第3章 第五話 動物達の宴は十四話:たぶん、精巧なマスクを被っているだけなんだ。外で会ったらどうしよう……それより、まず晩御飯だ。
目が覚めると、モニターの明かりだけが灯る、薄暗い部屋の中だった。
いつもの自室。
反射的に起き上がり、照明のリモコンを探そうとして――
そこで、違和感に気づく。
……違う。
俺は、まだ寝ている。
ゲームの異世界。
豚主人の宿でベッドに横になったまま、俺は目を覚ましていない。
それなのに、ここにいる俺は、はっきりと意識を持っている。
目覚めている自分と、眠っている自分。
同時に二つ存在しているような感覚は、やっぱり変だ。
……でも。
自分の一部が、完全に消えていた昨日に比べれば、どうということはない。
少し、夢の中にいるのと似ているだけだ。
そう考えれば、案外すんなり受け入れられた。
ふと気づく。
部屋の中に、美月の気配がない。
帰っちゃったのかな。
そう思うと、胸の奥が少しだけ静かになる。
いないと、やっぱり寂しい。
……でも。
今は、邪魔されるものが何もない。
この状態なら、集中できる。
ゲームを、ちゃんと進められそうだ。
俺はそう考えながら、モニターの光を見つめた。
「うーん。良く寝た」
目覚めが、やけにいい。
それが逆に、少し変な感覚だった。
豚主人の宿で、ミヅキが借りた部屋。
壁際にはロウソクが数本灯っていて、炎がゆっくりと揺れている。
……ミヅキは、大きな椅子の上で足を抱え、目を閉じていた。
すぅ、すぅ、と小さな吐息が聞こえる。
どうやら、十分に空いていたはずのベッドでは寝なかったらしい。
俺の隣で寝るのが気まずかったのか。
それとも――
吸血鬼の彼女には、これが普通なのか。
そんなことまで考えてしまって、自分で少し苦笑する。
……ちょっと、外に出てみようかな。
なるべくミヅキを起こさないように。
俺は慎重にベッドを抜け出すと、足音を殺して静かに部屋を出た。
扉を閉めると、宿の廊下は昼間よりもずっと暗い。
豚主人と、また顔を合わせたらどうしようか……。
そんな不安を抱えながら歩るく。
階段の下からカシャカシャと食器の音が聞こえてきた。
それに混じって、動物たちの鳴き声。
不思議と、どれも楽しそうな会話に聞こえる。
その陽気な気配に引き寄せられていく。
俺は、彼らの宴を邪魔をしないように。
そして、目立たないように。
足音を忍ばせながら、ゆっくりと、一段ずつ階段を下りていった。
……あれは、アヒルのようだ。
階段を下りる途中。
来る時には誰もいなかった、この宿のホール。
そこには、驚くほど多様な動物たちが集まっていた。
犬もいれば、インコもいる。
奥のテーブルには、小さい猫と大きい熊……。
ただし、どれも普通の動物じゃない。
あの豚の主人と同じように、首から下の体つきは、人間にそっくりだった。
……これは他のゲームでも、見たことのない光景だった。
そのせいか……。
すごく出来のいい精巧なマスクを被っているだけなんじゃないか、と思えてきた。
そのほうが、今の俺にはずっと理屈に合っている気がした。
「ブフィーブ、ブィ」
覗き込むことに夢中になっていた俺は、突然、すぐ横からかけられた声に肩を跳ねさせた。
そこにはいつの間にか、あの巨大な豚主人が立っていた。
ただ振り返られただけなのに、心臓が一気に喉元まで跳ね上がる。
当然だが、何を言っているのかはさっぱりわからない。
「あ、俺……どうしよう」
咄嗟に言葉が出てこない。
階段の途中に立っている俺と、豚主人の目線の高さはちょうど同じくらいだった。
間近で見るそのピンク色の顔には、白くて硬そうな毛がびっしりと生えている。
俺は、極度のパニックのせいなのか……
「あ、これマスクじゃない。本物だ」なんて、今さらどうしようもないことを考えていた。
「あ、えっと……」
何かしなきゃと焦り、手振り身振りで状況を伝えようとする。
けれど、実際にやっていることといえば、水中で、もがいているような。
意味もなく手をばたつかせているだけだった。
「ブフゥ、ブォ」
そんなそっけない鳴き声がした。
豚主人は俺から視線を外すと、そのままのっそりと離れていった。
どうやら店が混み合っていて忙しいらしく、相手にしている余裕はないようだ。
去っていく巨大な背中を見送りながら、俺はようやく止まっていた息を吐き出した。
他の動物たちも、俺の存在なんて気にも留めていない。
新入りの客が、階段でもがいていようが関係なさそうだ。
それぞれが思い思いに、食事を楽しんでいた。
漂ってくるのは、香ばしく、暴力的なまでに食欲を刺激する香りだ。
カウンターの向こう側、立ち上る白い湯気。
じゅうじゅうと何かが景気よく焼ける音が響いている。
……ぐぅ、と。
俺の腹が、情けなく鳴った。
俺はそのまま自分の部屋の戸を開けて、階下へ向かって声を張り上げた。
「母さん、晩御飯はぁ」
もしかしたら、いないのかな。
返事はないし、一階からは何の音もしてこない。
耳に響いている動物たちの喧騒とは違い、家の中はしんと静まり返っていた。
今の時間は、七時少し前。
いつもなら、母さんが必ず家にいる時間だ。
それなのに、キッチンから漂ってくるはずの匂いも、テレビの音もしない。
俺は自分の足音を確かめるように、階段を下りようとした。
あ……。
ほんの少しだけど、眩暈がした。
体が、これ以上進むのを拒んでいる。
自分という存在が、これ以上別れ別れになってはいけない。
そんな警告のような感覚が、はっきりとしがみついてきた。
……そうだった。
コントローラーを、持たないといけない。
俺は慌てて部屋に戻り、机の上のコントローラーへ手を伸ばした。
なぜこれが必要なのか、その原理はやっぱりわからない。
けれど、これさえ手にしていれば、部屋を出ても自分を保っていられる。
俺はそれを、肌身離さず持っておくために服の中にしまい込んだ。
確かめるように、腹のあたりに押し当てた。
そうやって自分を繋ぎ止めながら、俺は再び、静まり返った一階へと階段を下りて行った。




