第3章 第六話 普通すぎる夜の町の第十五話:独りぼっちの晩御飯はいつぶりだろう?理解できた言葉と、頭上に浮かんだドクロマーク。
「母さん、いる?」
やっぱり、母さんはどこにもいなかった。
両親の部屋にも、キッチンにも姿はない。
家の中から、音という音が消えていた。
けれど、よく見ると――
テーブルの上に、晩御飯と一通の手紙が置いてあった。
『お父さんに大切な荷物を届けてきます。帰るのは夜になるので、これを食べて待っていてね』
……俺の大好きな、オムライスだ。
その横には、お気に入りのマグカップと、お湯を注ぐだけのスープ。
母さんは、俺がこの時間まで寝ていることを、見越していたのだろう。
俺は、オムライスを電子レンジに入れて、温め始めた。
「ウィーーーン」というレンジの低い回転音だけが響く。
動物たちの笑い声と重なり合って、俺の頭の中に響いていた。
「チン」と鳴るのを待つ間。
なぜか、胸の奥に、じわじわと染みのような不安が広がっていく。
一人で晩御飯を食べること自体は、別に珍しいことじゃない。
今までも、何度もあった。
それなのに――
今日は、やけに心細い。
言葉の通じない人たちと一緒にいると……
どれだけ賑やかであっても、逆に孤独が際立つのかもしれなかった。
家の中に、人の気配が薄いせいか。
俺の頭の中を静かに、そして空っぽにしていった。
「チンッ」
加熱の終わりを告げる音が、俺を我に返させた。
温まったオムライスと、ポットから注いだお湯で作ったスープ。
俺は自分の部屋には戻らず、そのままダイニングの椅子に腰を下ろして、食べ始めた。
一口、また一口と運ぶうちに、お腹の奥がじわじわと温かくなってくる。
そうなると、階段の途中で立ち尽くしている自分が、急に恥ずかしくなってきた。
楽しげな宴会を、一人でこっそり覗いている自分。
まるで、レストランの窓越しに、腹を空かせて外から中を眺めている子供みたいだ。
……いや。
それは、ある意味で間違いでもなかった。
俺はこれ以上、あんな場所に突っ立ってはいられなくなった。
喉をオムライスが通る感触を力に変えて、俺は足早に階段を下りきった。
そして、喧騒に背を向け、そのまま宿の外――
夜の町へと足を踏み出した。
そのとき、カウンターの奥にいた豚主人が、横目でちらりと俺を見た。
何か言いたげな鋭い視線。
けれど、結局声をかけてくることはなかった。
ただ、忙しなく手を動かしながら――
俺がホールの喧騒を通り過ぎていくのを黙って見送っていた。
宿の扉を閉めて外に出ると、そこには驚くほど「普通」の夜が広がっていた。
あまりに自然なその光景に、俺はもう、ここが”知らない異世界”であることを忘れて「何も変わったことはない」とさえ思い始めていた。
動物人間たちは夜でも明かりを灯し、昔ながらの生活を当たり前のように続けている。
よく見れば細い川が流れていた。
そこにはカワウソが鼻歌でも歌いたげに洗濯物を揺らしている。
軒先では、ヒツジが明日の仕込みだろうか、一心不乱に草を刻んでいた。
その周りでは、いろんな種類の動物の子供たちが、種族の壁なんてないみたいに、入り乱れて元気に走り回っている。
「……なんだ。ちゃんと、暮らしてるんだな」
俺はその平和な夜の営みを、ただぼんやりと眺めていた。
町の全体までは見渡せないが、数分も歩けば、もう反対側の外れが見えてきた。
どうやらそれほど大きな町ではないらしい。
「――じゃあ、今度はあっちの外れまで行ってみよう」
少し余裕が出てきた俺は、未知の町を横断してみようと歩き出した。
この町なら、きっと大丈夫だ。
……そう思った、その時だった。
道端の深い暗闇の中から、ぼーっと白い影が浮かび上がった。
「うわぁっ!」
俺は飛びのくようにして、思わず腰の剣の柄に手をかける。
そして、ごほぉっとオムライスを喉に詰まらせた。
胸を叩きながら、喉を鳴らしながら、服の中のコントローラーを片手で握りしめた。
「……君は、人間か?」
暗闇に佇むその白い影が、静かに、けれどはっきりと言葉を放った。
「ブィ」なんていう鳴き声ではない。
俺が理解できる「人間の言葉」だった。
「あ……俺は人間です」
答えてから、「……人間だよな、俺?」と自分で不安になる。
この異世界にいると、誰もそれを認めてくれる人はいないようで……
自分自身を「人間」と呼んでいいのか、一瞬の迷いが脳裏をよぎった。
「こんなところにまで、人間が何しに来たのか」
低い声が響き、影がゆっくりと俺のそばへ近寄ってきた。
乏しい明かりの下、その全貌が徐々に露わになる。
「でかっ……」
思わず声が漏れた。
その男の背丈も横幅も、俺の三倍はあろうかという巨体だ。
声の低さから男であることは推測できたが、頭部が「牛」そのものであるため、表情までは読み取れない。
彼は鎧らしき武具を身に着けていたが、その下には服を着ていないのが見て取れた。
鎧が飾りに見えるほど、隆起した筋肉が夜目にもはっきりとわかった。
そして何より、背中に背負っている斧――。
それは、彼自身の巨体と同じほどもある、巨大で凶悪な斧だった。
「なぜ、ここに来たのかは……わかりません。ミヅキが……友達のミヅキに連れられて来たから……」
正直にそう答えた。
目の前の牛の男からは、重苦しい気迫がまとわりついてくる。
宿の豚主人とは比べものにならないほどだ。
……でも。
不思議と平気だった。
冷静に考えてみれば、宿題を忘れて学校に行った時の、あの先生の怒った顔の方がよっぽど怖いような気がしたからだ。
それに、俺は本当に何も知らなかった。
この町がどこなのか、これからどこへ行くのか、ミヅキからは何一つ聞いていない。
宿に着いて、促されるままにすぐ寝てしまったから、相談する暇もなかったのだ。
牛戦士は腕を組んだまま、静かに立ち尽くしている。
威圧的な沈黙。
俺が何か、納得のいく答えを付け加えるのを待っているのだろうか。
……しかし、考えても何も出てこない。
焦って辺りを見回してみたところで、暗闇と遠くの動物たちの営みが視界に入るだけだ。
「ウ、ウ、ウモォーッ!」
突如、牛戦士が天を仰いで唸り出した。
地鳴りのような咆哮。
鼓膜が震え、心臓が跳ね上がる。
「えっ? どういうことだ……?」
俺は必死に牛戦士の顔を見上げた。
獣の顔からは、怒りなのか歓喜なのか、表情を読み取ることはできない。
けれど――その頭の上。
不吉な”ドクロマーク”がいつの間にか浮かび上がっているのを見て、俺は息を呑んだ。
それは「死」や「危険」を意味するアイコン。
さっきまでオムライスで温まっていた体が、一気に氷ついたかのように寒くなる。
指先がガタガタと震える。
服の中のコントローラーは、感じたことがないほど跳ねあがっていた。




