駄な話である。
「ウェルロイル公爵令息がお助けになったそうよ」
事実ではあるけれど、ルシアは引っ掛かりを覚える。
「まさか、あの方までミューア嬢の毒牙に……?」
「『わたしのこと好きなのに悪い噂を気にしてるみたいで悲しい』とか、取り巻きの皆様に相談してたわ」
「絶対に思い込みよね、図々しい」
「ほんと。ウェルロイル公爵令息があんな女を好きになるわけないわ」
親しくする気はないとヴィンセントから明言されたようなものなのに、ミラベルは気づいていないようだ。
ミラベルに付きまとわれるヴィンセントを想像していると、次は男子生徒の会話が耳に届く。
「さっきエイミー嬢に確認したが、特待生もダーレン様の魔法を止めたらしい」
「さすがは魔法科所属の特待生様ってか」
「しかし、あいつは自信が過剰なだけで魔法の腕はそこそこだからな。魔法科のヤツなら特待生じゃなくても楽勝だろ」
貴族の傲慢さが表れているらしい男子生徒が「俺はあんな孤児認めないぞ」と言っている。そこは気にせず、エイミーに確認したという情報にルシアは意識を向けた。
他にも聞こえてくる話を総合すると、ミラベル発信だとルシアがミラベルとエイミーを守ったことはほとんど知られておらず、エイミー発信だと、濁されている部分はあるけれど比較的正確な情報が知られているようだ。
(感謝されたくてやったことじゃないとはいえ)
庇うのはエイミーだけでよかったかもしれない、とちょっと思ってしまった。ただでさえこちらは巻き込まれた側だというのに。
そもそも、ミラベルがルシアを引き止めていなければ、ルシアはあの一件に巻き込まれることはなかったのだ。しかも、スザンナに聞いたところによると、昨日のうちにすぐに終わる実入りのいい依頼が急遽出されたものの、ルシアが来る少し前に別のフリーの魔法師が請けていったらしく、まあまあ落ち込んだ。
「おはよー、ルシアちゃん!」
憂鬱の元凶が現れた。周りの視線が痛い。
可愛らしい小走りでこちらに向かってくるミラベルを視認して、ルシアの気分が一層落ちる。
「ねえ、昨日ウェルロイル様とどんな話したの? ウェルロイル様、わたしのこと何か言ってたでしょ? 教えてよ」
期待に満ちた表情でそう訊かれた。
ルシアは教師から事件の経緯を聞かれていたということになっているのに、ヴィンセントと一緒だったからか、ミラベルの中では楽しく二人で話をしていたという認識のようだ。しかも、内容はミラベルのことだと断言している。
(なんて図太い……)
本気でヴィンセントに好かれていると思い込んでいるらしい。怖い。
大体、エイミーとダーレンが来る前にルシアとミラベルは口論のようなものをしていたはずなのだけれど、ミラベルはそのことをさっぱり忘れていそうだ。
「そうそう。ちゃんと誤解解いてくれた?」
「……誤解?」
「ウェルロイル様、わたしの悪い噂を信じてたでしょ? あれは悪意のある噂だって、ちゃんと否定してくれたよね?」
当然のように言われて、ルシアはわずかに目を丸くする。
(私には関係ないんですが?)
もうミラベルの言動に驚くのも疲れた。周りの人――ミラベルの中で『親しい人』に分類されている人間は自分のために動いてくれるのが当たり前だと、そういう考えを持っているのだ。怖い。
「シャノンくん、少しいいかな」
ルシアが絶句していると、昨日警官への対応にあたっていた教師に声をかけられた。教師嫌いなミラベルから離れられると、ルシアはすぐに返事をする。
「あ。待ってルシアちゃん。絶対にあとで教えてね? 約束だよ? 絶対だからね?」
(めんどくさい)
ルシアは返事をしなかったけれど、彼女の中では約束をしたことになっているのだろう。念押ししてさっさと去っていくミラベルの後ろ姿を恨めしく眺める。
「昨日の件についてなんだけど」
教師にそう言われて、ルシアはそちらに意識を向ける。周りに聞こえないよう、声はあまり不自然ではない程度に潜められていた。
「ミューアくんたちからの聞き取りは終わっているから、君からも確認程度に話を聞きたいんだ。午後の魔法実技は他の生徒が簡単な試験を受けている間に待機時間があるそうだから、その時か、もしくは放課後に……」
「魔法実技の待機時間にお願いします」
「わかった、そうしよう」
教師は「じゃあよろしくね」と言い残して本館に入っていく。
「シャノンさん」
また呼ばれて、次から次へとなんだと思いながら振り返ると、エイミーが真摯な表情で立っていた。
「昨日は、助けてくれてありがとう。……混乱してて、まだお礼が言えてなかったわ」
エイミーが頭を下げるので、さらに周りの視線が集まってくる。「やっぱり……」「ほんとだったんだな」という言葉が聞こえてきた。
「顔を上げてください。ミューア伯爵令嬢のそばにいて私も魔法の攻撃範囲内にいたので、自分の身を守っただけですよ」
「それでも……あなたがいなければ、私たちは軽い怪我では済まなかったわ。本当にありがとう」
昨日のエイミーは最初に現れた時から怒りが爆発していたのでそのイメージが強いけれど、案外まともな人だったらしい。
(人って恋愛が絡むとおかしくなったりするし)
そういう事例をよく知っているので、納得はした。彼女は被害者なのだから、怒るのは当然の権利なのだ。
「ダーレンとは婚約を解消する方向で話が進んでるわ」
「そうですか」
「私、ずっと彼が好きだったの。優しくて、スマートで、……でも、それは偽りの姿だったわ。本性を見抜くことができたことについては、ミューア伯爵令嬢に感謝しなければいけないかも」
「そうですか」
その報告を受けなければいけないような関係性ではないけれど、『あんなのと結婚したいんですか?』とつい訊いてしまったのはルシアで、それに対する返事のようなものなのだろう。
「私たちの問題だったのに、あなたを巻き込んでしまってごめんなさい。……でも、一つだけ言いたいのだけれど、ミューア伯爵令嬢とは距離を置いたほうがいいと思うわ。彼女は今後も似たような問題を起こすと思うの」
それは忠告されるまでもなく理解している。
「まず、私はミューア伯爵令嬢と友達じゃないです」
「え、そうなの?」
「そうです」
「……そうなのね」
「はい」
「その、……頑張ってね?」
憐れみの眼差しを向けられてしまった。




