10.第一章九話
土曜日に駅で待ち合わせということで話が進み、食事は終わった。午後の授業も教師からの事件の聞き取りも無事に済み、相変わらずルシアからヴィンセントのことについて聞き出そうと躍起になっているミラベルからもなんとか逃走して、翌日を迎えた。
泊まり用の荷物をまとめたトランクを持ち、ルシアは廊下に出て部屋のドアの鍵を閉める。すると、「シャノンちゃん」と呼ばれた。顔を上げると、寮母がこちらに来ていた。
赤みがかった茶色の癖っ毛に少しぽっちゃりした体型の寮母の年齢は、確か四十近かったはずだ。夫はこの学園のレストランの料理人と、夫婦揃って学園で働いている。
「おはよう。出かけるところ悪いね」
「おはようございます。どうかしたんですか?」
なんだろう。とても嫌な予感がすると思いながら、ルシアは恐る恐る訊ねる。寮母は困ったように頬に手を添えた。
「シャノンちゃんに会いにきたっていう子がいてさ。寮生じゃないんだけど、ミラベル・ミューアって名乗ってる女の子」
「あー……」
来るだろうとは思っていたけれど、こんなに早い時間に押しかけてくるのは想定外だった。まだ朝の七時である。
迷惑という概念はミラベルにあるだろうか。どうせ、『ミラベルにとって親しい人』は、ミラベルが何をしても迷惑だと考えないと思っているのだろう。
ミラベルの登校時間はどちらかといえば遅いほうだったと記憶している。それなのに、昨日はルシアが登校した時間にはすでに学園にいたし、今日は逃がさないとばかりにこの時間から寮に現れた。ヴィンセント――気に入った男性への執着の成せる技なのだろう。
ルシアが首都を発ってからの突撃であれば、煩わされることもなかったのに。
「シャノンちゃん、仕事で外泊申請出してるのに、ミューアさんは『約束はしてないけど大丈夫だから寮に入れてください』ってうるさくてね。エントランスで待機させてるけど、どうする?」
ディオリア学園は全寮制ではないため、自宅から学園に通っている者も少なくない。ミラベルは自宅通学組で、ヴィンセントもそうだ。
たとえ学園の生徒であっても、寮生以外が寮に勝手に立ち入ることは許されていない。必ず部屋に招き入れる側の寮生からの申請が必要なのである。
つまり、ミラベルの一方的な希望で申請を通すことはできないのだ。今回はその決まりに救われた。
「すみません、追い返しておいてください」
「了解だよ。じゃあ、シャノンちゃんは裏口から出ていきな」
寮母は「見つかりたくないんだろ?」と、お茶目にウインクをする。察しがよくて大変助かる。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「仕事、気をつけるんだよ」
ヒラヒラと手を振って戻っていく寮母に頭を下げて、ルシアは寮の裏口へと向かった。エントランスとは反対側にあるので、出てからの道に気をつければ、ミラベルに目撃されることはないだろう。
階段を降りて裏口に到着したルシアは、ケープのフードを被って外に出た。
この時間の学園の敷地内には、ほとんど人の姿がない。今日が休日ということもあるけれど、平日だとしてもまだ登校時間には早いうえ、寮生は時間ギリギリまで眠っている者が多いので、自然とこうなる。
静かな学園の敷地から出ると、馬車が一台停まっていた。見覚えのある御者がルシアに一礼する。ウェルロイル公爵家の御者だ。
「馬車はいらないって伝えたはずですけど」
「ヴィンセント様のご命令です」
御者は淡々とそう告げる。
ちらっと馬車の中を確認するも、人影はない。ヴィンセントは乗っていないようで、わざわざルシアのために馬車を向かわせたらしい。
来てもらったのだから、帰すのもあまり気分がよくない。駅まで歩いている間に帰宅途中のミラベルに目撃される恐れがあるので、その事態を回避するのにも効果的だ。
ルシアは仕方なく馬車に乗り込み、トランクを置いて座る。
(疲れた)
まだ寮から学園の敷地外に出ただけなのに、思わぬミラベルの突撃で疲労感を覚えていると、馬車が動き出した。
「ありがとうございました」
「いえ」
駅前について馬車から降りたルシアが御者にお礼を伝えたところで、歩み寄ってきた人物に視線を向ける。
「おはよう、ルシアちゃん」
笑顔のヴィンセントは朝からキラキラしていて、周りにいる人たちの注目を浴びていた。ラフな格好ではあるけれど、貴族のオーラが隠れていない。相変わらず目立つ人である。
「おはようございます、ヴィンセント様」
ルシアが挨拶を返すと、ヴィンセントは御者に目で合図を出した。御者は一礼して馬車を走らせる。邸に戻るのだろう。
「よかった、ちゃんと乗ってくれて」
「いらないって言いましたよね?」
「まあまあ。なるべく体力は温存しておかないと」
ヴィンセントはチケットを二枚見せる。
「チケットはもう買ってあるから、行こ」
ヴィンセントのあとについて行き、駅に入って列車に乗り込む。個室に入り、ルシアとヴィンセントは向かい合って座った。
「はいこれ、サンドイッチ」
「ありがとうございます」
包み紙で包まれたサンドイッチを受け取って、ルシアはそれに視線を落とす。
この依頼では交通費、食費、宿泊費もすべてヴィンセント持ちだ。このサンドイッチはウェルロイルの料理人に作らせたのだろう。
ちなみに、一泊なので領地のウェルロイル邸に泊まることをヴィンセントから勧められたけれど、それなら依頼は断ると言うと引き下がった。ルシアの返答はもちろん想定していたらしく、すでにホテルの一室を予約していたらしい。
「なんか疲れてる?」
不思議そうにヴィンセントに訊かれた。目敏い。
ルシアはため息まじりに答える。
「ミューア伯爵令嬢が寮に来ました」
「……こんな時間から? 約束もなく?」
「はい」
「……すごいね、色々」
褒め言葉でないことは言うまでもない。
「自分は好かれてるって、あの自信はどこから来るんでしょうね」
「ほんと、追いかけてほしい子は全然自分から近づいてきてくれないものなのにね」
「……」
ルシアが無言でいると、ヴィンセントはにっこりと笑った。
「そんなに見つめられると照れちゃうなぁ」
「……」
ルシアはやはり何も返すことなく、サンドイッチの包み紙を開けた。
列車は数時間で目的地に到着した。駅前には事前に呼んでいたらしいウェルロイル公爵家の馬車が待機していて、二人はその馬車で移動する。
「早速領地の畑に向かうわけだけど、最初のところはちょっと数が多いらしいから二人で対処、あとは昨日打ち合わせしたとおり、別行動で回るよ」
「はい」
「何か問題が起こったらすぐに魔法通信で知らせてね」
「わかりました」
レドモルの被害が特に大きい畑が集まる土地に馬車がついて、ルシアとヴィンセントは馬車を降りた。畑の近くに数人の大人がいて、ルシアたちに気づいた彼らは笑顔で歓迎の意を示してくれる。村長とこのあたりの農民だ。
「おお、ヴィンセント様、シャノンちゃん。待ってました」
ヴィンセントが定期的にルシア指名でウェルロイル領関連の依頼を出すので、ルシアはすっかりこの土地の人たちと顔見知りになっていた。




