CHAPTER32『ロカ山の静寂と不穏な気配』
――ロカ山の麓に建つ、ひときわ古びた木の小屋。
昼前の柔らかな陽光を浴びて、屋根の苔はしっとりと輝く。残雪もほとんど溶けて小さな水筋となって流れていた。
周囲には薪割り場と小さな畑。
人の気配はあるのに、不思議と静けさが漂っていた。
風の音がやけに遠く感じる中、俺とハクは、軋む小屋の扉の前で足を止めた。
――ここが、ノースロッド木こり組合の長、ブルソン爺さんの家。
さて……どんな仕事が待ってるのやら。
俺は小屋の扉を軽く叩いた。
ドンドンッ。
「こんにちは〜、リトルリバーから来ました〜」
中で何かがガサガサと動く気配がする。
やがて――ギィ……と扉が開き、アライグマ獣人の老人が顔をのぞかせた。
丸い目がこちらを見てほころぶ。
「おお〜……もう来てくれたか、若いの。まあまあ、中へ入ってくれ」
ブルソン爺さんは腰をかがめつつも器用な身のこなしで、
俺たちを木椅子の並ぶ卓へ案内した。
俺とハクは「お邪魔しま〜す」と声をそろえて小屋へ足を踏み入れた。
ブルソンは、湯気をほわりと立ちのぼらせる木のコップを三つ卓へ並べた。
中身は、山で採れた薬草を煮出した麦湯だ。
「……ちょうどこの麦湯を飲んどったところでな」
その声に、俺とハクは同時に頭を下げた。
「ありがとうございます!」
ブルソンは目尻を細めてうなずく。
「グリム殿からは“ひとり来る”と聞いとったが……二人も来てくれたんじゃのう」
俺は隣のハクを親指で示しながら言った。
「はい! こちらのハクさん、一人での仕事が初めてでして」
「はい、よろしくお願いします!」
ハクは背筋を伸ばし、軽く頭を下げた。
「そうじゃったか……よろしく頼むぞ」
ブルソンの穏やかな声が、小屋の中にやさしく溶けていった。
俺は麦湯をひと口すすると、ほっと胸の奥がゆるむ。
「いや〜、あったまりますねぇ……」
向かいでハクも頷いている。
ブルソン爺さんは椅子に腰かけ、ふう、と白い息を吐いた。
「だいぶ寒うなったからのう。ほれ、遠慮せんと飲みんさい」
俺とハクは麦湯で体を温めながら、ようやく本題を切り出した。
「ところで、今回の依頼なんですが……」
「ああ、そうじゃったのう」
ブルソン爺さんはひげを撫で、ゆっくりと語り始める。
「この小屋の裏からロカ山の中腹へ続く山道があるんじゃが、先日の大雪でのう。
木が何本も倒れて、すっかり塞がってしもうたんじゃ」
「なるほど……」とハクが背筋を伸ばす。
「ちょっと前までなら、わしも力自慢じゃ。自分でどかせたが……最近はさっぱり腰が言うことを聞かんでなぁ」
「わかりました!」
俺は勢いよく立ち上がる。
「中腹までの山道の、倒木の除去ですね! では、行って参ります!」
「はい、ご馳走さまでした!」
ハクも深く頭を下げて立ち上がる。
ブルソン爺さんも立ち上がり、俺たちを見送ろうと戸口へ向かった。
「頼むよ……おお、そうじゃそうじゃ」
爺さんの顔がぐっと引き締まる。
「最近は熊なんかの獣がよく出るでな。
罠もいくつか仕掛けとる。踏まんよう気ぃつけるんじゃぞ?」
「了解です!」
俺は手を挙げて答え、ハクと一緒に小屋をあとにする。
扉が閉まると、冷たい山の空気が頬を刺したが、不思議と足取りは軽かった。
……と、俺たちが山へ向かって汗を流そうとしていたその頃――リトルリバーでは再び騒がしい声が上がっていた。
結局、ピザを追加注文したんだって……羨ましい……。
ボグが、巨大な口にピザを“箱ごと”放り込む。
バクンッ……バクバクッ!
「おい! てめぇは学習しねえな! 箱ごと食うなっつってんだ!!」
メイベルが怒鳴る。
その横では、寝起きのドロガンが負けじとピザを口へ次々と流し込んでいた。
「カバの兄貴よ! 下品な食い方してんじゃねぇぞ!」
しかし、そのドロガンの口の周りには――トマトソースとマスタードが派手なグラデーションを描いていた。
「テメェら二人とも十分下品だ!!」
ポコンッ! ポコンッ!
メイベルの目の前の木皿が二枚、綺麗な軌道を描いて二人の額に命中する。
ドロガンは頬いっぱいにピザを詰め込んだまま、口をもごもご動かす。
「……もぐもぐ……そういやよ、チャロとハクの野郎がいねえな。どっか行ってんのか? ……もぐもぐ」
メイベルが眉をひそめ、ピザの欠片を払う。
「はぁ? あいつらなら、てめぇが豚みてぇに寝転がってる間に仕事に出てったよ。
ハクなんかはなぁ!もっと働きてぇ!って自分から言ってたぜ……お前も、見習えよ!イボイノシシ!」
ドロガンはベシッと卓を叩く。
「だからイボは余計だって言ってんだろ!!
もぐもぐ……くそっ! この俺様にも仕事を寄越せ! どんな案件でもこなしてみせるぜ!」
メイベルは鼻で笑った。
「へっ、バカが。テメェに仕事を任せたら、常識じゃ説明つかねぇトンチンカンを確実にぶちかますんだよ!」
ドロガンの眉間に青筋が浮かぶ。
「なにおう!!」
二人の言い争いに割って入るように、ミロが手を軽く挙げた。
「まあまあ……ドロガンさん。昨日みんなで頑張って依頼を全部こなしちゃったんで、今日はもうチャロ君とハクさんが行った“崩れた山道の整備”くらいしか仕事は残ってないんですよ」
「崩れた山道の整備だ?……どこの山だ?」
ドロガンの咀嚼音が止まる。
「えっと……たしか、ロカ山でしたか」
その瞬間、ドロガンの顔色がさっと変わった。
「……ロカ山だと!?……あの山から連なる一帯の山岳地帯は、クリーバーズのシマだぞ!」
メイベルが眉をひそめる。
「クリーバーズ? なんだそりゃ?」
ドロガンは小さく舌打ちし、腕を組む。
「……この辺の山々じゃあ唯一、トラガロファミリーに屈してねぇ盗賊団だ。
サブリーナの部隊に包囲されたこともあったらしいが、逆に弾き返しやがったって話だ。
筋金入りの奴らだぜ……。
まぁ、ロカ山なら奴らのシマの手前ぐれえだから、 滅多にかち合うことはねえとは思うが……」
メイベルは椅子の背にもたれ、ニヤリと牙を見せて笑い、顎をクイッと上げ、挑発的な目つきで言い放つ。
「ほぅ……じゃあ、そのクリーバーズって奴らも味方に引き入れりゃあいいんじゃねえのか?」
「いや……頭領のワニ獣人、ジャンクロット・ザガンは頭のネジがぶっ飛んだ野郎だ……どう転んでも仲間になるような野郎じゃねえぞ」
ドロガンは拳を握りしめた。
メイベルが鼻で笑い、ドロガンを指差す。
「へっ、頭のネジならテメェも全部外れてんだろ?……で、おめえらバースト団は、そのクリーバーズとは揉めたことはあんのか?」
ドロガンは腕を組み、どこか誇らしげに鼻を鳴らした。
「……ああ。俺らがトラガロファミリーの傘下に下る前の話だ。
俺らは縄張りを広げるつもりで、どこか良さげな根城がねぇかと周辺の山を偵察してたんだが……その時、たまたまロカ山の奥まで足を踏み入れたらよ……一瞬でクリーバーズの連中に囲まれてな」
ドロガンの顔が引きつる。
「気づきゃ互いに一歩も引かねぇ睨み合いが始まって、空気がビリビリに張りつめてたんだ……あと一歩で全面衝突ってところで――ザガンの野郎がズドンッと踏み込んできやがった。
地面がバキバキに割れるほどの一歩でよ……!
そんで次の瞬間、あいつの尻尾が風を裂いて俺の喉元すれすれで止まったんだ……正直、一瞬で全身が固まったぜ」
そして胸を張り、鼻を全開に広げ強がるように続ける。
「だがよ、俺の漢気がザガンの野郎に通じたのか、ギリギリで矛を収めやがったんだ!」
ドロガンはふっと視線を遠くへ投げ、どこか懐かしむように目を細めた。
「……まあ、強者同士、言葉にしなくても通じる空気ってもんがあったのかもしれねえな……」
そう呟くと、彼は満足げに鼻を鳴らし、ゆっくりと腕を組む。
その姿は、まるで“過去の名勝負”を脳内で再上映している英雄そのものだ。
その横で、ドロガンの子分がそっとメイベルに近づき、口元を手で隠しながら耳打ちする。
「……親分、ああ言ってますけど……実際はその場で突然、“我々はゴロバ山から来た親善大使です”とか言い出して……お近付きの印にって強引に酒を渡して、そのまま空気ごまかして帰ってきただけなんすよ」
子分のヒソヒソ話を聞いたメイベルは、ゆっくりとドロガンを見やり――口の端をぐいっと吊り上げ、ニヤァ……と意地の悪い笑みを浮かべる。
「へぇ~……漢気ねぇ……?世渡りだけは妙に上手ぇじゃねぇか」
唐突に向けられた鋭い視線に、ドロガンがビクリと肩を震わせる。
「な、何がだよ……!」
メイベルは鼻で笑い、椅子から立ち上がる。
「……だが、確かにちっと気になるな。ミロ、グリムに話を通しとけよ」
「はい、呼んできます!」
ミロはすぐに立ち上がり、トントンと軽い足取りで奥の扉へ向かった。
ギィ……と扉を開け、「グリムさーん!」と呼びかけながら姿を消す。
ボグはピザを食い尽くした後、今度は残りの黒パンをもぐもぐしながら肩を揺らして笑った。
「フェッフェッフェッ、だが、チャロだけじゃあ心配だが――ハクがいりゃあそいつらが現れても大丈夫だろう?」
ドロガンは渋い顔で腕を組み、低く唸った。
「……確かに喧嘩になりゃ、ハクも強えが……ザガンの野郎は桁違いだ。
あいつの“力”と“容赦のなさ”は――ここらの盗賊仲間の間じゃ、有名な話だ。
まともにぶつかったら、生きて帰れねぇって噂だ」
口の端をぎゅっと噛みしめ、低く唸る。
「……正直、アンタでも勝てるかどうか分からねぇぜ?」
その言葉に――
ボグの耳がピクンと動き、目をギラリと輝かせた。
口いっぱいに黒パンを詰め込んだまま、喉の奥で笑い声を転がす。
「なに……? そりゃあ面白そうじゃねえか、フェッフェッフェッ!」
ボグの笑い声がギルドに響き渡る中――
場面はロカ山へと移る。
――そんな不穏な噂が飛び交っていたことなど露知らず、俺とハクさんはというと……
「……チャロ、そっち、倒れねぇように支えててくれ!」
「はいはい!さすがハクさん、すごいパワーだなぁ……!」
――俺たちは、力任せにバキバキ木をどかしながら、いい汗をかいていた。
……まさか、この山の中腹で“とんでもねぇ連中”が目を光らせてたなんて、この時は微塵も思わなかった。
《リトルリバー》より感謝を込めて!
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