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「この前のお礼なんですが、ご迷惑ですか?」


 隣の席の彼女が、手作りのクッキーを差し出してくれたる


「まあ、嬉しい。甘いものは嫌いじゃないのよ」


 好きでも無いが、心より嬉しいと表現して見せると、恥ずかしそうに彼女は笑った。


「ああっ、その、この前のペンのお礼に……」

「あら、お気遣いさせてごめんなさいね。いいの、このインクはクレシアの一級品だけど? そうだったわね、あなたの実家の特産品ね」

「知ってるのか! いや、ご存じでしたか!」

「同じ学友ですから、言葉遣いにそこまで気を使わなくても。友達には対等に口をきくことを許します」

「有難い、俺はどうも口下手で……あんた気さくで本当はいい人なんだな」


 前の席の彼も交えて語らっていると、今まで遠巻きだったクラスメイト達が話しかけてきた。

 いつしか、過去の戦場の仲間たちと同じように、私は皆と楽しく笑い溶け込んでいた。

 それは、どこまでが演技だったか自分でも、わからない程に。


 いつもは黙っている授業の最中も、私はあえて手を挙げて前に出た。


「ですから、ここの方式はこの単位を入れるのです。理由は例えば、この方式であるとすると、先ほどの……」


 授業中、私の言葉に皆の視線が集まり、最前列の生徒がうなずく。その反応に、私は思わずほっとした。


「素晴らしいです! ちゃんと方程式の仕組みを理解されていますわ」

「これは民への税率を計算する時にも応用できますので、皆さまの立場でしたら知っていて損ではないと思います。正しく計算する事は領民や国民への負担軽減にも繋がり……」


 最後は教師まで聞き入っていたが、この程度の内容なら私でも簡単だ。

 かみ砕き、わかるように例えて理解させる。

 この知識が、いつしか彼女達の役に立つと嬉しいものだ。

 鐘の音が教室に響き、授業が終わる。生徒たちから拍手が送られ、私は思わず顔を上げた。以前なら、こうした場面に面倒くささを感じていたかもしれない。でも、今は違う。彼女たちの温かい拍手が、何だか心に染みる。少しだけ、嬉しいと思う自分がいることを自覚した。


 昼食は、昨日友達になった彼女達が誘いに来た。

 本来なら、王子と共に食事をとらされるのだが、彼女達の姿を見て彼は引いてくれた。


「学友との交流は大事なものだ。俺は気にせず行って来るといい」


 もしかしたら彼女達は、使えるかもしれないと、一瞬閃いた私を見抜くように


「まあ帰りも一緒だし、同じ城だから昼食程度はね」


 意味ありげに笑って去られ、それでも私は王子より気を抜けそうな彼女達と園庭に食事に出かけた。

 広い園庭の芝生には、食事を受け付けるテーブルがある。

 そこで食事を注文して、食べる場所を知らせると、敷物を敷いて場所を作ったのちに、選んだ食事を運んでくれるのだ。

 中の食堂と違い、外で食べるメニューは汚れにくいパン系がメインとなっている。

 生徒は好きな方を選んでいいのだ。

 ちなみに、王子だけは食堂だろうが園庭だろうが、王族専用の特別エリアでの食事となる。


 もしかしたら、これだけの同じ年の女性と食事をとるのは初めてかもしれない。

 野戦ではなく、上品な食事であっても、やはり共に食べるというのは親睦を深めるものだ。


「ところで殿下とはどうなんですか?」


 十名近い人数で一斉に輪になって食事をするのは、なかなかの圧巻だ。

 いくつか複数の敷物の上で、各自の食事を楽しみ始める。

 皿に食べかけのサンドイッチを戻した私は、質問の意味を理解しかねた。


「どうとは?」

「恋の発展ですわ」

「恋……」


 一番苦手な分野の話が来てしまった。

 そういえば、この年頃の女性は、この手の話が好きだったな。


「たとえば、恋というのは、どんなものなのですか? 私は戦場が長くてわからないのです」


 素直に彼女達に教えを乞うてみた。


「まあ、なんて不憫な」

「アナ様、たとえば共にいて胸がドキドキするとかです」

「気が付けば、殿下の事を考えているとか」


 胸がドキドキ……動悸の事か? そして彼の事を考えて……。


「今、おっしゃって頂いた内容全てに該当いたします」


 きゃ――っと彼女達全員が歓声をあげた。


「近くにいるとドキドキする時はあります(戦場の癖)それと、気づけば殿下の(対応)事を考えていますね」

「それこそが恋ですわ」


 彼女達の盛り上がりに、内心引き気味になりつつ、そんなものかと私は残った食事を流し込んだ。

 教室に戻り席につくと、机の中に違和感を感じ探ると、手紙が入っていた。


『あなたと話がしたいです。美術室で放課後』


 名前も書いていない手紙だが、筆跡で誰だかわかった。

 口元で小さく微笑み、手紙を小さく折りたたむ。


「何か良いことがあったんですか?」


 となりの彼女が私の笑みをみて声をかけて来た。


「ええ、問題が解決しそうなの」

「それは良かったですね」


 授業が終わり、皆が私に声をかけて帰っていく。

 随分と立場が様変わりしたものだ。今朝の出来事も関係したのか、皆が私に好意的になっている。

 空気でいた頃より気遣いは必要だが、心地よい疲労感が私を包む。

 誰もいなくなった教室で、私は立ち上がり誰もいない場所に向かって声をかけた。


「そこにいるんだろ? ニト様に少し待ち合わせに遅れますと伝えてくれ」


 窓の外から、帰路につく生徒たちの声が聞こえてくる。

 うっすらと太陽が夕日に色を変えていく。

 私以外の姿が見えない教室で、見知らぬ声が小さく聞こえた。


「何か危険が?」

「まさか、相手はただの女学生だ。ともかく宜しく」


 一つの気配が音もなく消えた。

 けれど私にはわかる。

 もう一つの気配が音を出さずに私のそばにいる。

 それこそが、王家の影だ。

 王家の秘宝を使った、姿も音も自在に消える衣を身にまとった者たち。

 詳しくは機密であるため知らないが、彼らは最低限二人で一組である。

 片方がダメになった場合のスペアとして。

 その衣については、身に着けた者の命を吸うと伝えられている。


「うちにも一枚あったけど、適正が厳しいし、あげくに体力の消費が半端ないんだよな」


 ともかく手紙の場所に私は向かう。

 三階の片隅のある美術室の扉の前に辿りつく。

 どうやら待ち人は先にいるらしい。

 そして、中から感じる気配に私は目を細めた。

 懐かしい感覚だ……、これは、殺意。


 影も気づいたのだろう。私より先に動こうとするのを目で制した。


「この程度は処理できる。出過ぎた真似はするな」


 スッと後ろに下がったのを確認して、私は扉を開けた。

 部屋の中央に、私の顔を見た途端にビクリと大きく体を震わせたセイラがいた。

 チラリと足元を見ると、ピアノ線が貼られている。

 クスリと笑って、それを足で軽くかわして平然と教室に入った。

 糸に仕掛けがあるわけでもなく、ただ転ぶだけだったらしい。

 この辺りが限界なんだろう。


「私を呼び出したのはあなた?」


 声を落として確認すると、セイラは震える手でナイフを握りしめ、後ろからゆっくりと取り出す。

 そのナイフの大きさを見て、私は見えぬ溜息をつく。


(あんな小物で人をしとめるなんて、余程の手練れでないと無理だろうに)


 だが、本人にとっては必死なのだろう。

 その目は、私を見つめているのか、それとも遠くを見つめているのか、判断できない。

 一瞬の沈黙の後、彼女は言った。


「あなたが悪いのよ、私はずっと、ずっと殿下をお慕いしてたのに……」


 震える彼女の手がカタカタと揺れていた。

 私はただ静かにうなずきながら、一歩踏み出す。

 あえて返事はしない。私は彼女にゆっくりと近づいた。

 まさか私から近づくとは思っていなかったのだろう。

 驚いた顔を一瞬したが、それでも引き返すつもりはないようだ。


「あなたさえ消えたらいいのよ!」


 ナイフがきらめき、私に向かって彼女が一直線に駆けて来た。


 ―― 甘い!――


 この間合いで来るのかと違う意味で驚いた私だが、突進してくる彼女を軽くかわして、持っていた鞄でバンとナイフを叩き落とす。

 落ちたナイフを拾おうとした彼女の手より先に、私の足蹴りが速く、ナイフはカンカンと遠くに蹴られて飛んで行った。


「ビックリしたわ」

「……うっ、ううっ」

「そこまで思いつめてたのね」

「っ……あああーっ!」


 私の足元でうずくまり、彼女は号泣した。


 外の楽し気な声とは裏腹に、こちらは隔離された別世界のようだ。

 ただ泣き続ける彼女と私の影を夕焼けが作り出す。


「ご自身のした事は理解なさっていて?」


 小さな私のつぶやきは、はっきりと彼女の耳に届いたようだ。

 涙を拭いて項垂れた彼女は、憑き物が落ちた様子で大人しかった。


「自分のした事だから。逃げるつもりはないわ」

「そう……まずは、これだけは言わせて」


 スッと私は腰を落として、膝をつく彼女と同じ高さに視界を合わせた。

 ソッと小刻みに震える彼女の顔を片手で撫でる。


「私はあなたが嫌いではない」

「……っ!」


 その言葉を言うと、セイラの目が大きく見開かれる。驚きと、信じられないような表情が混じっている。


「さっきたまたま、あなたが持っていた彫刻用のナイフに私の鞄が当たった。それでいいね?」


 つい、いつもの口調に戻ってしまっているが、彼女に言い聞かせるように目をしっかりと見つめた。

 驚愕で硬直する彼女を抱きしめて、耳元で強く伝える。


「ケガがなくって良かった。ただそれだけの話、わかった?」

「だって……あなた、私を庇ってくれるの?」

「言ったはず、私はあなたが嫌いではないと」


 再度ちゃんと顔を見つめてそう告げて、少し微笑んでみた。

 子供のじゃれあいですらない、たわいもない出来事だ。


「さあ立って、そしてこれだけは言わせて」

「っあ……フリージア様」

「あなたも私の友達になってくれる?」


 私の一言に、彼女はまた目に涙をためてコクコクと頷いた。

 王族に対して刃を向けたのだ。

 たとえ他国の私にであれ、この国の法律では死罪は免れない。

 そんな事を知らないはずはない。彼女の試験の成績は良い方だ。

 その事すらどうでもいい程に、彼女の気が迷ってしまっただけ。

 ただ、それだけだ。

 処理をするなら、処分ではなく生かす方が、この場合は合っているだろう。


 ―― むしろ純粋な気持ちを暴走させる彼女と違って、感情もなしに打算的に考える私がおかしいのだろうな ――


 おくびにも、そんな感情は出さず、慈愛に満ちた顔を保ちながら、泣き止むまで彼女の背を撫で慰め続けた。

 やがて、夕日が沈み始めるころに、戸締りの教師の足音が廊下に響くと、私達は顔を見合わせ少し笑った。


「門が閉まってしまう。早く帰ろう」

「ええ、でも本当に宜しいの? あなたは私を断罪する権利がおありなのに……」

「友達でしょう? 今後とも宜しく」


 私が笑うと、彼女もやっと笑ってくれた。


「し、仕方ないわね。この国の事なら私に任せて頂戴。と…てな友達ですもの」


 あまりの可愛さに抱きしめてしまいそうになるが、日が暮れる前に帰らなければと私達は揃って馬車の待つ正門に向かった。

 夕日が最後の光を放ちながら、ふたりの影を長く引き伸ばす。

 私たちは並んで歩き出した。まるで、これまでに何もなかったように。


 そして正門前の噴水には、ずっと待っていたであろう王子の姿が見えた。

 私は彼の顔を見て悟る。

 既に、何があったか把握しているに違いない。

 何か言いたげな彼に視線を返さず、私はセイラへと優しく声をかけた。


「ではまた明日。気を付けてお帰りなさい」

「あっ……」

「心配いらないわ。何も心配はいらない」


 彼女の肩を叩いて帰宅を促すと、王子に深く一礼をして彼女は先に門を抜けていった。

 既に生徒たちの全員が帰宅したのだろう。

 最後の私達は向かい合い、そして互いに口を開かない。

 私は何も言わせまいと口を閉じて、彼の前をすれ違って馬車に乗り込んだ。

 彼も乗り込み、そして馬車は動き出す。


 向かい合う私に、やっと彼の重い口が開いた。


「何か言うことはないか?」

「お待たせしてすいませんでした」

「そうじゃないだろう」


 あえて私は気づかないふりをする。

 気に入らないのだ。私が彼女を断罪しなかった事が。

 王族であるからこそ、自らに刃を向けた者を許してはならない。

 その不文律が理解できるからこそ、私はあえて彼を無視する。


「戦場では、そんなに甘い女ではなかったはずだが?」

「ここはもう戦場ではありませんし、戦い方にも色々ありますから」

「俺は掌握しろとは言ったが、無条件で取り入れろとは言っていない」


 腕を組み、指先でトントンと苛立ちを隠さない彼を私は睨みつける。


「そんなに甘いようで、俺の妻が務まるとでも?」

「なら、他をお探しください」


 間髪いれずに言った私に、一瞬彼は口ごもった。


「あなたの命令により、偽りとはいえ婚約者として認めさせるために頑張りました。わからないままに、頑張ったと自負しております」

「そうだな、お前は人の機敏に鈍感な所がある」


 痛いところを突かれて、今度は私が口ごもる。


「そ、それでも、私は必死に彼女達から学ぼうとしています」

「そうだな、アナ。君は元々心優しい女だからな」

「いえ、だからそういう冗談は……」

「最初に会った時に一目ぼれだと言っただろう。忘れたのか?」

「覚えておりますよ」


 まだ互いの国が辛うじて国交があった昔、幼い私達は引き合わされた。

 私の生まれ育った城の庭園に現れた少年は、キラキラとした銀の髪が眩しい少年だった。

 私は天使だと思ったのだ。

 何も知らされず、ただ同じ年の子供が来るから仲良くしろと言われただけ。

 初めてみる美しい少年に、私は花冠を作って差し出して天使に頼んだのだ。


「天使様、どうかお母様と弟が元気になりますように」

「ええっと、病気か何かなのか?」

「毒を盛られてしまったの。私の代わりにお母様が、そしておっぱいを飲む弟まで少し毒が回ってしまって」

「そ、それは辛いね」

「だから天使様、私の命を差し上げますから、どうか助けて下さい」

「ごめん、僕は天使なんかじゃないんだ。だけど、これは使えるかな……」


 幼い彼は胸元からブローチを取り出して見せた。

 小さなロケットブローチで、蓋を開けると中から粒を二つ取り出した。


「早く見つかるとダメだから、隠して」

「これは?」

「僕の家の内緒の薬だよ。どんな毒も消してしまうから、効くといいけど」

「ダメです王子、それを戻してください」


 見えない場所から、見えない声が聞こえて、幼い私は怯えてしまった。

 けれど慣れた様子で彼は怒鳴った。


「黙れ、これは他言無用だ」

「それは我が国の……」

「お前の主人は僕だ。逆らうな、黙っていろ」


 幼いながらも、既に王者の風格で彼は自らの影を黙らせた。

 そんな事もわからない私は、ただ差し出された粒を見つめる。

 優しい笑みを浮かべて、彼は言った。


「天使に出会っても、君はまず自分の家族の事を願うんだね」


 そう言って、私の小さな手を握る。

 手のひらの中に白い薬を隠すように、私の拳が固められた。


「さお急いで、すぐには効かないかもしれないが、毒になるものではないから大丈夫だよ」


 きっと今なら、内容物のわからない物など警戒しただろう。

 せめて、お礼をしようと、私は彼の頬にキスをした。

 赤くなる彼に、私は元気に約束した。


「ありがとう! 大好き天使様!」


 *****


「大好きって言ってくれたのに」

「幼い頃のたわいもない言葉を、あなたは本気にしたんですか?」

「ともかく薬が効いて良かったよ」

「それに関しては、感謝している」


 心からだ、それに偽りはない。

 母も弟も、あれからすぐに回復した。

 私は薬の出所を父や重臣達に問われたが、彼が怒られると思って絶対に言わなかった。


「次に会ったのが戦場だったよな」

「それに関しては、なるべくしてなった。後悔はしていない」

「まさか王女の君が、戦場にいるなんてね。初めて聞いた時は驚いたよ」

「父は病で伏せていたし、弟は幼いならば、私が命をはるのが当然だ」


 彼は窓に肩肘をついて、意地悪そうに私を見つめ目を細める。

 その瞳に、いつもの温厚な彼ではなく、鋭い鷲の気配を感じて、私は緊張した。


「君が常に自分以外の者の為だと知っているよ。だから俺が戦場に出たんだ」

「互いに戦った事に言い訳も後悔もない」

「君は死ぬつもりだっただろう?」


 ドキンと私の心臓が止まる。

 その一瞬を彼が見逃すはずもなく、更に私を追いつめた。


「自分の代わりに毒を飲んだ母親と弟を守るために、今度こそ自分の命を差し出しても構わない。そう思っただろ?」

「……戦場で命を惜しむ事はできない」

「いいや、本来の指揮官ならば、後方で指示を下すものだ。なのに君は常に前線に出て剣をふるった」


 彼の言葉が、馬車の静寂に静かに響く。


「君は、最後は死ぬつもりだった。俺にはわかったよ、君と再会して剣を交えた時にな」

「そ……そんなつもりじゃ」

「剣は口よりも語る、だから俺は君を死なせないために戦場で戦ったんだ」


 何を言っているんだ。やめろ、やめてくれ。

 奥底に隠していた傷をむしるように、彼は容赦なく入り込んでくる。


「誰よりも仲間を助けるために、君は死にたがっていた」

「やめろ」

「でも、俺は誰よりも君だけは生きていて欲しかった」

「だから、やめろ!」

「俺は君の眼に、まだ生きる幸せをもっと与えたかったら」

「いい加減……」


 いつの間にか、接近した彼の身体が私にかぶさって、そして叫ぶ声は彼の唇で封じられた。


 以前の私なら、きっと舌を噛むなり激しく抵抗しただろう。

 人の心のカサブタを剥がしておいて、私に思い出させたのだ。

 彼の言葉が、あの日の傷を掻きむしる。私が忘れようとした過去が、再び姿を現す。

 それは、あの血まみれの戦場で死んだ仲間たちの顔。彼が抱えていた闇を、私は知っている。

 それを背負ったまま私を見つめる彼に、心が揺れる。

 それは、互いに背負うべき業だ。


 私は彼に恩義がある。

 そして、彼が私を一目ぼれだと言うように、私は彼になら殺されてもいいと思ったのだ。

 あの時の天使に、心を奪われたのは私だ。


「泣くなアナ」

「どうして……」

「愛してるから、アナ」

「戦場であなたを見た私の気持ちが、あなたにわかるものか」

「必死で生きようと足掻いて、でも血にまみれたお前は、死に場所を探していた」

「私は、幸せになってはいけない女です」


 彼の厚い胸に抱きしめられて、私の身体は包み込まれた。

 その温かさに、私は素直に身をゆだねる事はできない。



 気づいてしまった。

 気づきたくなかった。


 あの天使が、笑って助けてくれた私ではもうないのだ。

 それでも私は戦った事に後悔なんてしていない。


 武人の私の中で、消えたはずの女の私が叫んでいる。

 血にまみれた女が、愛される資格などないと。

 戦いの中で多くの命を奪い、心を冷徹にしてきた私に、彼がその手を差し伸べることが、どれほどの罪深さを伴うのか。

 それでも、彼の温もりを拒むことができなかった。


「いっそ、ただの捕虜なら恨む事が出来たのに、あなたは残酷だ」


 無言で力強く抱きしめられる。

 私の顔は彼の胸に寄せられて、彼の顔を見る事はできない。

 苦し気に彼は呟いた。


「愛してる、だから許せアナ」

「何をですか」

「手放してやれそうにない。互いに血まみれのまま、今度は王座から戦うことになる。だから……」


 それは聞こえるか、聞こえないかの小さな声だが、私の心に刻まれる。


「俺の傍にいてくれ……頼む」


 その言葉は、ただの願いではない。

 私を抱きしめるその腕には、覚悟と苦しみが絡んでいることを、私は感じ取った。


 暗闇の中、彼の銀の髪と同じ月が人々を照らす中、馬車は風を切り走り続けた。

 抱きしめあう私達を乗せて。       

 暗闇の中で二人だけの世界ができ上がり、どんな苦しみが待ち受けていようとも、この瞬間は永遠に続くと私は信じた。


 次の日から、セイラを含めて学園全体の雰囲気が私にとって違ったものに変化していた。

 勿論、好ましいという意味でだ。


 相変わらず強気なセイラだが、細々と私の世話をしてくれるようにすらなった。


「婚約者なのに、休日も二人で過ごす時間を大事にした方がいいですわ」

「いや、ニト様は忙しいし」

「だからこそです。王妃教育に必要だからと、殿下を連れ出せば許されますよ」


 セイラを含む、新しき仲間たちは頼もしくもあるのだが、なぜか私の苦手分野をズバリと見抜き助言をしてくる。

 そう、男女間の恋愛という分野において、私は彼女達いわく、ここまで壊滅的だと思わなかったらしい。


「戦争が悪いのですわ」

「本来なら私達と同じように、殿方にときめいたり、可愛い小物やドレスで心が躍るはずですもの」


 むしろ、研がれた剣の砥石が気になるとは言えず、あいまいな笑顔で頷くのみだ。

 いつも、昼食は彼女達に囲まれてとるようになっている。

 一度彼を誘ってみたが、女同士の親睦を邪魔するつもりはないと逃げられた。


「いっそデートをなさっては?」

「そうですわ、それが宜しいですわ」


 あーだこーだと言っていると、一人の青年が声をかけて来た。

 私ではなく、セイラにだ。

 恥ずかしそうに、だけど嬉し気にセイラは告げた。


「お先に失礼しますわね」

「ええ、お幸せにね」

「羨ましいわ」


 セイラには新しい婚約者が出来ていた。

 元々家柄も容姿もよく、本人は王妃候補として自主的に努力もしてきたので知識も深い。

 王子をあきらめた事を自らの両親に告げたところ、まってましたと打診されていた婚約の話が進んだらしい。

 幸いにも相性は良かった様子で、二人の仲睦まじさは評判になっていた。


「彼女も丸くなったものね」

「やはり恋は女を変えるものよ」

「溺愛って感じだもの、羨ましい」


 聞きなれない言葉に私は反応する。


「溺愛?」

「ほら、アナ様って本当にウブね」

「アナ様も殿下にこれでもかと溺愛されているじゃないですか」


 何がだろうか? 確かにオペラのような甘い言葉をたまに吐いている気はするが。

 甘い? むしろ皆が知らないだけで案外厳しい方だと思うのだが。


「治世をする上では、甘いのは間違いかと……」

「治世ではなく、愛の話です」


 ピシャリと怒られ、私は素直に口を閉じた。

 なんとか理解しようと頑張るのだが、どうやら知識ではなく心で学べと叱られても難しい。


「ともかく殿下と学ぶのが一番ですわ」

「わかった、本人に聞いてみる、じゃなくって、確認してみますわね」


 そう言っているうちに、今度は卒業パーティーの話になった。

 なんでも、卒業式の後にパートナーと共にダンスを踊るらしいのだが。


「間違いなくあなたと踊るのだな、私は」

「むしろ誰と踊るつもりだ」


 帰りの馬車内で、私は彼に呆れられていた。

 いっそ、ついでとばかりに確認してみる。


「あなたは私を溺愛しているのか?」

「どちらがいい?」

「ん?」

「学園の王子としてか、銀の鷲としてか」


 面白げな顔の彼は、私に選ばせてくれるらしい。

 お優しいことだ。


「どちらも」


 つい、こちらも好奇心で答えてしまった。

 小さく笑った彼は、自らの髪をかき上げた。

 整った美術品すらも霞む美貌が、さらけ出される。


「君を愛しているよ、何だって叶えてやるし、甘やかしてやる」

「そっちは学園の仮面の方か、なら本音は?」

「何があろうと手放さない」


 これが溺愛とやらなのだろうか?

 溺れるというよりは、檻に閉じ込められて喰われる気配すらするのだが。

 困惑する私を見て、彼は腹を抱えて笑う。


「な、何が楽しいんだ!」

「いや、いい成長だ。それでこそ頑張り屋のアナだ」

「ばっ、馬鹿にしてるのか!」

「いいや、嬉しくてたまらない」


 なぜ嬉しいのか、私が困っているのが楽しいのかと、私は素直にスネてしまった。

 それを見て、更に彼は嬉し気だ。


「感情もよく出るし、本当に俺のアナは可愛いな」

「馬鹿にして、演じ続けるには必要だから、だから……」

「まだ偽物を演じるための演技だと、言い張るのか?」


 ピタリと笑いを止めて、真剣な顔で尋ねられ、ゴクリと私は唾を飲み込んだ。

 こういう時に自覚させなくていいのに、ほら甘くない。

 つい、目を逸らして私は小声で答えた。


「わかってる、本物だって事は……」

「ならいい。おいでアナ」


 満面の笑顔で彼は両手を広げた。

 私に自ら彼の胸に飛び込めという事らしい。


 睨みつける私を嬉しそうに彼は見つめている。

 完全に楽しんでいる様子だ。


「また俺が命令すればいいのか?」

「うるさいっ!」


 勢いをつけて飛び込んだのに、彼の身体はビクともしない。

 その大きな体に身を預けて、首に手を回す。


「顔見せてアナ」

「恥ずかしいから嫌だ」


 見なくてもわかる。きっと彼は蕩ける程に幸せな笑顔なんだろう。

 そして、私も彼の首元に顔をうずめながら、恥ずかしさを誤魔化した。


「調子に乗るな」

「乗るさ、こんなに愛しくて仕方ない」


 撫でられる背中越しに、彼の愛が伝わってくるみたいだ。

 いつのまに、こんな風に変わってしまったのだろう。


 あの戦場にいた私と、今ここで抱きしめられている私は同じ人間のはず。

 あの天使様は、家族だけでなく私をも救ってくれたみたいだ。


「私も今だけ素直になるから、教えて欲しい」

「何を知りたい?」

「わっ、私のどこが好きなんだ?」

「誰よりも慈愛に満ちてるのにろ、自分を粗末にするところ」


 何だそれはと、ガバッと私は顔をあげて彼と視線を合わす。

 やはり、彼はご機嫌に幸せそうに、私に優しく微笑んだ。


「粗末に扱う女の、何がいいんだ!」


 からかっていると私が怒るが、彼は微笑みながら私の顔を引き寄せた。


「お前が大事にしないから、俺が大事にする」

「っあ……」

「共に何があっても一緒だアナ。何があってもお前だけは愛してやる」


 こんなに情熱的な言葉をずっと囁かれていたのかと、今になって気が付いた。

 それと同時に、治まっていた胸の鼓動がまたもや早鐘を打つ。


『恋をすると、ドキドキするとかです』


 胸だけではない。彼の全てに私の全てが反応してしまう。

 認めるしかないじゃないか……もう、勝負はついたのだ。


 私は素直に彼に敗北を告げた。


「愛してるみたいです。あなたを」


 自ら彼の唇に重ね、彼の吐息と私の吐息が混じり合う。

 それから、私は学園を卒業して、正式に彼の婚約者として国から発表された。


 反対意見も勿論出たし、順風満帆な道のりではなかった。

 それでも戦いの場は違っても、私と彼は共に手を取り国の為に尽力を尽くした。


 いつしか学園の仲間たちが家を継ぐ頃になると、風向きは変わり治世は安定する。

 この国の為に成す事全てが、属国となった祖国へも通じると彼は教えてくれた。


 二人で作り上げた平和と幸せは、償いと未来への貯金である。

 晩年の彼は笑って教えてくれた。


「まだ君は信じてないだろう? 本当に一目ぼれだったんだ」


 年取った夫の手を握り、私も笑った。


「信じてますよ、だって私も同じでしたから」




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