9、躾の檻
ネルは僅かに怒りを表情に表していた。その怒りが誰に向けられ、誰の為の怒りなのかは、ネルのみが知るだけであり、アシミーは不安そうにネルへと声を掛ける。
アシミー「ネル、大丈夫? なんか……アンタ、すごく悪い顔してるのよ。本当に強がる必要なんてないのよ」
アシミー:やっぱり不安なんじゃない……それでも、私なんかに着いてきてくれるんだよね。本当にネルは、お人好しよ……
ネル:いけないなぁ、ボクちゃんってば、アシミーちゃんの前で、イライラを顔に出すなんて、早く、バケットを何とかしないと……ボクちゃんの印象が“怖い顔のネル”になったら大変だからねぇ。
ネル「大丈夫さぁ……さぁ、ボクちゃん達の未来に“ラナンキュラス”の花を咲かせるためにバケットを捕まえにいこうじゃないかぁ……」
ネル:婆ちゃんが言ってたもん。ボクちゃんは、淑女だから、ラナンキュラスの花になりなさいって……ボクちゃんはアシミーちゃんのラナンキュラスの花にならないと。
アシミー:なんて? 聞き直すべきかな……違う、今は花の名前とか、関係ないじゃない。はぁ……
アシミー「ネル、アナタ……絶対に私の話を聞いてないでしょ?」
ネル「わかってるさぁ、ボクちゃんが上手くやればいいだけの話だもんねぇ」
アシミー「言っとくけど、ネルがどんだけ強くても、敵は屋敷の中にいっぱいいるのよ。
だから私が敵を引きつけるわ。絶対にバケットに参りましたって、頭を下げさせて泣かしてやるんだから。ネルはあくまでサポートよ?」
ネル:アシミーちゃんは元気だなぁ、謝ったら許されるなんて、素敵な話だとは思うけど……ボクちゃんからしたら、そんな生ぬるい世界はアシミーちゃんとボクちゃんだけでいいかなぁ……
敵の屋敷を前に話を続ける2人。そんな会話が終わりを迎えようとしていた時、ネルが不意に目を閉じて、悩むような仕草で顎に手を当て、首を傾げる。
アシミー「どうしたのよ?」
ネル:ボクちゃんは閃いちゃった!
今から、ボクちゃんが誘導役として、正面から攻撃しよう〜。
ボクちゃんが派手に攻撃したら、アシミーちゃんが裏から回り込んでるはずだから、屋敷に侵入さえできれば問題ないもんねぇ!
あとは……目的の魔玉が出てきてから、回収すれば、最高の流れができ上がるじゃないかぁ。
アシミー「話聞いてるの? ねぇ、ネルってば!」
ネル「あはぁ、ごめんよぅ〜。ただ、確認をしてたのさぁ、アシミーちゃんがちゃんと屋敷に入る為にさぁ……」
ネル:ただ、問題はどうやって、アシミーちゃんを裏手に回ってもらうかだよねぇ……変に頑固なところあるからなぁ? まぁ、何とかなるよね。
ボクちゃんの上機嫌な鼻歌が静かな夜に重なっていく。
バケットの私有地である人工の森に足を踏み入れた2人。アシミーは敷地に作られた小さな森に唖然とした表情を浮かべていた。
それと同時に小さな森に漂う獣臭と複数の物音、2人に迫っていく魔物達を静けさを掻き消すように草木の擦れる音が伝える。
ネル:もう、ボクちゃん達を魔物が見つけたみたいだねぇ。ボクちゃんの鼻歌に誘われちゃったのかなぁ……音楽の才能まであるなんて、ボクちゃんはやっぱりすごいなぁ。
2人に向かっている魔物はダークファング。
ウルフ種であり、群れで行動する魔物だ。
一般的な魔物と言えるが、単体でも中級の冒険者がなめて掛かれば、命を失う可能性がある魔物である。
そんな、ダークファングが複数で群れをなして、姿を現すと2人の行く手を阻むように周囲を取り囲んでいく。
アシミー「何よ、まったく……素直に襲撃させてくれたら、早いのに! なんなのよ」
ネル「あんまり怒るとお肌によくないよぅ。ただ、ここはボクちゃんが引き受けるからさぁ、後で街の方で合流にしないかぁ〜い?」
アシミー「なに言ってるのよ! 2人で倒したら早いじゃないのよ」
ネル「う〜ん。逆に数が多いからねぇ。今から派手に蹴散らすから、アシミーちゃんを巻き込みたくないのさぁ〜。大丈夫だから、ボクちゃんはちゃんと、全部始末してから合流するからさぁ〜」
アシミーは、ネルの言葉に何かを思い出したように頷いた。
アシミー「本当に……はぁ、わかったのよ。それに騒ぎになるとまずいのよ。ネル。後で落ち合うのよ。いいわね、絶対に約束よ!」
アシミー:私は役に立たないだけじゃない……ネルに全部任せて……本当に情けない。
ネル:ボクちゃんの迫真の演技でアシミーちゃんは移動してくれたみたいだねぇ。
心配させるほどの演技力に拍手が欲しいくらいだなぁ……まぁ、今いるのはワンチャンだけだから、無理かぁ……
アシミーはネルの提案を受け入れた。何度もネルへと視線を向けた後、屋敷と反対方向へ駆け出していく。
そうして、その場に残ったのは、ネルと無数のダークファングの群れだけとなる。
しかし、ネルは笑っていた。誰に向けたものでもない無邪気な笑みが月明かりに照らされ、それを見つめるダークファング達は唸りながら、前足を前に姿勢を屈める。
「あはぁ! ボクちゃんは犬と遊ぶのも大好きなんだよぅ……でも、躾がなってないと危ないよねぇ……さぁ、ワンワン達はいい子なのかなぁ?」
ネルがニヤリと笑う。言葉など通じるはずのないことを無視したような美しいカーテシーを披露した瞬間、前方にいたダークファング達が一斉に飛びかかる。
ネル:挨拶を無視する態度も?……尖ったキバも、鋭い爪も、ぜ〜んぶ、不合格だよ! ボクちゃんを倒せると思ってるなら、完全にダメダメすぎるじゃないかぁ〜!
前方から飛びかかったダークファングにネルは両手を広げる。
広げられた両手が煙に包まれ、腕を煙の刃へと変化させた。
ネル「【煙斬】……悪いワンワンは、さようなら〜」
両腕を覆う煙の刃がダークファングの喉元を掻き切り、勢いのままに吹き飛ばされて、地面に叩きつけられる。
地面に水溜りを作り出すように真っ赤な鮮血が流れ出し、それを合図に複数のダークファングが再度、ネルへと襲いかかっていく。
最初同様に、向かってきた1匹の首を切断したネルの全身に生温かいシャワーが降り注ぐ。
そのまま、振り向きざまに背中から爪を走らせようとしていた2匹の胴体を切り払うとダークファング達は恐怖を表すように小さな怯えを声に出して後退りする。
ネル「逃がさないよぅ……悪い子には罰を……正しくないことは正さないとダメなんだからさぁ!【煙檻煙摩牢】」
ネルの片手が元に戻ると同時に煙がドーム状に放出されていき、逃げようとしていたダークファング達を煙が包み込む。
出られないことを本能で理解したように再度態勢を立て直したダークファング達は、犠牲を躊躇することなくその牙をネルへと向ける。
悩まずに最初に飛びかかってきた1匹の首を片手で掴み、地面に全力で叩きつけていく。
叩きつけられたダークファングの頭部が砕け、血飛沫ではない固形物が宙に舞い散る。
それを合図にネルは次々に指先に煙を纏わせていくと、それを振動させる。
ネルに触れたその場からダークファング達が肉片に変わっていく。
ネル「あはぁ! ボクちゃんが優しく、優しく撫で回してあげるよぅ! いい子になれるように、頭からグルグルにしてあげるからねぇ!」
ネル:数分? 数十秒? ボクちゃんが撫で回したワンワン達は、可哀想な姿になっちゃったなぁ。はぁ……つまらないよ、アシミーちゃんを撫でてる時みたいな、熱い感覚が欲しいのに……
そうして、ネル以外が別の形に姿を変えるとネルの視線は屋敷に向けられた。
ネル:ボクちゃんの興奮を少しでも、抑えられるように今すぐに、良いことをしないと……ボクちゃんの頭がイライラで壊れちゃいそうになるよ。
ゆっくりネルは歩いていく。木々の間から襲いかかってくる魔物達を撫でながら止まることはない。
ネル:ブタさん《オーク》に、オオカミさん《ウルフ》、ボクちゃんと遊びたい動物さん《魔物達》、さぁ、飼い主さんに挨拶してあげないとねぇ……




