0011 - 守られる資格
声を掛けた男は、瑞希の真正面で屈んだ。
街灯の光が、男の肩口を掠めていた。
柔らかな金色の髪。クセの強い毛先があらゆる方向に跳ねている。血色のある肌。そこに乗った、澄んだ翡翠色の瞳。男の鼻はすっと通っていて、日本人と言うより、異国の色が強い。着崩した焦げ茶のスーツに、その瞳と同じ色のネクタイを緩く締めていた。その容姿に、眩しいと瑞希は思った。
「大丈夫か?」
低くも、軽い声だった。
ゆらりと伸びてきた指先に、瑞希は肩を震わせる。
次の瞬間には、その細長い指先を払い除けていた。無意識の行動に、瑞希は目を見開く。細められた翡翠色の瞳に、我に返る。
「あ……すみません。俺のことは、放っておいてください」
「悪いが、それは出来ねー相談だ。坊主のこと、ずっと探してたんでな」
その言葉に、反射的に眉が寄る。
ただの通行人だと思ったが、そうではないらしい。
「坊主の家に行ってみりゃ、誰もいねーし。やっと見つけられたんだぜ?」
「……どうして、俺を? 誰なんですか、あなたは……」
その問いに、男は一瞬だけきょとんとした顔をした。
今そこで、はじめて自分の立場を思い出したように見えた。
「ん、あぁ……俺か?」
間の抜けた声を零し、男は首元に手をやった。
シャツの襟元に隠れていたストラップを引き出し、小さなカードケースを胸の前に掲げる。プラスチックの表面が街灯の光を反射し、鈍く光った。
そこには、顔写真と名前。
そして、無機質なロゴと文字列。
――Extraordinary Capability Regulation Agency。
瑞希の視界に、見慣れない英字が滑り込んだ。だが、その下に添えられた日本語表記だけは、瑞希にもはっきりと読めた。
「異能対策監理局、?」
「そうだ……俺は、オリヴァー・グラント。異能対策監理局――通称、ECRAの監理官だ。俺は保護しに来たんだぜ。坊主のことをな」
保護。その言葉を、瑞希は噛み砕くように繰り返した。
翡翠色の瞳を見据える。その奥にあるものを探そうとして、すぐにやめた。そこに、自分の知りたい答えはないと直感したからだ。
「……保護だなんて。笑わせないでください」
声は低かった。
震えてはいない。ただ、張り詰めていた。
「俺は――また人を殺しました。さっき、今しがた。逃げてきただけで、何も終わってない。罪も消えてない……それなのに、保護?」
自嘲とも、嘲りともつかぬ息が漏れた。
明言したことで、世界がぐらつくような感覚になる。だが、事実だ。瑞希は身体を支えるように膝を抱えたまま、視線を逸らした。
「裁かれるなら分かります。でも、守られる理由なんて……俺にはない」
オリヴァーは、すぐには答えなかった。
屈んだまま、瑞希の顔と、血の付着した袖口とを、交互に見る。だが、その視線に驚きや嫌悪はなかった。状況を確認する、ただそれだけの目だ。
「そう思うのも無理はねーが、それでも、俺らがお前を守る理由はある」
「……なんで、ですか」
「気になるか? 理由は案外、単純だぜ」
瑞希の肩が僅かに揺れた。
オリヴァーは、屈んだ姿勢のまま、背筋を伸ばす。街灯の光が、翡翠色の瞳を鋭く縁取った。
「俺らが追ってる異能犯罪組織の幹部が、一人死んだ。ヤツを殺したのは――そう。お前だ……そうなりゃ、連中は黙ってねーだろ?」
瑞希の喉が、ひくりと鳴る。
知っている。そんなこと、とうに知っている。
「坊主の命が狙われる。接触される。利用される。それを防ぐための保護だ。ついでに言やぁ――連中を炙り出す餌にもなる」
オリヴァーは、ほんの少しだけ口角を上げた。
笑みではない。計算が見え隠れする角度だった。
瑞希は視線を落とし、肩を震わせた。
口元が僅かに歪む。滑稽に見えて、笑いが込み上げた。
「もう遅いですよ。何もかも。俺はさっきまで、あなたの言うその異能犯罪組織の人たちと、一緒にいたんですから……」
一瞬、空気が張り詰めた。
次の瞬間。オリヴァーの両手が、瑞希の肩を強く掴んだ。
「名前は。名は言っていたか!」
「……ッ、スティンさんとアルフェさんですけど……」
翡翠色の瞳が、鋭く細められる。
先ほどまでの柔らかさは、跡形もない。肩に掛かる力が、強い。だが、痛みよりも、圧倒される感覚の方が勝っていた。
「何処だ。何処にいた……答えろ、坊主!」
「よ、横浜の倉庫街です。走ってきたので……歩きだと、時間は掛かります」
オリヴァーは、歯を噛み締めた。
一瞬だけ、瑞希から手を離し、耳元の通信機に指を掛ける。
「こちらグラント。宮原瑞希を保護した。スティンとアルフェが横浜の倉庫街にいるとの情報あり。現場に急行する――応援要請しろ」
通信を切ると、オリヴァーは再び瑞希を見た。
そこには、軽快さの欠片もない。
「坊主、そこまで案内しろ。足はある」
そう言い、オリヴァーは親指を傾けた。
街灯の光が届くぎりぎりの位置に、白いセダンが停まっている。
見覚えのある車種だった。瑞希の脳裏に、揺れる赤い映像が巻き戻る。そのエンジンは掛かったままだった。低く、抑えた回転音が夜気に溶けていた。
流されるまま、白いセダンの助手席側に回り込む。
ドアロックが外れる音が、乾いて響いた。
「坊主、早く乗れ」
それだけだった。
命令に近い声音だったが、強さよりも、決断の速さが際立っていた。
瑞希は一瞬、伸ばした手を止めた。
白い車体を見つめる。
清廉で、無傷で、何事もなかったような色。先程までの出来事を、無かったことにするような、酷く眩しげな色だった。
保護を名目とした、生き餌。
それでも、瑞希の罪は消えない。人を殺したという事実からは、逃れてはいけない。乾ききった血を見て、握り拳を作る。
助手席のドアを開けた。
内装灯が淡く灯り、闇の中に小さな箱庭のような空間が現れた。瑞希は深く息を吸い込んだ。そして、何も言わずに車へ乗り込む。ドアが閉まる音が、夜を区切った。セダンは静かに、ゆっくりと発進する。
タイヤが路面を離れ、街灯の列が後方へ流れていく。
人の往来も、ネオンも、日常のざわめきも、少しずつ遠ざかっていった。
瑞希は、窓の外を見ていた。
窓ガラスに映る自分の顔は、驚くほど静かだった。
白いセダンは、闇の中へと溶けていく。
ふと、左頬に刻まれた切り傷を、指先で撫でた。
ただの学生が送る日常は、もう戻らない。
静かに、だが確実に、瑞希の人生を侵蝕しはじめている。
瑞希はそれを、自覚しはじめていた。
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