前
命を賭けた敗戦の果てに、王女が選ばされたのは「偽りの婚約者」という鎖。
けれど、王子の“狂おしいほどの愛”が、心も運命も塗り替えていく。
武人の王女が、初めて知る恋。
溺れるほどに、重くて、優しい――
――これは、血と誇りの果てに芽生える“本物の愛”の物語。
バシャン!
背中から押された身体は無抵抗なままに、目の前の学園の噴水に飛び込んだ。
この国の貴族だけが、通う事が許された学園において、私の存在は異質であった。
もともと敵国の人間の私が、受け入れられるとは思ってもいなかったが……。
「あははっ、お気をつけあそばせ」
「陰気で無愛想なあなたに、相応しい姿ですわ」
気配には気づいていたのだが、あえてされるがままに任せたのだ。
敗戦国の王女の私は、いわばこの国への人質のような形で連行された。
第一王子の提案により、命を救われた私達王族は、彼に対して逆らうことは許されない。
祖国では、戦場にいた私は最後の戦いで、女だてらに兵士を率いて奮闘していた。
そんな私の首元に、剣を突きつけたのは彼だ。
銀の髪を血で染めた王子は、膝をついた私をジッと見つめるが、青い視線からは感情がよめない。
『降伏を、アナ・フリージア王女。俺が誰かわかるな?』
『殺せ……ニト・フォン・カール』
睨みつける私は、覚悟を決めて目を閉じた。
だが、刃は私の首にあてられたまま停止している。
長身の彼は私に告げた。
『君が俺に従うならば、この国に対しては寛大な処遇を約束するが?』
『従う?』
『君に会うためにここに来たんだ。アナ、俺と一緒に俺の国に来てほしい』
負けた私達に逆らう権利もなく、ただ静かに従うだけだった。
本来なら、処刑が確定である私の両親や幼い弟の助命を約束され、私は彼と共にこの国に連行される。
それなりの厳しい捕虜生活を覚悟していたのだが、なぜか王子と共に学生生活を送っていた。
―― しかも私が、王子の婚約者? ――
この国に来て、まずは城に一室を与えられた。
それについては、一応は私も王家の出なので、体裁があるのかもと理解はしたのだが。
扱いが丁寧なのも、部屋の内装や食事が豪華なのも、そもそもこの国が大国であり資金が豊富だからだろう。
だが、着いたその晩に伝えられた言葉は、想定外だった。
「今日から君は、俺の婚約者だ。明日から共に俺の通う、国立貴族高等学校に通学する事になる」
「は?」
「君は、婚約者として相応しい態度でいてくれ。あと、出来るだけ相手側に危害を与えてはいけない。ただし反撃は、ある程度は許す」
「何を言って……私は既に必要な教育は終えている! 何より、婚約者というのは……」
「君に断る権利はないと思うが? ならば自国に帰るか?」
私は言葉に詰まってしまった。
冗談を言っている顔ではない、何かしら理由があるのかも知れない。
あえて深入りせず、言われた通りにするしか、私には選択肢はなさそうだ。
我が国を守るために、こうして私は王子の訳あり婚約者として、学園に通学する事になったのだった。
*****
水浸しの服の裾を絞り、噴水からバシャバシャと水音をたて外に出た。
再度、私を正面から突き落とそうとした女生徒に対して、流石に二度目は勘弁と、私は少しの怒りを込めて睨みつけた。
「ひっ!」
ビクリと突き出た手が硬直して、ガタガタと彼女は震えだす。
甘く見ないでほしい、この程度の嫌がらせで戦場にいた私が傷つくはずもない。
ぬくぬくと平和な場所で暮らしていた彼女達など、私からすれば小鳥のようなもの。
だから彼も私に『危害を与えるな』と言ったのだ。
この正門前の大きな広場の噴水は、ちょうど帰宅を迎えた生徒たちが、必ず通る場所である。
今ですら、固唾を呑んで見守る生徒たちが沢山いた。
いつものように、彼らは遠巻きにしている。
巻き込まれたくないのだから。
彼女達にしても、突然現れた敵国の王女が、憧れの王子の婚約者になったのだ。
そりゃ面白くなく、こうした子供じみた嫌がらせに走るのも仕方ない。
だが、あえて言わせてほしい。
睨みつけていた眼力を緩め、私は静かに目を一度閉じた。
「文句があるなら、ニト様にどうぞ」
「あの方を名で呼ぶのすら、本来なら負け犬のあなたには許されないのよ!」
必死で私に訴える彼女達に、私はいつものごとく黙り込む。
何を言っても通じない、伝わらない。
立場と育ちがあまりにも違い過ぎるのだ。
ビショ濡れのまま、私は色々と訴える彼女たちに背を向ける。
心の奥底で、何より不満なのは私だとつぶやきながら、迎えの馬車に乗り込んだ。
御者は扉を開けたままギョッとしていたが、私は無視をして、一人とっとと車内に乗り込んだ。
本当なら、一人でさっさと去りたいのだが、以前にそれを伝えたら彼からハッキリと叱られた。
「君なら、一人でこの首都から出る程度は出来るだろう。だがそれを実行しても、国を出た時点で必ず俺が捕まえる」
彼も幼くして、戦場に出る程に勇敢な人だ。そして戦った私だからわかる。
必ず自分の言葉を実行する。
誰よりも意志の強さを持ち、誇り高く優秀な若き銀の鷲、それが彼だった。
実は授業が終わった後は、噴水前で待っているようにと言われて、一応は待機していたのだ。
けれど、ささいな面倒が起こってしまった。
これ以上の騒ぎはごめんだと、あの場を離れた判断は間違っていないとは思うのだが……。
「座席を濡らした事は、謝罪しなければいけないな」
雨の日に進撃した時に比べれば、ただの水遊びで大したことはない。
扉が開き、見慣れた銀の美貌の王子が乗り込んできた。
チラリと私の姿を見ただけで、何も告げない。
そして、馬車は帰路に着くために動き出した。
「噴水で待っていろとは言ったが、水浴びをしろとは言っていない」
「申し訳ございません」
「何があった」
「何も」
あえて口数少なく返事をして、私は無言を貫いた。
どうせ私に聞かなくても、すぐにわかる事だ。
学園内は平等という建前があっても、立派な貴族社会の縮図である。
そんな中で、次期後継者の彼には、王家の影がひそかに護衛していた。
姿を隠す彼らの気配を、私も感じることがあるのだから、彼らに私も見張らせている事は明白だ。
彼らにどうせ毎日報告させているのだから、彼らに聞けばいい。
どちらにせよ、私の意思など関係ないのだから。
ガタガタと揺れる馬車の中で、彼は私に武人ではなく、ただの学生のように優しく語り掛けてきた。
「そんなに嫌か?」
「……」
「強引なのは認めるけど、君に一目ぼれしたのは確かだよ」
「お戯れを、お許し下さい」
「地位と権力を使って、敗者である君に強要している自覚はある。そんなに俺の妻になるのが嫌か?」
「どこまで、この芝居に付き合えばいいのですか?」
とうとう我慢できずに私は切り出した。私の短気は悪い癖だ。
すると、やっと返事をしてくれたと、彼は見惚れる程の笑顔で微笑んだ。
「やっとこちらを向いてくれた。嬉しいよアナ」
「殿下、ですから……」
「うん、君だけは俺の名で呼べと言ったよね?」
優しい仮面の奥から、ジワリと強者の圧を感じて、私は悔しいながらもグッと歯を食いしばる。
いつもなら到着しているはずなのに、馬車はどうやら周回しているらしい。
二人きりになれるのが、この空間だけだからなのか。
短い銀の髪は、サラサラと銀糸のように王家の証として輝いている。
立派な体躯は、間もなく十八歳を迎えるに相応しい健康にあふれた長身だ。
長い脚を窮屈そうに組み、私の向かいに座る美貌の男は、成人と共に次期王として、本格的に始動するのだろう。
既に国民の人気も高く、その温和さと武人としての勇気を称えられ、銀の鷲として皆が即位のその日を待ち望んでいる。
国は栄え、国土は広く豊かな物資にも恵まれている。
この国に、戦いを挑んだ我が祖国とて、無謀な戦力差だと自覚はしていたのだ。
それでも、戦うしかなかった。
飢饉に襲われ、友好国から裏切られ、あとはハゲタカが群がるかのような瀕死の祖国。自ら立つには、なんとかこの国と一戦交えて、一度でも勝利を掴むしか道はなかった。
戦いを煽った元友好国は、この銀の鷲の力を侮り、そして実力を知ると手のひらを返して、私の祖国を生贄として差し出して、逃げたのだから。
「そんなに、嫌か? アナ」
「私は負け犬です。どうぞご自由に」
先ほどの彼女達のセリフをやじって、自嘲気味に私は薄く笑った。
負けるとわかっていた。それでも、一度でも勝利すれば、何かしらの交渉に持ち込めると思っていた。
それしか道はなかったのだ。
あの戦いにおいて、私が前線に出たのは仲間たちを鼓舞する意味もあり、そしてもう一つが……。
幼いころに対面した事のある私は、ニト王子の顔を知る存在であり、彼こそが狙いだったから。
けれど、どれだけ私が武人として優れていても、所詮は女の力。剣で打ち合い、そして負けた。
私の命はもう、あの時に私の物ではなくなった。
私の態度が気に入らなかったのか、それまでの温厚な仮面を外した彼が、厳しい視線を私に向けた。
グイッと突然私の首を掴み、強引に引き寄せられる。
反射的に両手で突っ張ったが、攻撃は必死で抑え込んだ。
「俺は君の意思を聞いている」
「意味がわかりません」
「何度も言わせるな。最初に会った時に一目ぼれして、次に会った時に恋に落ちたんだって」
「余計に意味がわかりませんが、私は捕虜です。あなたの命令に従うしかない」
「だから……はぁ、頭が固いな」
そのまま抱きしめられて、なぜか背中を撫でられた。
ガチガチになった私を解すように、彼は優しく耳元でつぶやいた。
「信じてくれよ。頼むから」
「……まもなく卒業ですが、以後はどうしたらいいんですか?」
「そうだな、俺の言う事なら聞くんだよな?」
なぜかドキドキする動悸を隠して、私は小さくハイと返事した。
なんとか離れたいが、ガッシリと腰を固定されてしまったので、逃げられそうにない。
少し思案した彼は、私に新たな命令を告げた。
「これを芝居だと思うなら、最後まできちんと演じ続けろ」
「婚約者のですか?」
「そうだ。俺の伴侶に相応しいと、周囲に認められる努力をするんだ。そうしたら何か変わるかもしれない」
「努力……」
「君に足りないのは、調和と協調だ。意味はわかるか?」
「なんとなくは」
そうか、まだ偽物とはいえ、婚約者としては受け入れられていないのが問題なのか。
王子としては、いまこそ伴侶が求められる時期なのは理解している。
けれど、彼には何か目的があるのだろう。
周囲を黙らせるために、私は偽物の婚約者という位置にいる。
ただ、いるだけではダメなのだ。
彼の命令はそういう事。本物のように、周囲を信じ込ませる努力が必要だったらしい。
「納得したか? 攻撃をかわすのは得意そうだが、次は受け入れさせて掌握する段階だ」
「はい、わかりました殿下」
「次にその呼び方をしたら、嫌がっても口づけをする」
「了解しましたニト様」
「うーん、まあいいか」
少し腕が緩んだのが、解放の合図だ。
私はスタンと、急いで自らの席に戻った。
苦笑いする彼の視線は、私を見つめている。
けれど、私は口元に拳をあてて、明日からの作戦を脳内で練るのに夢中だった。
*****
次の日からの私の変わりようは、学園内で一気に噂となって広がった。
「聞きまして、あの鉄皮の婚約者が、皆に愛想をふるようになったなんて」
「しかも、媚を売るように親切を装うようになったとか?」
「私なんて、いきなり挨拶されて、口から心臓が出そうでしたわ」
「あと少しで卒業の時期に、今更何が目当てなんでしょうね」
あからさまに聞こえる彼女達にすら、私は品よく笑顔で対応した。
わざわざ昼食を食べる私の真横にまで来て言うのだから、きっと何か言いたい事があるに違いない。
「何かおっしゃりたいなら、ぜひ教えて頂戴な」
「べ、別にあなたになんて何も」
「ふふっ、貴族のあなた方と王族の私では本来口もきけぬ仲ですが、ここは学園ですから許します」
「何を偉そうに! 敗戦国の癖に!」
「ええ、属国とはなりましたが国は潰されておりませんの。ニト様のご厚意に感謝しなくては」
心にもない事すら、感情を消して笑顔で対応する術は、幼い頃から身に着けている。
それこそが王族として、必須のスキルであるからだ。
国こそ小国で敗戦国となっても、王族の地位は奪われていない。
彼女達がどれだけの高位の貴族であれ、王族とは違うのだ。
「本当に生意気な女ね」
誰よりも私を目の敵にする彼女は、この国の伯爵令嬢だったはず。
私の存在がなければ、自分が王子に選ばれていたと自負しているらしいが、それはどうだろう?
ともかく物好きなのは理解したが、他の数名は彼女に合わせて、私にちょっかいをかけているにすぎない。
私は優雅に小首をかしげて、さも上品に笑って見せた。
私の笑顔に、彼女たちは目を剥いた。
「わ……笑って」
「ええ、だって己の立場すらご理解しない……じゃなかった」
叩きのめしてはいけないのだ。そうじゃなくて、別の方法をとらなくては。
「案外面倒だな」
ついポツリと本音が出てしまったが、演じ切るしかない
言葉遣いも丁寧に、彼女たちに近い感覚に寄せるのに集中する。
(剣を振り回して、走り込みをしている方がよっぽど楽だな)
そろそろ昼食の時間も終わりだ。
憩いの園庭で、数人の女性とに囲まれている私は、スカートをはらって立ち上がる。
彼女達の腰が引けたが、私は最後にもう一度だけ彼女たちに問うた。
「それで、私への伝えたい事はそれで全てですか?」
「王子に相応しくないから、とっとと消えなさい!」
伯爵家の彼女が、怒鳴るように私に告げた。
仕方ないなと、彼女を眺めて私は小さくため息をつく。
「ごめんなさいね。その件については、決定権はニト様に頼んで頂戴ね」
では失礼と、完璧なカーテシーにて、私は授業に戻って行った。
教室に入っても、私に話しかける者などいない。
これは、あえて今まで人を近づけなかった結果であり、面倒事を避けるためだった。
最後に近い今となって、無関心だったここの者たちを掌握しろとは、なかなかの難問だ。
自らの席につくと、足元にパサリと本が当たった。
「あら、落としたのね。はい、どうぞ」
今までなら無言で渡していた行為にも、あえて親切を印象付けるために一言添える。
受け取ったのは、落とした隣の席の子爵令嬢だ。
基本的に、先ほどの私を囲った彼女達以外は、大部分の人間は当たらず触らずという関係性のまま過ごしてきた。
その関係性を壊すのは、まあ地味だができなくもないだろう。
実際に、私の手から落とした本を受け取った彼女は慌てながらも、私の言葉に頭を下げた。
「とっても勉強家ですものね。本に沢山チェックを入れて凄いわ」
「えっ?」
「私にはできないもの」
実際には、ここで学ぶレベルの学術は、習得済みであった。
あえて目立たぬように、問題の解答を空白で出している箇所もある位だ。
同学年の教室は三クラスあり、王子とは別のクラスで助かっている。
せめてここにいる間は、ムダな緊張感とは無縁でいたいから。
教室で始まった授業内容を聞き流しながら、私は今後をどうするか思案する。
静かな昼下がりの教室で、コツコツと教師が黒板に書き込むチョークの音が鳴り響く。
今日は幸いにも、王子は外交の為に本日は休みだ。
つまり、心置きなく私のリズムで動ける貴重な日だった。
「では、これをスレイン様、お答えになって」
黒板に示されたのは、隣国の地理についての知識の一つ。
私の隣の子爵家の彼女は、ガタリと立ち上がる。
けれど、なかなか答えが出ない様子だ。
私は小さな紙にメモを書き、スッと彼女の机にそれを置いた。
『ラインを引いていた部分です。山と果物のイラストがあったページです』
ハッとした顔で、私に一瞬だけ視線をやった後に、彼女はやっと理解したらしい。
「土が特殊ですので、果物の栽培がとても盛んな国です」
「そうですね、各国の名産を理解しておくのは大事なことですから」
ホッとした顔で、彼女は席に着く。
私の方を再度チラリと見たときに視線が合ったので、小さく私も微笑んであげた。
前の席の男子生徒の手が、先ほどから止まっている。
私はトントンと背中を叩く、ビクリと大きく体を震わせた男爵家の彼に、私はサッとペンを差し出した。
「余りの予備ペンですから、返却は不要です。良かったらお使いになって」
「あ、ありがとう……」
彼のペン先が壊れ、授業を書き写すのに困っていたのに気づいていた。
私のペンを受け取った彼の手は、やっと止まることなく動き始めた。
授業が終わり、私は教室を出るために鞄に文具や参考書を詰めた。
先ほどの男爵家の彼が、無言で頭を下げてくれた。
そして、隣の席の子爵家の彼女が小声で私に礼を告げてくれる。
こういうやり取りが面倒だったのは事実だ。
けれど、今日からこれを実行してみて、久方ぶりに礼を言われるのは悪くない。
校舎を出て、あえていつも私に絡む彼女達の姿を探す。
まあ、たぶんこちらだろうと、放課後の部活動の場所を目指して広大な敷地を迷うことなく進んで行った。
ここに入学した初日に、全ての敷地の範囲を把握している。
「頑張ってリンクー!」
「負けないでーっ!」
彼女達と、それ以外の女性との声も聞こえる場所は、この学園一番人気の騎士科の模擬訓練だ。
目当ての男子生徒を応援するために、彼女達は見学が許された場所から声援をあげている。
私が来たことに気づいた者たちが、口を開けて硬直していく。
「な、なんであなたがっ」
「あちらにいるのは、あなたの婚約者のリンク・フリークス様ね。確か子爵家の」
「どうして知っているのよ」
「あなたが彼の近くにいると、いつも顔を赤らめて可愛いなって思っていたから」
実際には、戦場の時の癖で観察眼が働いたからなのだが。
可愛いと言われて照れる彼女と、他にも数名いつもの顔ぶれがいるようだ。
主犯の伯爵令嬢の彼女は、流石にいない。
「強いわね、流石は騎士科の上位者ね」
「リンク様は私の婚約者よ」
「そうよ、いつも仲良しで羨ましかったの」
少し寂し気な表情をあえて作ってやる。
周囲の女性たちも、私の雰囲気の柔らかさに警戒を解いていく。
「私はご存じの通り、戦場に出るようなはねっ返りですの。恥ずかしいばかりだわ」
「そっ、それは……」
「でも、小国ながら武人の血筋ですので、強い騎士を見分けるのは得意ですの。それで言えば、あなたの婚約者はとても強くて羨ましいわ」
少し嬉し気に彼女は照れた。
ついでに、私は練習をしている彼らを指さしていく。
「あちらにいるのは、あなたの婚約者の方ね。とても姿勢がいいのね、剣を持つ手にも力があって素晴らしいわ」
言われた取り巻きの一人も、少し自慢げに胸を張る。
「当然よ、私のあの方は代々武人の家ですもの」
「ええ、ツーガル子爵家は本当に手ごわい家系でしたわ」
そして、彼も彼はと、各自の応援している男性陣を適当に説得力のあるように褒めていく。
女としては、自分を褒められるより、愛するものや大事なものを褒められる方が嬉しくなるものだ。
土まみれで、がむしゃらに訓練する彼らが羨ましくてたまらない。
願わくは、私も剣を持ってあそこに飛び込みたいが、今の私の戦いの場はここだ。
遠くで訓練する彼らを見つめ、急に黙り込んだ私に声がかけられた。
「どうかして?」
「私もつい最近まで、ああやって剣を持っていたわねと思い出していたんだ」
その言葉に周囲が静かになったのに、私は少し間をおいて気づく。
「あ、すまない」
咄嗟に謝罪したのは、空気を悪くした事に対してなのだが。
どうも彼女達は別の受け取り方をしたようだ。
「そうよ、つい最近まで女性なのに戦場にいたのよね」
「あんな小国だもの、きっとそうでもしなくてはいけない事情があったのよ」
「ただの野蛮人だなんてとんでもない。好きで戦場に立つ王女なんていないわよね」
「不憫な……そんな事にも気付かず申し訳ないわ」
グズグズと泣く者まで現れて、しんみりとした彼女達に私は内心戸惑った。
思ったより、彼女達は純粋なのだろう、その辺りの認識を見誤っていたかも知れない。
だが、いい方向に転んだ感じがする。
「ごめんなさいね。あなた達の応援の邪魔をするつもりはなかったのに」
「いいえ、私達が間違っていました。あなたがどうして戦場にいたのかすら、甘く見ていたわ」
うんうんと頷く周囲に、私は曖昧な顔でわかったふりをする。
周囲にいた女性たちは、応援をそっちのけで私を囲んだ。
「きっと傷ついたあなたを見かねた優しい殿下のお心遣いなんだわ」
「怖かったでしように、だからいつもこわばった顔をされていたのね」
いや、自ら志願して戦場に出たし、こわばった顔とやらは感情を出さなかっただけだ。
そんな私は、笑顔を張り付かせたまま、そのままジッとなすがままに任せた。
「誤解していたわ、ごめんなさい」
「これからは、あなたも幸せになる権利ずあるのよ」
「そうよ、優しい王子があなたを選んだのも、あなたを戦場から救うためだったの」
どうやら彼女達の中で、大いに私の位置が変化したようだ。
彼女達の感性は理解できないが、この好機にのっかる事にした。
ここぞとばかりに、私はあえて涙すら出ていない目を手で押さえて、彼女達に礼を言う。
「あなた達が私の事を思いやってくれる、それだけで私は幸せです」
これ以上、どう出ればいいのかわからない。
だが、余計にそれが彼女達には良い印象だった。
「なんて健気な方かしら」
「今までと違って、これからはちゃんとあなたの味方よ」
「どうか王女、涙をお拭きになって。以後はちゃんと、あなたを理解すると約束しますわ」
励ましてくれる彼女達の心を、掌握するのは成功した模様だ。
私は、弱々しく彼女達に伝えた。
「あと少しで卒業だけど、どうか良き友達になって頂けて?」
「勿論よ」
「たとえ伯爵家の彼女が何か言っても、もう私は従わないわ」
「私もよ」
主犯の伯爵家の仲間たちは、こちら側についてくれるらしい。
それ以外の女生徒たちも含めて、この場にいる皆が一つになった空気に包まれた。
(これはまた、戦場の仲間との団結と違う気配だが、悪くないな)
この日から、私の学園生活がガラリと雰囲気が変わることになる。
*****
「たった一日で大したものだな」
次の日の登校の馬車で、王子は私にそう言った。
彼の向かいに座りながら、私は窓の外に視線を向けている。
「まだ成果はわかりませんよ」
「影からの報告を聞いた。流石はアナだ」
外の風景では、まもなく学校に到着しそうだ。
この平和な街並みを見る度に、故郷の復興も進んでいるといいと願う。
その為に、私はここにいて目の前の王子の言いなりになっているのだから。
敗戦を受け入れ属国となる条件が、私の身柄を王子が引き受ける事と知り、わが祖国は激怒した。
父などは、いっそ名誉ある死をと叫んだが、王子の一喝で皆が黙った。
『恥だろう何だろうと、生きて幸せを掴む機会を奪うのは、親であろうと許されない!』
捕虜であるのは事実だが、辱めを与えるつもりはなく、王子個人が全力で私の責任を取ると宣言したのだ。
本来であれば、一族全て処刑を免れ、大国の擁護下において、むしろ祖国は以前より安定した治世を送れると約束してくれた。
そして、王族も第二支配権を持って、いわば辺境伯の位置づけのように、王族としての面子と支配権は確保された。
馬車が音を立てて停止した。
彼のエスコートにより、ヒラリといつものように降りて学園の正門に共に向かう。
いつものように朝の登校を続けて、まもなく三年目。
それも、あと少しで終了だと思うと、今更ながらに色々と感じるものはあるものだ。
見慣れた景色と、何も知らずに無垢に学びを楽しむ同学年の彼女達を見て、祖国の格差に愕然とした気持ちもあった。
けれど、今ではそれこそが私達の欲しかった大事なものなのだと理解できる。
命の不安もなく、ただ純粋に恋をして学びたい知識を学び、友と語らう。
その世界の為に、この男は戦い今後も守っていくのだろう。
いつもなら遠巻きに私達を見守る学友たちが、なぜか今日は私達を見て頭を下げて微笑みすら称えてくる。
隣にいる王子の手前、礼をされるのは当然なのだが、どうも視線のというか雰囲気が違う。
違和感を感じつつも、私は昨日から実践している挨拶を始めた。
「おはよう皆さま」
通り過ぎる度に、私は小さく愛想よく手を振った。
すると、どうだろう。
昨日までは硬直していた生徒たちが、少なからず反応してくれた。
「お、おはようございます」
「殿下とフリージア様に朝の挨拶を」
まだぎこちないながらも、久しぶりに私の国の名をこの国で聞いた。
感動で胸が震えつつ、校舎に向かっていく。
校舎の入り口に、複数の女子生徒が集まっていた。
何事かと、反射的に王子の前に半歩出て彼を護衛する形をとったが、即座に腕を引かれて後ろに下がる形になった。
「ニト様」
「心配ない、ただの学生たちだ。それより俺に恥をかかせるな」
「恥?」
「惚れた女を前に出すほど、おちぶれていない」
まだ冗談の余裕があるなら大丈夫だろう。
彼女達は私達の姿を認めると、一斉に深くカーテシーにて礼をした。
「おはようございます殿下、それとフリージア様」
「おはようみんな。ところで、どうしてここで集まっているんだ?」
彼の問いに彼女達はゴクリと決意した顔で、今度は深く頭を下げた。
「私達はまずフリージア様に謝罪したかったのです!」
「謝罪?」
彼がこちらを見たが、私も小さく顔を横に振る。
彼女達は別に私に危害をくわえたわけでもなく、ささいや嫌がらせなど何も感じてはいなかったのだが。
「昨日、フリージア様とお話をして、私達の愚かな心を正してくださいました。本当に申し訳ありませんでした」
「皆さま、何がどうなのかわかりませんが、お気になさらず。お顔をおあげになって」
私が優しく促すと、涙目の彼女達がより感極まった声で感謝を述べた。
「このような私達まで労わって頂けて、自らも敵国であった我が国に来られて大変だったでしょうに、なのに私達の心にもない態度を許して頂ける」
「自分が恥ずかしくなります。王子は傷ついたフリージア様を思ってのご婚約なのに、浅い嫉妬心から嫌がらせばかり」
「なのに何事もなかったかのように許すだけでなく、昨日は私達と友達になろうとまで言って頂けて……」
朝から彼女達は元気なもので、再びハンカチを取り出して目元をぬぐう者もいる。
チラリと王子を見ると、一瞬だけ口元が笑っていたので、この状況を楽しんでいるのだろう。
そして、何も言わないという事は、私に収めろという事だ。
いつしか、他の登校の生徒たちも私達の後ろに集まっている。
まあ入り口で、こうやって私達が塞いでいるのだから当然か。
早くしないと授業が始まるなと、私は締めにかかった。
「どうかもう謝罪はなさらないで、私達は友達でしょう?」
「……フリージア様」
「どうかアナと呼んで下さいまし。リリス様、フローリン様、あとサラ様にアンリエッタ様……」
「私達の名前をご存じなんですね」
「当然ですわ。お友達ですもの」
便利な言葉だなと友達を連呼しながら、相手の名と顔を覚えるのは王族ならば当然なのだが。
より、感極まった彼女達が大声で宣言した。
「私達は、永遠にアナ様の良き友であり殿下との幸せを応援致しますわ!」
その途端に、周囲から割れんばかりの拍手喝采が鳴り響いた。
感動に包まれた場を、突然一人の女生徒の怒鳴り声が切り裂いた。
「あなた達は何を勘違いしてらっしゃるの!」
聞き覚えのある声は、やはり私に突っかかる伯爵令嬢の彼女だ。
「おはようございます。セイラ様」
「馴れ馴れしく、私の名を呼ばないで頂戴」
強気で噛みつく姿勢に、周囲は一瞬にして騒めいた。
(なかなか勇気があるな、この雰囲気でも己を貫くのは。愚かか自信があるのか)
今度こそ、王子ではなく私が一歩前に出て彼女と対峙した。
殺さんばかりに睨みつける私の視線を軽く受け止め、彼女の言葉を待つ。
だが、口火を切ったのは私の背後の新たな友人たちだった。
「いい加減になさいまし、セイラ様。殿下が決めた事柄にそもそも口出しは無用ですわ」
「たとえアナ様が敗戦国の出であろうと、私達とは違う王族に違いありません」
「アナ様が婚約者をやめたとえ、セイラ様が選ばれるとは限らないのです」
昨日まで仲間だった者たちに諭されても、セイラはワナワナと震えるばかりで怒りの覇気は消えることはない。
むしろ裏切られたとばかりに、彼女達にまで怒りの矛先を向けた。
「よくも……その負け犬の女に同情でもしたのね。本来なら縛り首の女が生き延びている理由なんて、殿下を色仕掛けで落としたに違いないでしょ!」
今度こそ周囲は完全に停止した。そのあまりの侮蔑の内容に、ざわつく気配すら硬直してしまう。
彼が動こうとした瞬間に手で軽く制して、私はあえて悲し気な顔を作って演技した。
「ひどいわ……けれど、私の命を救って頂いた殿下には恩義があるのは事実です。そして敵国だった私は、この国では罵られても仕方のない存在ですわね」
偽の涙を器用に流せる術がないので、両手で顔を覆うと、どよめきの声が上がる。
「私も戦場に出ました。きっと、この国の方々を沢山傷つけました。私の国の者も傷つき、私はいつも辛かった」
本当は辛いというより悔しかった。
あと少しの時間があれば、あと少しの資金や物資、兵士がいれば戦況を変えられたのにと。
互いに命をかけた殺し合いなのだ。一方的に恨みを持つのは勝手だが、ならば戦場に来るなが私の本音だ。
このあたりの思考の違いが、根っからの武人の私と平和主義の彼女達との格差なのだと思う。
そして、平和である今は彼女達の思考が正しいのだ。
それを想定しながら、言葉を選び周囲を味方につけていく。
「あなたに見せる顔がありません」
いや、実際には何をどう話せばいいのか、わからなくなったのだが。
私の困惑がわかったのか、小さくプッと笑う王子がいる。
顔を覆ったままの私を庇うように、周囲の皆がセイラに抗議の声を上げ始めた。
「戦争は互いに責任があり、王女だけを責めるのは間違いだ」
「和平のために来ている王女を虐げる必要はあるのか」
「そもそも、彼女はただの自分の嫉妬心を王女にぶつけていただけだろう」
「ずっと見ていて不愉快だったわ、伯爵令嬢だからって好き放題して」
「そもそも王族に対して侮辱罪を適用されてもおかしくないのよ」
あまりにも四面楚歌に陥った彼女は、青ざめて今にも気を失いそうだ。
これはいけない。弱い犬であろうと、追い詰めればロクな事はない。
私が手を挙げると、皆が一斉にシンと静まり返った。
「彼女は殿下愛しさに、少し混乱してしまったに違いありません。それ程に殿下をお慕いしているだけです」
「それでも、彼女があなたを虐げた事に違いはないでしょうに」
文具や参考書を隠したり、近くに来て集団で小鳥のように鳴いていたり、あとは水浴びを何回かする程度だな。
あれが虐げになるのかと、感心しそうになったが、今はそれどころではない。
本当に、はやく校舎に入りたいのだ。
「皆さまにも私にも、気の迷いというものはあります。そして集団で彼女を責める行為こそ、虐げていると言えるのではなくって?」
私はニッコリと小首をかしげて、あえて明るく言った。
「こんなに沢山のお友達ができて、私は果報者です。さあ早く授業に参りましょう」
校舎内から複数の足音がコチラに向かって来るのがわかる。
きっと教師たちが騒ぎを聞きつけて、向かってきているのだ。
私の言葉に、やっと皆の夢が覚めたのか、ゾロゾロと通常の登校時間を取り戻して、各自が校舎に入っていく。
「無難に終わらせたな」
「さあ授業に参りましょう」
駆け付けた教師たちを横目に、私達はそれから普通に教室に向かった。