CHAPTER20『静かに燃える街〜ボグ・ドンベルの記録〜』
朝もやの向こうに、鉄の街が沈んでいた。
砲塔の並ぶ城壁はまるで要塞そのもので、風が吹くたびに鉄と油の匂いが鼻を刺す。
丘の上で、ボグ・ドンベルは無言のままその光景を見下ろしていた。
ゆっくりと肩を回し、空気を確かめるように息を吐く。
朝霧の晴れかけた丘の上で、俺は静かに立ち止まっていた。
眼下には、軍旗がはためく巨大な城壁都市――《ドラケンフォート》。
無数の砲塔と警備兵が並ぶ光景を見下ろしながら、わずかに目を細め、低く呟く。
「……懐かしいな、この街も」
――あの頃と同じ風が吹いてやがる。
ただ違うのは、俺がもう“陸軍の犬”じゃねぇってこったな。
俺はゆっくりと拳を開いた。
節のあいだに乾きかけた赤い血がこびりついている。
視線を落とせば、丘道の脇には、さっきまで道を塞いでいた盗賊どもが三人、仲良く転がっていた。
拳を草にこすりつけ、口の端をわずかに上げる。
「フェッフェッフェッ……肩慣らしにもなりゃしねえ!」
そして懐から、一通の古びた羊皮紙を取り出し、紙を光にかざす。
淡い反射の中に、確かに陸軍の通行印が浮かび上がった。
表向きは「トラガロには関わるな」という警告文。
だが裏には――カルヴォフの意図が隠されている。
「……相変わらず、回りくどいやり方しやがる」
拳の血を拭いながら、俺は重々しい鉄の城門へと歩き出す。
無言で城門前に立ち、懐から一通の羊皮紙を取り出す。
光を受けて淡く浮かぶ通行印――それを見た門兵たちは、目を見交わし、慌てて背筋を伸ばす。
「……通行印、確認。お通りください!」
分厚い鉄門が、ギィ……と重たい音を立てて開かれた。
俺は無言で通り抜ける。
鉄の街――その空気は相変わらず、肺の奥まで錆びの匂いがこびりつきやがる。
砲塔の影、鋼の匂い、響き渡る金属音。
上空では鷹やハヤブサの翼を持つ空軍の獣人たちが、装甲をきらめかせて旋回訓練中。
港ではドロモン型の軍艦が白波を蹴りながら曳航され、甲板では魚人兵たちが怒号を飛ばしている。
街路の両脇には、鍛冶工房や補給所、軍靴修理屋――その合間に「元帥の似顔絵まんじゅう」なる屋台まで並んでいた。
「……おいおい、誰が買うんだそんなもん」
フェッフェッフェッ、と鼻で笑いながら、俺は通りを見渡す。
行き交う兵士たちは、陸軍、空軍、海軍が入り乱れ、まるで戦力の見本市だ。
秩序と混沌が同居し、平時ですら“戦いの鼓動”が鳴り続ける――それがこの街の呼吸だ。
砲塔の影と石の壁は、今も変わらず胸の奥に重くのしかかってくる。
だが、その圧の奥に、ほんのわずかな懐かしさもあった。
命令よりも先に拳を振るい、仲間の笑い声が響いていたあの頃――
風が肌をかすめるたび、錆びついた記憶が音を立てて軋む。
戦の匂いと、帰郷の匂い――相反する二つが、胸の中で静かにせめぎ合う。
――だが、立ち止まる理由にはならねぇ。
そして、石畳を一歩ずつ踏みしめて歩き出した。
――と、その時。
背後の路地裏から、か細い声が飛んだ。
「……お〜い、あんた、ちょっと手を貸してくれ……」
俺は足を止め、声の方へと向かう。
薄暗い路地の奥、背を丸めた老獣人が立っていた。
どうやら荷車が段差に引っかかって動かないらしい。
ふう、とため息をつきながら近づいた、その瞬間――
右の首筋に、冷たい感触が走った。
「……ボグ・ドンベルだな?何をしにこの街へ戻ってきた?」
低い声とともに、刃が押し当てられる。
「……うん?……観光に決まってるだろう?フェッフェッフェッ」
喉の奥で笑いながらも、俺は動かない。
「……もう一度聞く。何をしにこの街に戻ってきた? 今度嘘をつけば命はないぞ!」
「フェッフェッフェッ……だから言ってるだろう?」
ゆっくりと首だけを傾ける。
「監視塔のてっぺんからの見晴らしを、ちょっと見に来ただけだよ」
低く喉の奥で笑った、その瞬間――
「……なら死ねッ!」
刃が押し込まれるが、俺の皮膚は岩より硬ぇ。
ググッ……!
男の手が震える。
次の瞬間、俺の腕が唸りを上げる。
ズガンッ!
振り向きざまの裏拳が男の顔面をとらえ、男は空中を舞って壁に激突、そのまま崩れ落ちる。
煙のような埃が立ちのぼる中、ゆっくりとその場に視線を落とした。
そこには、陸軍服を着たアナグマ獣人の男が倒れていた。
「……知らねえ野郎だな」
倒れた男の袖には、金色の刺繍が覗く。
「……陸軍監察隊の紋章か……?」
短く唸ると、俺は吐き捨てるように笑う。
「フェッフェッフェッ……こりゃあ、しばらく隠れとかねぇと、カルヴォフのおっさんのところまで辿り着けねぇかもな」
通りのざわめきの中、背後から、低く押し殺した声が飛んできた。
「……おい、ボグ! こっちだ、こっち!」
振り返ると、石造りの建物の陰で手を振る巨体が見えた。
牛の角の先がわずかに陽を受けて光る。
――あの丸い肩、見間違えるわけがねぇ。
「……ダンか。懐かしいな!」
「静かにしろっ!」
ジャージー牛獣人のダン・モーモスは慌てて手を振り、俺の腕をぐいと引っ張った。
そのまま裏通りの細道に滑り込むと、人通りの音が遠のき、湿った石の匂いが漂った。
「フェッフェッフェッ、相変わらず雑な歓迎だな、門番の頃から変わってねぇな、ダン?」
ダンは声を潜め、角を壁にぶつけながらぼやく。
「冗談言ってる場合じゃねぇ。カルヴォフ中将が、お前に話があるそうだ。
だが、“暗部”がお前の存在を嗅ぎつけたようだ。正面から行けば串刺しだ」
俺は眉をひとつ上げ、口の端をゆるく歪める。
「ならどうする?」
「裏の補給路からだ。旧格納庫の奥に抜け道がある。――昔、お前が酔っぱらって寝てた燃料庫の裏だよ」
錆びたパイプから油のしずくが垂れ、足元には整備兵が使い捨てたボルトが転がっている。
俺はその上を慎重にまたぎながら、ニヤリと笑った。
「フェッフェッフェッ、そんなことまで覚えてやがるのか」
ダンは眉をひそめ、角をパイプにぶつけて「ゴン」と鈍い音を立てた。
「忘れられるか! あの夜、お前のイビキで軍馬が暴れて敵襲警報の鐘が鳴ったんだ!将校まで飛び出してきて大騒ぎになったんだぞ!」
「……今となっちゃ、悪くねぇ思い出だ」
そして二人で息をひそめ、裏路地を抜ける。
先を行くダンの背中が、やけに頼もしく見えた。
――あいつの目に、覚悟の光が宿ってやがる。
再会を喜ぶ暇もねぇらしいな。
そして俺たちは、古い兵舎の裏手にある崩れた倉庫へたどり着いた。
壁の一部が欠け、そこから地下へ降りる細い階段がのびている。
足を踏み入れるたび、鉄と湿気の匂いが肌にまとわりついた。
下へ降りると、油のランタンがぼんやり灯り、低い天井の部屋に影が揺れている。
整備机の上には地図や戦用装備の残骸が散らばり、誰かがしばらくここを拠点にしていたのがわかった。
ランタンの奥、暗がりから低い声が響いた。
「……やはりお前が来たか、ボグ」
暗がりから現れたのは、黒金色のたてがみをたっぷりと揺らした巨躯の男――
チベタン・マスティフ獣人、カルヴォフ陸軍中将。
その姿は鎧を着ずとも、ただ立っているだけで戦場の匂いを纏っていた。
ボグが口の端を歪める。
「フェッフェッフェッ……ずいぶん老けたな、中将殿」
カルヴォフの口元がわずかに動く。
「老けたか……そう見えるのなら、まだ生きている証だ」
低く響く声とともに、一瞬、たてがみの奥から鋭い眼光がのぞいた――
かつて数百の兵を率いた将の、決して消えぬ炎だった。
ダンが低い声で口を開く。
「中将殿……“陸軍暗殺部隊”の連中が、ボグの動きを掴んだようです。すでに一部が街に展開しているとの報告が入りました!」
カルヴォフは片目を細め、ゆっくりと息を吐いた。
「……そうか」
その低い声には、焦りよりも、長年の経験からくる静かな警戒がにじんでいた。
俺は肩をすくめながら、淡々と口を開く。
「さっき、陸軍監察隊の紋章つけた野郎に絡まれてな。いきなり背後から脅してきたんで――軽くぶちのめしておいた」
カルヴォフの眉がわずかに動く。
「……監察隊の連中は、お前が何のために現れたかをまだ掴めていない。探りを入れに来ただけだろう」
たてがみの奥の瞳が鋭く光り、声が低く沈む。
「問題は“暗部”だ。あいつらが動くとなれば、血の匂いがついて回る」
俺は鼻で笑い、腹をさすった。
「フェッフェッフェッ……それより腹が減ったんだが、何か食いもんはねぇのか?」
「おい!」
ダンが声をひそめながら、慌てて詰め寄る。
「今はそんな事言ってる場合じゃねぇだろ!」
俺は気の抜けたような笑みを浮かべ、カルヴォフに視線を戻した。
「中将殿、戦より腹が空くほうが生きてる証だろ?」
カルヴォフは短く鼻を鳴らし、口元にうっすら笑みを浮かべた。
「……まったく、お前という男は変わらんな」
カルヴォフは無言のまま、机の上を探っていた。
木箱の中から、鈍い赤色のリンゴをひとつつかみ取ると、ぶっきらぼうに言った。
「……ホラよ」
そのまま、軽く放り投げる。
俺は片手でひょいと受け取り、にやりと笑う。
指先で軽く弾き上げ、口を開けた瞬間――
ポン、と音を立てて丸呑みしてやった。
「……うめぇ! もうねぇのか?」
「お、お前!」
ダンが目をむいて詰め寄ってくる。
「それ、貴重なリンゴだぞ! よく噛んで味わって食えっての!」
俺は腹をさすりながら、肩をすくめた。
「フェッフェッフェッ……噛んだら甘みが逃げるだろ」
カルヴォフの口元がわずかに動いた。
低く鼻を鳴らすと、机の木箱を片手で持ち上げ、俺たちの前にドンと置いた。
「……足りんなら、好きに持ってけ。どうせ俺は皮しか食わん」
その言葉に、ダンが呆れたようにため息をつく。
俺は思わず笑って肩を揺らした。
――まったく、昔からこの人は変わらねぇ。
戦場にいた頃と同じ、ぶっきらぼうで、優しい。
壁をなでる風の音が、妙に耳に残った。
戦が終わったあとの、あの静けさに少し似ていた。
カルヴォフはゆっくりと背を伸ばし、低く呟いた。
「……さて本題だが……あの手紙の真意を伝えておこう」
俺はまだ喉の奥に残る甘みを感じながら、眉を上げる。
「トラガロに関わるな、ってやつか?」
「ああ」
カルヴォフの声には、戦場の轟音より重い響きがあった。
「……トラガロに関われば、ギルド・リトルリバーの存在は抹消されるだろう」
地下の部屋の奥で、曇天の光が細い隙間から差し込み、鉄と油の匂いが漂っていた。
外の号令がかすかに響き、静けさがやけに重く感じる。
――まるで、嵐の前の静けさ。
ボグ・ドンベルは短く息を吐き、口の端をわずかに上げた。
「……どうやら、のんびり酒を飲んでる暇はなさそうだな」
その瞬間、地下の空気がかすかに震えた。
まるで――戦の足音が、もう地上で鳴り始めているかのように。
《リトルリバー》より感謝を込めて!
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