01.プロローグ
――五月。
セルディレア王国首都レセアにあるディオリア学園。高等部の一年生であるルシア・シャノンは、薄茶色の髪を揺らしながら学園の庭園を歩いていた。
手に持っているのは自分で作ったサンドイッチが入っているランチボックスだ。今は昼休みであり、ルシアは昼食を食べるため、本館や別館から離れていてあまり人が寄りつかない場所にあるベンチに向かっているのである。
一流の庭師によって手入れされている綺麗な庭園の石畳の道を進んでいると、ルシアの耳に誰かの話し声が届いた。声がしたほうに顔を向け、低木が並んでいる向こう側に人影がいくつかあるのを視認する。
女子生徒三人と一人が向き合っている。雰囲気は険悪とまでは言わないけれど、良くもない。四人ともルシアと同じ高等部の制服を着ており、知っている人物――同級生だった。
「以前にも注意しましたが、異性との距離感にお気をつけください」
三人側の真ん中に立っている生徒――公爵令嬢であるステファニーが、一人側の生徒――伯爵令嬢ミラベル・ミューアにそう告げる。
「あなたが話しかける男性のほとんどに婚約者がいらっしゃいます。安易に触れたり昼食をご一緒にと誘ったりなさるようなことは慎んでください」
「どうしてそんなこと言うんですか? わたしはただみんなと仲良くなりたいだけです」
「ですから、振る舞いに気を遣っていただきたいのです。エスコートの必要もない場所で婚約者がいる男性と腕を組んでいる様子や、別れ際に手を掴んで引き止める様子が何度か目撃されています。婚約者の方に申し訳ないとは思わないのですか?」
「でも、男の子たちには嫌がられてないですし」
「男性たちがやんわり断っても離れないと聞いています。そもそも、今はその方たちではなく婚約者の女性たちに対して申し訳ないと思わないのかと訊いているのです」
「酷いです……そんなふうにわたしを悪者みたいに……」
ミラベルが目にうっすらと涙を溜めるのを見て、ルシアは心の中で「うわぁ」とドン引きした。真っ当な指摘をしただけのステファニーのほうが戸惑っている。
「あの、泣かせてしまうつもりはなくて……」
「ロヴェット公爵令嬢は、わたしがメルヴィン様と仲良くなるのが許せないだけでしょう?」
(それ言っちゃうんだ……)
ミラベルの言葉にルシアはさらに呆れと驚きを抱く。ステファニーの隣の女子生徒二人はぎょっと目を見開くと、ステファニーの様子をかなり気にし始めた。ステファニーはわずかに眉間にしわを作っただけだ。
「私の個人的な感情の話をしているのではありません。マナーや常識の話をしているのです。いくら学園内とはいえ、王族であり先輩でもあるメルヴィン様への態度は特に気安いように思えます。メルヴィン様には婚約者はおられませんが、婚約者候補と交流を持って慎重に選定なさっている最中です。煩わせるような振る舞いはおやめください」
「ほら、やっぱり……! ただわたしにメルヴィン様を取られたくないだけじゃないですか!」
「いえ、そういうことではなく……」
いじめられている悲劇のヒロインのごとく涙を流すミラベルに、ステファニーはまたも困惑を強くする。大変そうだ。
ミラベルはミューア伯爵の愛人の子で、嫡出ではないため平民として育ち、昨年正式に伯爵家に入ったのだという。伯爵が妻との間に生まれた娘が病死したのを機に離婚し、愛人と娘――ミラベルを迎え入れたのだ。
なんとも不愉快な話だけれど、親が親なら子も子、ということだろうか。ルシアと同じく高等部から学園に入学したミラベルは、入学以来、常に異性との距離が近く、ボディタッチも多い。相手に婚約者や恋人がいても気にも留めないため、女子生徒から嫌われている。注意をされても見てのとおりの態度で、自分が被害者であると主張してさらに男性の庇護欲を刺激して味方につけるのだ。
もちろん、それに靡かないまともな男性もいるわけだけれど、残念ながら少ないとは言えない人数がミラベルに同情的である。当然、下心がある者もそれなりにいるようだ。
茶色の髪に桃色の瞳、可愛らしい顔立ち、平均より少し低い背丈に華奢な体型のミラベル。彼女のあくまで友人と言い張る過剰なスキンシップや上目遣い、周りと馴染めないと相談しつつ見せる涙で、男性はコロッと落ちるらしい。
実際、まさにそういう場面をルシアも目撃したことがある。まだ入学してひと月程度だというのに、ずいぶん熱心なことだとある意味感心したものだ。
そういうわけで、ミラベルはあっという間に学園内でもかなりの有名人になり、毎日のように学園の至るところで彼女が話題に上るのである。
計算もあるとは思うけれど、おそらく本人としてはほとんど素だろう。本気で悪いことだと思っていない。自分がしたいからそうする。悪いことをしたと思っていないから、責めてくる相手が悪いという結論に帰結するのだ。とてもシンプルな思考である。
悪気がないとしても、非常にたちが悪い。
ルシアの感想としては、結局のところそうなる。
「――おー。なんか揉めてるね」
その声にルシアが振り返ると、後ろから黒色の髪とスカイブルーの瞳を持つ男子生徒が歩いてきていた。
「ヴィンセント様……」
「やあ、ルシアちゃん」
一つ上の学年の先輩、ヴィンセントだ。
ルシアは学園に入学する前から、ヴィンセントとはちょっとした知り合いだった。
「見てたんですか」
「たまたまだよ。ルシアちゃんを見かけたから、追いかけてきたらこれだ」
隣に立ったヴィンセントの視線がミラベルたちに向けられる。
「いやぁ、面白いことになりそうだね」
「全然面白くないと思いますけど」
「そうかな?」
ヴィンセントの瞳が再びルシアを捉え、目が細められた。まるで獲物を見定めた獣のような危険な色をかすかに帯びている。
「まあ、ルシアちゃんより興味深いことじゃないのは確かだね」
ルシアは怪訝に眉根を寄せて、ヴィンセントから目を逸らす。そうすると、ヴィンセントはくすっと笑みを零した。
その笑い声に内心ため息を吐きながら、ルシアも改めてミラベルたちを見据える。
「止めなくていいんですか?」
「え、必要なくない?」
「ですが、ロヴェット公爵令嬢はメルヴィン殿下の婚約者候補でしたよね」
メルヴィンは王太子の第三子で、現国王の孫にあたる。同じく国王の孫であるヴィンセントとはいとこで、同い年のため仲がいいらしい。
ルシアの言葉は、そのいとこの婚約者として有力な候補であるロヴェット公爵令嬢ステファニーが困っているのに助けなくていいのですかと、そういう意味だ。
「俺には関係なくない?」
「……そうですか」
目を瞬かせて首を傾げるヴィンセントに、ルシアはそれだけ返した。
「薄情って思った?」
「まあ」
「だって、最有力候補とはいえ、俺が手を貸したりしたらフェアじゃないでしょ」
なるほど。意外とちゃんとした理由があった。
けれど、メルヴィンとステファニーの婚約はもう内定しているようなものだと周囲には認識されており、まだ学園に入学してひと月程度の平民のルシアでさえもその話を耳にしているので、詭弁にすら思える。
「学園の風紀に関わる問題なので、ヴィンセント様の立場なら窘めるものなのかと」
王家の血を引く公爵令息である彼の影響力は絶大なので、貴族同士の問題であろうと口を挟むのは容易なはずだ。
「えー? 俺が取り締まる側? やると思う?」
ヴィンセントが首を傾げて軽く笑う。
確かに、ヴィンセントはよく授業をサボっているらしく、取り締まる側になる姿はあまり想像ができない。誰が言っているんだ、となりそうだ。
「気になるならルシアちゃんが間に入ったら?」
「嫌ですよ」
「あはは。だよねぇ」
片方は公爵令嬢だ。そしてもう片方は、関わるのがあまりにも面倒すぎる難のある性格。ルシアは少々ミラベルに目をつけられていたりするので、余計に近づきたくない。
「ま、そのうちメルか教師陣がどうにかするでしょ。伯爵家に入ってまだ一年足らずなのを考慮しても、ミューア嬢の言動は色々と目に余るからね」
大して興味もなさそうな眼差しでミラベルを一瞥したあと、ヴィンセントはルシアと目線を合わせるように少し屈んだ。唇はゆったりと弧を描き、目は細められている。
「ルシアちゃんがお願いしてくれるなら、もちろん俺が今すぐ片付けてもいいよ? ルシアちゃんもあれに困ってるでしょ?」
ミラベルを「あれ」呼ばわりしながら無駄に妖艶な笑みを浮かべるヴィンセントに、ルシアは冷めた視線を送った。
「結構です」
「遠慮しなくていいのに」
遠慮じゃないと思いながら、ルシアはもうここを離れようとステファニーたちがいるほうに背を向ける。
「昼食はこれから?」
「はい」
「じゃあ一緒に――」
「お断りします」
ヴィンセントからの誘いを最後まで聞くことなくバッサリ断って、「つれないなぁ」というどこか楽しそうな呟きを背に、ルシアは石畳の道をまた進んでいった。




