CHAPTER16『空気、読まん男』
――意外なことに、ドロガンさんは無事に問題も起こさず風呂から帰ってきた。
……もっとも、あとからミロに聞いた話だと、「脱衣場でちょっとした異臭騒ぎがあった」らしいけど。
まあ、ドロガンさんのことだし、何かやらかしてもおかしくはない。
それでも、大事に至らなかったのは、ミロがそばにいたおかげだろう。
はあ……ほんと、油断ならない人だ。
そのあと、部屋には温かい夕食が運び込まれた。
海の幸に、山の幸――どれも絶品で、腹ぺこの俺たちにはたまらないごちそうだった。
湯けむりと、美味い飯と、ちょっとだけ緩んだ空気。
そのひとときだけは、まるで本当に旅人にでもなった気分だった。
……でも、そういう時間ほど、あっけなく終わるってのは、この世界のお約束みたいなもんで。
メイベルが湯上がりの頬を紅く染めたまま、膳の前で満足げに伸びをした。
「ぷはぁ、美味かったなぁ……満腹だ」
その横で、ドロガンが手を叩いて感嘆の声を上げる。
「もっともだ! こんなうめぇもん食ったの、たぶん人生で初めてだ!」
ミロは湯呑を手にしながら、穏やかにうなずいた。
「……この“蒸し小魚と根菜の樽煮込み”、確か遠い異国の伝統料理らしいですよ。海辺の寒村で祝い事のたびに出される、とか」
さらりとした口調で、いつものように博識ぶりを見せるミロ。
俺はスプーンを握ったまま、目を潤ませて叫んだ。
「俺、美味すぎて涙出ますよ!こんなの毎日食ってたら俺、絶対もっとムキムキの逞しい男になれてたはずですよ!」
すかさず隣からメイベルが一喝する。
「筋肉は食ってつくもんじゃねぇ!動いてつけろ、アホ!」
メイベルが眉をひそめながら、箸を止めて呟いた。
「……それにしても、さっきから下の部屋がガヤガヤうるせえなぁ」
俺は茶碗を置き、首を傾げる。
「宴会でもしてるんでしょうかねぇ? 結構派手な音ですよ」
ドロガンはどこか嬉しそうに肩をいからせた。
「よし、俺がガツンと文句言ってきてやろうか! ついでに残り物ももらってこようぜ!」
その物騒な申し出に、ミロが慌てて湯呑を置いて止めに入る。
「いや、ダメですよ。それで下にトラガロファミリーの関係者でもいたら、ドロガンさんの正体がバレてしまいますから……!」
メイベルは肩を揺らして笑いながら、ドロガンの顔を見た。
「ハッハッハ、その布袋被っていきゃあ、どんな野郎でも縮みあがるんじゃねえか?」
ドロガンは得意げに鼻を鳴らし、布袋をギュッと引き締めた。
「だろ? このゴロバ山のドロガン様を舐めてたらどうなるか、身をもって教えてやるぜ……!」
……いやいやいや! 誰も舐めてないし! っていうか、下の連中、ただ賑やかに盛り上がってるだけで、アンタの存在すら知らないでしょ!?
そしてドロガンは勢いよく立ち上がると、ズシリと床を踏み鳴らしながら、下の部屋を目指して歩き出した。
「行くぞ、俺の恐ろしさを思い知らせてやる……!」
メイベルもニヤリと笑い、立ち上がった。
「……面白くなりそうだな! 俺たちも行こうぜ!」
「えっ!? ちょ、ちょっと待ってください! 本当に行くんですか!? 騒ぎになりますって……!」
ミロが慌てて二人の背中を追いかける。
俺もあわてて立ち上がり、みんなのあとを追って部屋を飛び出した。
下の部屋までたどり着くと、ドロガンは何の躊躇もなく、勢いよく襖を開け放った。
「邪魔するぜぇ!!」
その声が響いた瞬間、部屋の空気がピリリと張り詰める。
室内には総勢十五、六人の男たち。狼獣人にヘビ獣人、サメ魚人……いずれも筋骨隆々で、顔付きも険しい。
床に敷かれた布の上にはサイコロや札が散らばっていた。
(……やっべぇ、なんかゴツいのばっかじゃねぇか……思ってたのと違うぞ)
勢いよく襖を開けたはいいが、空気の異様さにドロガンは一瞬たじろぎ、足を引く。
その場には、誰一人ドロガンの異様な外見に怯む者はいなかった。
その時、手前にいたサメ魚人がズイッと詰め寄ってくる。
「なんだてめぇらは!」
「……。」
声を荒げられ、ドロガンは動けない。
――なんで迫力あるヤツらばっかいるの!?
ここは魑魅魍魎の集会ですか!
そしてドロガンさん、さっきの堂々たる啖呵はどこ行ったんです!?
今、完全に小動物の顔してますよ!
その奥、胡座をかいて座っていたヘビ獣人が、低く、どこか冷えた声を発した。
「……賭場荒らしか……?」
その言葉を合図にしたかのように、周囲の男たちも一斉にこちらを鋭く睨みつける。
空気が完全に凍りつく直前――
メイベルがドロガンをグイッと押しのけ、前に出た。
「おっ、丁半じゃねぇか!懐かしいな!」
その軽妙な声に、ヘビ獣人が目を細める。
「……ん? ねえちゃん、知ってんのか?」
メイベルはニヤリと笑って顎をしゃくった。
「おお、昔ちっとな……久々に勝負してえなぁ」
ヘビ獣人は舌なめずりをしながら、笑みを浮かべた。
「……別にいいぜ、ちょうど野郎ばっかでむさ苦しかったところだからよ」
その言葉に、近くにいた連中がニヤニヤと笑い出す。
メイベルが振り返りざま、軽くミロの肩を叩いた。
「おい、ミロ! ちょっと遊んでいこうぜ」
「え……“丁半”って、あの……サイコロを振って偶数か奇数か当てる賭け事ですか!?」
「そうそう、昔よくやったんだよ、裏町でな」
驚くミロの声を背に、メイベルはずんずんと中へ足を踏み入れる。
ヘビ獣人の男は、ゆっくりと煙を吐き出しながらこちらを睨みつけた。
唇の端がわずかに吊り上がり、ニヤリと笑う。
「……ああ? てっきり賭場荒らしに来た連中かと思ったぜ。ったく、紛らわしい」
その言葉に、メイベルは肩をすくめるようにして返した。
「は? んなわけねーだろ。宿の客だよ。勝手に部屋に乗り込んで悪かったな」
男はジロリとメイベルを睨んだあと、今度は視線をドロガンに向けた。
そして、煙を一度吐き出してから、口の端を吊り上げる。
「……そっちの、不気味な大男は? 用心棒か何かか?」
「ああ、まあ……そんなもんだ」
そのドロガンは何故か微妙なポーズで静止していた。
勢いよく襖を開けたまま止まっている、腕を半端に曲げたままのその姿は、遠くから見るとパントマイムの途中のようでもある。
――あんなに勢いよく「ガツンと文句言ってやる!」って飛び出してったのに……立つ瀬がないってこういうこと!?
ドロガンは正気に返り、肩をビクリと震わせ息を呑んだ。
「……はっ!? 俺は……何をビビってるんだ……」
額に滲む汗を拭いながら、自分に言い聞かせるように呟く。
「ゴロバ山のドロガン様といえば、泣く子も黙るってのに……!」
拳を握りしめ、ドロガンは賭場の中央へ踏み込んだ。
「おい! テメェら! うるせぇぞッ!」
地を震わせるような怒鳴り声が響き、場の空気がピリついた。
だが——
誰も驚かない。
誰も怯えない。
壁際にいたヒョウ柄の獣人は耳をほじり、奥のテーブルに座った灰色のクマっぽい獣人は大きくあくびをかいた。
ピラニア魚人に至っては、口元に笑みを浮かべたまま、鼻をほじっていた。
そしてドロガンの怒号が最も響いた瞬間、まるでタイミングを計ったかのように――ほじり出した鼻くそを指で弾いて宙に飛ばす。
その仕草には、あからさまな挑発と舐め腐った態度が滲んでいた。
ドロガンの眉がピクリと跳ねる。
「……!? テメェら……俺を舐めやがってッ!!」
咆哮と同時に、ドロガンは手前にいたサメ魚人に突撃した。
「オラァッ!!」
ドガァンッ!!
骨ごと揺れるような衝撃音。
サメ魚人は派手に吹っ飛び、賭場の床を転がる。
丁半用のサイコロと盃が宙を舞い、ジャラジャラと音を立てて散らばった。
「おいっ! ドロガン!! やめろって!!」
メイベルが焦ったように叫ぶ。
「……テメェ! ぶっ殺してやるぞッ!!」
吹っ飛ばされたサメ魚人が唸り声を上げながら立ち上がり、
周囲の男たちも次々と立ち上がった。
空気がギラリと刃物のように鋭く変わる。
ヘビ獣人の目が細まり、メイベルを鋭く睨みつける。
「……やっぱり賭場荒らしか、そういうこったな?」
「違うっての! クソッ……ドロガンの野郎!!」
メイベルが舌打ちし、眉間に深く皺を寄せる。
せっかくメイベルさんが、いい感じに場の空気をやわらげてたのに……
ドロガンさん、全部ぶっ壊したぁぁ!!
……って、うわっ、今にも殴り合いが始まりそうなんスけど!?
これ、マジで一触即発ッスよ!?
《リトルリバー》より感謝を込めて!
お読みいただきありがとうございます。
面白かったら、ギルドの活動資金(=★評価&ブクマ)をいただけると嬉しいです!
【作者Xはこちら】
https://x.com/00aomiray00?s=21




