第3章 第四話 不思議な町の第十三話:豚もオークも同じでしょ?でも豚と言うのはダメらしい。俺は疲れてベッドに横へ、眠りに沈む意識はすぐだった。
あれだけ町のすぐそばで、大声を出していた。
奇怪な現象を伴う掛け合いを演じていたのだ。
それにもかかわらず、今の今まで町の人間に一人も出会わなかった。
それが、不思議と言えば不思議だった。
ミヅキは何も言わない。
ただ、何事もなかったかのように、悠然とした足取りで町の中へと歩いて行く。
俺は彼女の背中を追うようにして、一歩、また一歩と石畳を踏みしめた。
だが、門をくぐり、通りに足を踏み入れたあたりから――
俺は明確な違和感を抱き始めていた。
……おかしい。 どう見ても人がいない。
だが、隣を歩くミヅキの横顔を盗み見る。
彼女にとってはこれが「いつも通り」の光景であるようだった。
俺がその違和感を口にしようと、声を掛けかけた時だ。
まるで俺が何を言おうとしたかを知っていたのか。
ミヅキがぴたりと足を止めた。
「お金は足りるはずだから心配しないで。まずは宿屋に行きましょう」
ミヅキはそれだけ言うと、ニコッと無邪気に笑ってまた歩き出す。
俺たちがこの世界の住人だとしても、見た目はまだ子供だ。
二人だけで宿に泊まるなんて、色々と問題があるんじゃないか……?
そんな心配が頭をよぎり、ほんの数秒考え込んでしまった隙に、ミヅキの姿が消えていた。 あんなに目立つ格好をしていたのに、忽然と視界からいなくなったのだ。
「……っ、ミヅキ!?」
焦って辺りを見回すと、すぐ近くから「こっちよ」と声がした。
声のする方へ向かうと、そこには少しばかり大きめの家がある。
そこに、古びた小さな看板がぶら下がっていた。
「……これが、宿なのかな?」
美月に聞いてみたけれど、「……たぶん」という短い返事しか返ってこなかった。
彼女の声も、どこか自信がなさげに揺れている。
看板には文字らしいものが書かれている。
けれど、今の俺にはそれが”宿”という意味なのかどうかさえ判別できない。
文字が読めないのは……
この世界では、それで正常だった気がした。
意を決して、宿の扉を押し開ける。
「……っ!?」
中に足を踏み入れた瞬間、俺は言葉を失った。
思わず隣に座る、美月を見ると、彼女もまた、目を見開いて画面を凝視している。
……よかった、驚いているのは俺だけじゃないんだな。
美月の反応を見て、自分がまだ正気であることを確認できた。
だが、そんな安堵をかき消すように、衝撃的な光景が目の前に迫ってくる。
散々、この世界の異常さには慣れてきたつもりだったのに、こればかりは次元が違った。
扉の向こう、この宿の主人はカウンターの奥にいた。
ミヅキと一緒に奥へと歩み寄るにつれ、その輪郭がはっきりと見えてくる。
主人は、俺の十人分はありそうな、凄まじい巨体だった。
なんだか、この家が小さく見え、天井まで見上げないといけなさそうだ。
そして、むき出しになった手や首は、透き通るような綺麗なピンク色をしていた。
「ねえねえ、リク。豚さん……だよね? こんなの初めて見たわ」
美月の困惑した声が耳に届く。
その声のおかげで、少しは平静を保つことができた。
一人だったら、この現実離れした光景に飲み込まれて、腰を抜かしていたかもしれない。
美月が隣にいてくれて、本当によかった。
「ブヒーぃ。ブブヒぃ」
当然、何を言っているのかはさっぱり分からない。
豚の顔をした主人の表情だって読み取ることは不可能だ。
けれど、その頭上には、鮮やかな緑色の「笑顔マーク」がふわりと浮かんでいた。
……つまり、言葉は通じなくても、こちらを歓迎している。
それだけは分かった。
そんな異形の主人を相手に、ミヅキも鼻を鳴らすような言葉で交渉を続けている。
彼女はどこから取り出したのか――
一度も見たことがない不思議な模様の硬貨を数枚支払う。
主人から一本の鍵を受け取った。
巨大な豚相手に、淀みなく事を進めていく。
その所作は、落ち着き払っていて、やっぱり見た目とは正反対の「大人」のようだった。
案内された部屋に入り扉を閉める。
俺はとにかく、今の状況についてミヅキに聞きたいことが山ほどあった。
けれど、いざ彼女と向き合うと、何から聞けばいいのか全くわからない。
喉まで出かかった無数の問いを飲み込んだ。
ようやく絞り出したのは、あまりに情けない叫びだった。
「……豚だった! あれ、豚だったよな!?」
それしか声が出なかった。
俺の困惑をよそに、ミヅキは受け取った鍵を指先で弄びながら、面白そうに目を細めた。
「え? あの方は『オーク』よ」
俺の叫びに対し、ミヅキは何でもないことのようにさらりと言い放った。
「え……? オーク?」
その名前なら知っている。
ファンタジーゲームや小説では定番の……
野蛮で凶暴な二足歩行のモンスターだ。
……でも。 どう考えたって、さっきのは……。
「……豚さんだったわよ?」
隣から、美月が確信に満ちた声で援護してくれる。
どうやら説明書に載っているらしく、パラパラと確かめるように見ていた。
「だ、だよな。美月の言う通りだ。めちゃくちゃデカかったけど、どう見たって、本物の豚にしか見えなかったよな」
俺は激しく同意した。
筋肉隆々の怪物でも、牙を剥き出しにした獣人でもない。
十人分はある巨体だったが、肌はつやつやとしたピンク色。
鳴き声だって「ブヒブヒ」と言っていた。
あれを「オーク」と呼ぶには、俺たちの知っている常識とはあまりにかけ離れすぎている。
だが、ミヅキは俺たちの混乱が理解できないといった風に、小首をかしげた。
「あなたたち……あまり豚とは言ってはダメなのよ。それは一部では差別で使われている言葉なのよ。……いい? この世界であの方は立派なオーク族の紳士よ。失礼なことは言わないことね」
ミヅキの言葉に、俺と美月は顔を見合わせた。
この世界では、やっぱり俺たちの知る「モンスター」とは違うようだ。
「この町は夜にならなければ始まらないわ。それまで休みましょう。そのベッドにでも横になればいいわ」
ミヅキに促されるまま、俺は吸い寄せられるようにベッドへ体を預けた。
横たわり、重い肺を膨らませるように深く深呼吸をする。
すると、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れたようだ。
押し殺していた疲労が一気に全身へと逆流してきた。
指先一つ動かすのも億劫なほどの、泥のような眠気が襲う。
……このまま、すべてを忘れて眠ってしまいそうだった。
重い瞼の裏側で、意識が急速に遠ざかっていく。
「……ちょっと、リク? 私はどうすればいいのよ」
部屋に取り残された美月の、困惑したような、寂しそうな声が聞こえた気がした。
けれど、それに答える言葉はもう見つからない。
俺は深い眠りの底へと、静かに沈んでいった。




