CHAPTER22『市街地突破の偽装行軍〜ボグ・ドンベルの記録〜』
昼下がりのドラケンフォートには、軍都らしい重い音が響いていた。
演習場では 陸軍の槍部隊が号令とともに槍を合わせ、
運河では 海軍の索敵艇が白波を立てて滑り、
頭上には 空軍の滑空翼部隊が影を落として飛び去っていく。
どれもいつもの訓練のはずなのに、なぜか街全体が、静かに緊張しているようだ。
――陸軍暗部の気配が、確かにこの軍都に滲んでいる。
俺は椅子を押しのけて立ち上がり、尻尾を軽く振った。
「……なるほどな。あんたの警告はわかったよ。グリムにも伝えとく――じゃ、俺は土産でも買って帰るとしようか」
ダンの耳がピクッと跳ねた。
「おい待て! 土産なんか買ってたら、その場で暗部に拘束されるわ! アホッ!」
俺は鼻で笑い、牙を覗かせる。
「フェッフェッフェッ……アホとは言ってくれるじゃねぇか」
すると、カルヴォフが机の下から何かを取り出し、無言で俺に差し出してきた。
――元帥の似顔絵まんじゅうだった。
俺は思わず眉をひそめる。
「……なぜこれを……?」
カルヴォフは珍しく口角をわずかに上げた。
「訓練場で配られている。ほとんど売れ残るから、いつも各部隊に回ってくるんだ」
横でダンが肩をすくめる。
「味は悪くねぇのに、見た目が悪いんだよ。誰も齧りたくねぇらしい」
俺はまんじゅうを眺め、鼻を鳴らした。
「フェッフェッフェッ……だろうな」
カルヴォフは深く息をつき、机の端に置かれた地図を指先で軽く叩いた。
「……さて、お前をこのドラケンフォートから無傷で脱出させる手筈は、すでに整えてある」
俺は鼻を鳴らし、口角を上げた。
「ほぉ……相変わらず手際がいいじゃねぇか」
「海軍に私の旧知の中将がいてな。話は通してある。
港の海軍基地まで行ければ、そのまま訓練船に乗って脱出する手筈だ」
ダンが鋭い目を向ける。
「ですが……ここから港までは? 暗部の目をどうやってかいくぐるんです?」
カルヴォフは静かに地図上の一本の線をなぞり、指を止めた。
「……軍医局の“救護馬車”で運ぶ」
「救護馬車?」
思わずダンが聞き返す。
カルヴォフは淡々と続けた。
「重傷患者の搬送なら監察隊の検問も素通りだ。暗部も医療搬送は止めん。
海軍基地まで、ただ運ぶだけでいい」
俺は思わず目を丸くした。
「患者扱いって……俺のどこが重傷なんだよ?」
カルヴォフは無表情のまま、ほんのわずかに眉をひそめた。
「……頭が悪い。それで十分だ」
「おい!!」
ダンが堪えきれずに吹き出す。
カルヴォフは地図から視線を外し、ぼそりと付け加えた。
「……包帯でもぐるぐる巻いてりゃいい、外見さえ“重傷患者”なら誰も深くは見ん」
そして、カルヴォフは静かに立ち上がり、背後の壁にもたれかかるようにして言った。
「それに、海軍基地までは私も付いて行こう。お前に余計な騒ぎを起こされても困るからな」
俺は肩をすくめて、片手で腰のあたりをこする。
「へっ、ただ街から出るだけで大層なこったな、フェッフェッフェッ」
カルヴォフは淡々と包帯や海軍服の用意を指示する。
「包帯で顔はなるべく隠せ。軍医局の書類は私が用意している……」
机の端に置かれていた数枚の救護書類を手に取り、カルヴォフは指先で端をそろえながら目を走らせていた。
そこには “陸海軍合同訓練中に負傷した重傷海軍兵を海軍基地へ搬送” と、もっともらしい文面が記されている。
「……書類上、お前は“エンゼルフィッシュ魚人のエンゼル・バブルス”だ。一応、頭に入れておけ」
俺は鼻を鳴らし、肩をすくめた。
「はぁ? なんで俺がエンゼルフィッシュなんだ!? 書類上とはいえ、もうちょっとデケェ種族にしとくべきだろうが!……まぁ、いいけどよ」
カルヴォフはすぐにダンの方へ視線を向けた。
「ダン、お前らは港までの道中、影から援護できるよう包囲網を敷け。暗部が動けば即応できるようにな」
ダンが鞄を抱え直し、鋭くうなずいた。
「了解です。影から援護します。無事に港まで送り届けるぞ、ボグ」
俺は軽く伸びをして、目を細める。
「よし、じゃあ行くか。なんだかんだで腹は減ったぜ。飯を奢れよ、中将殿」
カルヴォフは鼻で小さく笑い、肩を揺らした。
「クックック……まったくお前という奴は。リンゴを箱ごと食っても、まだ足りんのか」
俺は腹をぽんと叩き、ニヤリと口角を上げた。
「おう、腹一分ってとこだ」
カルヴォフは呆れたようにため息をつきつつも、どこか満足げに扉を開いた。
軍医局の救護馬車が静かに倉庫内に待機している。海軍服に袖を通し包帯を巻かれた俺は、どう見ても“重傷患者”の風貌に仕立て上げられていた。
「……乗れ。遅れれば監察隊の巡回に引っかかる」
カルヴォフの低い声にうながされ、俺は救護馬車に乗り込む。木製の板がギシリと鳴り、外ではダンが小さく手を挙げて見送っていた。
こうして――
俺とカルヴォフは救護馬車に揺られながら、暗部の気配が街中に漂う中、港にある海軍基地へと向かった。
救護馬車はカタン、カタンと規則的に揺れ、包帯ぐるみの俺は横たわったまま天井の影を追っていた。
その横で、カルヴォフが重い声を落とす。
「……ボグ、奴らの闇は深いぞ」
「フェッフェッフェッ、黒幕はドラゴヴィッチとかいう野郎だろ?」
俺は首だけ動かしてカルヴォフをちらりと見る。
カルヴォフの鋭い耳が、わずかに揺れた。
「……そのドラゴヴィッチを“動かしている”上がいる」
嫌なざわつきが胸の奥を撫でる――が、俺は平静を崩さず短く問い返した。
「誰だ?」
カルヴォフは揺れる車輪の音に合わせるように視線を落とし、低く続ける。
「……我々も探ってはいるのだが、上層で痕跡を消されている。
ただ――政府高官であることは間違いない」
「……政府高官ねぇ。そいつはまた、とんだ大物だな」
思わず声が乾いて出る。
カルヴォフの毛並みが、揺れる馬車の影で静かに波打った。
「……この国が混沌に陥れば利を得る者だろう。
秩序を壊し、火種をばらまき、裏から流れを操る――そんな類の者だ」
外の風が覆い布を揺らし、カタンと音が跳ねる。
妙に冷えた振動が背中まで伝わってきた。
その時だった――
覆い布の向こうから、腹の底を震わせるような怒声が響いた。
思わず視線をチラと横へ向け、覆い布の隙間から外をのぞく。
そこでは海軍兵士たちが、格闘術の実戦訓練の真っ最中だった。
鍛え上げられた肉体がぶつかり合い、砂煙を巻き上げながら組み伏せ、投げ飛ばし、怒号と衝突音が途切れなく響いている。
「……へっ、元気なこった」
思わず口の端が上がる。
ああいうのを見ると、こっちの拳までむずむずしてきやがる。
その激しい気迫の横を、救護馬車は砂煙を立てて駆け抜けていった。
格闘術の衝撃音と怒声が遠ざかり、馬の蹄のリズムだけが耳に残る。
救護馬車は港へ向かう坂道を下りきり、潮の匂いが濃くなった頃――
ようやく海軍基地の巨大な外門が見えてきた。
門の前には二人のセイウチ魚人の門番が、氷塊のような体躯を並べて立っていた。
分厚い牙が陽にきらめく。
槍を構えたまま動かないその姿は、まるで海氷に突き立った守護像のようだ。
救護馬車が近づくと、基地の紋章が入った旗が風に翻り、門番の一人がゆっくりと顎を上げた。重い視線がこちらを測る。
馬車が認証所を抜けると、紺色の制服に身を包んだ海軍兵たちが忙しなく行き交い、遠くでは訓練船の汽笛が低く響いた。
その瞬間、空気が変わる。
陸軍の鉄臭さとは違う。
潮と油と薬品の匂いが、肺の奥まで一気に流れ込んできた。
――海軍の縄張りに入ったんだと、嫌でもわかる。
こうして俺たちは港の海軍基地へと無事にたどり着いた。
門をくぐった瞬間、救護馬車がきしみを上げて停止した。
次の瞬間、床板がガコンと外れ、担架に変形する。
すぐに――
タタッ、タタッ!
海軍基地の奥から、紺の軍医ジャケットを着た医療班の男が二人、救急具のポーチを揺らしながら駆け足でこちらへやって来る。
汗ばむ額、慣れた手つき、目だけが鋭く状況を確認している。
「重傷者搬送ッ!医療棟へ急げっ!」
俺の身体はそのまま担架ごと持ち上げられ、浮遊感が襲う。
医療班の男たちは端的な言葉を交わしながら、海風の中を真っ直ぐ医療棟へと俺を運んでいく。
担架が揺れながら医療棟の奥へ進み、白い壁が途切れた先――薄暗い一室へと運び込まれた。
薬品の匂いと、もう一つ、鼻に刺さる刺激臭。
部屋の奥では、椅子にもたれかかったゼブラウツボ魚人の男が、細長いタバコをくゆらせていた。
白黒の縞模様に覆われた顔が、薄闇の中でゆっくりとこちらへ向く。
瞳孔だけが鋭く、煙の隙間から俺たちを見据えていた。
薄暗い照明の下、煙の揺らぎが天井近くでたゆたう。
壁も床も質素で、軍港の喧騒から切り離されたような静けさが漂っている。
男はタバコを指で払うようにして、低く呟く。
「……ご苦労だったな」
医療班の二人が、緊張を隠せないまま頷いて敬礼する。
二人は担架をそっと降ろすと、
「失礼します、中将殿!」
と短く敬礼し、足早に部屋を後にした。
その直後――
ギィ……と静かな軋みを立てて、扉が再び開いた。
分厚い影が差し込み――
カルヴォフが無言で入室してくる。
毛並みに外光を受け、重い気配をまとったまま、彼は部屋を見渡し、眉をひそめた。
「……ずいぶんと辛気臭い部屋だな、ハンリム中将」
椅子にもたれ煙草をくゆらせていたゼブラウツボ魚人――
ハンリムは、片目だけをカルヴォフに向けてギロリと光らせた。
「仕方ねぇだろう、カルヴォフ……お前が“無茶な注文”ばっか言いやがるから、こうやって裏部屋を用意したんだ」
煙がふわりと舞い、ウツボ特有の鋭い歯がニヤリと覗いた。
俺は担架の上で体を起こし、巻かれた包帯を指でつついた。
「おい! 俺はもう包帯を外していいのか?」
椅子にもたれたままのハンリムが、煙をくゆらせつつニヤリと口角を上げた。
「いいぞ……火炎瓶をくらって全身大火傷の、エンゼルフィッシュ魚人さんよ」
皮肉たっぷりに言われ、俺は肩をすくめた。
カルヴォフは部屋の中央で足を止め、椅子に寄りかかるハンリムへと視線を向けた。
その毛並みの揺れが、言葉より先に謝意を示す。
「すまんな、これも軍の闇を排除する為だ」
タバコを揉み消したハンリムは、鼻で笑いながら椅子を蹴って立ち上がる。
「わかっている、カルヴォフ。これを機に、兵器を横流ししてやがるクソどもを一掃するぞ」
カルヴォフは濁りのない声で言い返した。
「もちろんだ」
ハンリムの背中を見てると、なんつうか……あの親父もただ者じゃねぇ“気”を漂わせてやがる。
タバコの煙の向こうで光る目つきなんざ、ひとつ間違えたら――あの暗部やトラガロファミリーの猛獣どもより、よっぽど怖ぇ。
……チッ。
カルヴォフだけじゃなく、こいつも本気で戦ったら相当ヤバいタイプだな。味方でよかったぜ、まったく。
こうして、ボグ・ドンベルは密かに海軍基地へと潜り込み、裏でうごめく闇の正体に手を掛け始めた。
だがその瞬間、ギルド・リトルリバーの名は、知らぬ間に――
陸軍暗殺部隊、裏社会……そして政府中枢の闇までも絡み合う“嵐の中心”へと、確かに巻き込まれ始めていた。
そしてその嵐は――
もう引き返せない距離まで、確実に迫っていた。
《リトルリバー》より感謝を込めて!
お読みいただきありがとうございます。
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【作者Xはこちら】
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