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THE PROTO-MAL(旧名:特異値侵蝕症)――それは力ではない。世界が歪んで見えはじめる病だ。  作者: 幻翠仁
第三幕

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0029 - 選択肢にない答え



 瑞希は、何も言わずに拳銃を引き抜いた。

 乾いた金属音が、第二訓練区画に短く響く。南雲の視線が、僅かに鋭くなった。笑みさえ浮かべている。だが、止めない。止める理由がない。


 瑞希は一歩、肆已の方へ踏み出した。

 南雲から見て、不自然にならない距離。銃口が、床に伏せた肆已へ自然に向く角度。誰が見ても、これから起こることが分かる位置取りだった。


 瑞希は屈んだ。その動作は、あまりにも静かだった。

 肆已の顔が、僅かに歪む。恐怖ではない。覚悟の顔だ。目を閉じることも、声を上げることもせず、ただ、呼吸を整えている。


 その手元に、瑞希は指先を落とした。

 微かな音。布の擦れる音に紛れて、細い金属が掌に触れる。針金。曲げ癖のついた、細く頼りない一本。瑞希がいつも持ち歩いていたものだった。


 肆已の指先がそれに触れた瞬間――ハッと息を呑む。

 顔が上がりかけるのを、瑞希は視線だけで制した。

 見るな。今は、見るなと。そのまま、瑞希は低く言った。


「選びます。肆已のために……」


 それは南雲に向けてでも、肆已に向けてでもない。

 自分自身に言い聞かせるような声だった。拳銃が僅かに傾く。撃つ体勢だ。南雲は動かない。その目に浮かんでいるのは、評価だった。肯定でも、否定でもない。ただ、結果を見定めようとする視線。


 瑞希は目配せし、撃鉄に手を掛けた。

 撃鉄を持ち上げる寸前で、僅かに動作を遅らせる。ほんの一瞬。呼吸ひとつ分の時間。その隙に、肆已の指先が動く。針金が器用に手錠の鍵穴へと差し込まれる。カチリ。その小さな音を、撃鉄を持ち上げる音で掻き消した。


 手錠が外された。その刹那――瑞希は身を翻した。

 銃口が、真っ直ぐに南雲を捉える。


 発砲音が、区画を裂いた。

 耳を劈くような轟音。反射的に床を蹴ろうとした南雲の動きが、途中で止まる。太腿を穿った弾丸が、肉を抉り、意識を別の方向に向けさせた。


 南雲は視線を落とした。

 少なくない量の血液が、溢れ出る。だが、倒れなかった。


「……へぇ」

 短く、息を漏らした。乾いた笑いに近い。

 それは驚きでも、怒りでもなかった。ただの、納得だった。


「なるほどねぇ……そう来たか」

 瑞希は銃を構えたまま、もう一度発砲した。

 次は内臓を避けた腹。死なない程度に、逃走のための時間を稼ぐ。背後で、拘束の解けた肆已が、息を呑んだ。


「走れ! 肆已!」


 選んだ。逃げる道でも、従う道でもない。

 最も面倒で、危険で、誰にも褒められない角度を。第二訓練区画に、再び布と金属の擦れる音が響く。今度は――逃走の音だった。



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