【短編】オカルト団地の管理人:残念ながら怪異になった貴方にも、どうか居場所を
気がつくとそこは見知らぬ場所だった。
「どうもお嬢さん。私はこの『オカルト団地』の管理人である蝶同喜介と申します」
ぼーっとしている状態の中、アタシの目の前に突然現れたのは中年男性。ぱっと見は40代後半ほどの小太りで頭には黒いハットを被っており、黒縁の丸眼鏡も装着している。ただ、ちょっとオシャレなそれらとはアンバランスに、着ているのは青い作業服だ。
「管理人・・・?」
「ええ管理人です。ご覧ください、ここが『オカルト団地』です」
アタシは、自身のことを管理人だと称するこの中年男性の向こう側を覗き込む。今の今まで気づかなかったのだがそこに広がっていたのは確かに団地のような場所。
だけど。どうもそこは日本のどこかにあるようなそれとは少し違って、大きくてヘンテコな形の建築物がたくさん並んでいる。
例えば円形状のものや三角形のもの、円錐状や台形のもの。中にはもはや何角形か分からないようなぐちゃぐちゃのものまである。もちろん「団地と言えば」という普通の、いわゆる白くて長方形の『棟』もあるのだが・・・。それよりも変な見た目のものの方が格段に多い。
それらを見て呆然としながら突っ立っていると、じきに空からは雨粒が落ちてきてアタシの髪を濡らす。ところが「天気が悪いんだ」と思って見上げるとそこは眩しいほどの快晴。つまり『天気雨』という現象が起きているのだ。
「ここは365日のうち、360日はこのような天気です。雨が降らないのは盆と大晦日、そして正月だけですから。それのせいで敷地外は大きな湖になっておりますのでお気をつけください」
管理人はこう言うと「こちらへどうぞ。お嬢さんにこの団地を案内しますよ」と背中を向け、アタシも不思議と何の疑問を抱かず彼のことを追うように、足を動かした。
◇
食堂。図書館。銭湯。
淡々と管理人は団地の説明を続ける。振り続けている雨は決して弱いものではないが、煌々と輝く太陽が顔を出ているからか不思議と不快には感じず、それにそもそも手元に傘も無いのでアタシも管理人も濡れたままだ。
管理人が言うこの『オカルト団地』、確かに建築物はヘンテコなものばかりだが、敷地内自体は実はそこまで変なところは見当たらない。
停められている車は1台も存在しないがごく普通の平置き駐車場。意外としっかり手入れがされており青々としている茂み。地面にもゴミなどは落ちておらず不衛生感は全く無い。
ただ、苔の生えているお地蔵様が等間隔で配置されているのは気になる。せっかくだから綺麗に磨いてあげれば良いのに。
「・・・あれは何ですか?」
そんな中、雨でしっかりと濡れたままのアタシは思わず立ち止まり、管理人が紹介しなかったけれど視界に入った建物を指さす。
それは3階建てほどで朱色に塗られた西洋館。しかし誰かが出入りしている様子は無く、総じて閉められたカーテンによって窓の向こう側は全く見えない。
言葉にできない不思議な雰囲気を感じ取り、首を傾げてその西洋館を見つめるアタシ。ところが管理人は黒いハットに手をかけて静かに答える。
「ああ、あれは・・・。ここに住まわれている方々の中で、恋人関係になると利用されている場所ですね。詳しくは知りませんが」
「・・・え?そ、それって。ラ、ラブホ・・・」
「まあそこは良いでしょう。それよりもお嬢さんに紹介をしなければならない場所がありますから」
気まずそうな様子の管理人は西洋館からすぐに目を離し、再び歩みを再開させた。
「まあそうだよね。アタシはまだ高校3年生だもん。こんな女子にそういうことは言いづらいはず・・・」
そうだ。アタシは18歳の高校3年生。来年には大学受験を控えている。なのに・・・あれ・・・?
「アタシ・・・こんなところで何をやってるんだろう・・・」
突然襲いかかる寒気。噴き出る冷や汗。ガクガクと震え出す両足。
「どうかされましたか?」
アタシがついて来ないことに気づいたのか、少し先に進んだところで、管理人は黒いハットを触れながら後ろを振り返る。
「こ、ここはどこ・・・?アナタは誰なの・・・?」
「おや?先ほど言いましたよね。ここは『オカルト団地』、私は管理人の蝶同喜介ですよ」
すると管理人は作業服の胸ポケットから手帳を取り出してそれをパラパラと開く。
「えーっと。ああ、お嬢さんは18歳の高校生だったんですね。そして・・・なるほど。お嬢さん、通っていた高校の裏にある山で殺されたでしょう?しかも正しい弔われ方もされていない。これじゃあ怪異になってしまいますよ」
この言葉を耳にした瞬間、アタシは瞬時に全てを思い出した。
◇
クラスに内気な女の子がいた。
三つ編みをしている彼女は声も小さく大人しい。普通だと、こういう子はただ単に無視されるはずだけど、何故だかクラスカースト上位の標的になってしまった。
彼女は別に何か悪いことをしたわけではない。誰かの嫌味や悪気を言うこともないし、成績だって普通で偉ぶっていたわけでもない。それでも少し弄った時に期待していた反応をしないのが癪だったのか、それともろくに反撃をしてこない良い獲物だと思ったのか。
その女の子は1年間近く、言葉にできないほどの酷い仕打ちを受けていた。
アタシはクラスカースト上位の女子陣とそこそこ仲が良かった。だから最初は見て見ぬふりをしていたけれど、じきに我慢できずにそれを咎めて止めようとした。
ところがこれが逆効果。
先生にだって相談をしたけれど、クラスカーストを崩すのを恐れて何も干渉せず。むしろイジメのターゲットがアタシに移ってしまう。
本当に呆れた。だってアタシ達は来年には大学や専門学校、もしくは社会に出て行く年齢。にもかかわらずまるで子供のような嫌がらせに精を出し、それを一種のエンタメとして愉しむだなんて反吐が出る。
だからアタシは、あの三つ編みで内気な子よりも我慢強いからと思って耐えた。耐えて、耐えて、耐えた。
だけど・・・。
遂にアタシは殺された。
クラスカースト上位、そのトップに君臨する女子。彼女は別の高校を中退した不良男性と恋人関係にあったようで、アタシはその彼から「俺の女が気に食わないって言ってたのはお前か」といちゃもんをつけられた。もちろん反論したし抵抗もしたけれどアタシの言うことに耳を貸すわけがない。
確かあの時は放課後に校舎裏の山の麓に呼び出され、口論の末に金属バットのようなもので頭を殴られて即死したんだ。
それから通夜・葬儀はあったんだけど・・・。よりにもよって両親はネグレクトだったから面倒そうに式を執り行っていた。幼い頃からまともに食事も用意してくれなかったぐらいの人達なだけあって、全然涙も流してなかったし、その光景を見てさすがに情けなく感じて怒りも湧いてきた。
おまけにアタシのことを殺した犯人も逮捕はされなかった。もちろんすぐに遺体は発見されたんだけど不良男性の父親が警察のそれなりに偉い人で、色々と手回しをしたらしい。
・・・あれ?でもどうしてアタシはこんなことまで知ってるんだろう?
通夜とか、葬儀とか、犯人のこととか。だって死んだはずだよ?こんなこと知りようが無いのに・・・。
ああ、そうだ。思い出した。アタシは殺された後。
化物になっちゃったんだった。
◇
「ようやくご自分の姿を認識されましたか」
手帳を畳んで胸ポケットに収めた管理人。彼は雨に濡れながら満足そうに笑みを浮かべる。どこか不気味なその笑顔だが、彼の言う通りアタシは現在の自分の形状をようやく把握できた。
一見すると生前のままの姿で制服を着ているように見えるけれど。額には鋭い牙の生えたもうひとつの口が存在して、ダラダラと涎を漏らしている。粘性のある唾液は鼻の近くにまで垂らされているが、降りしきる雨のせいか全然気がつかなかった。
おまけに殴られた箇所、頭部の左側はべこっとへこんでしまっている。でも、これが今のアタシなんだ。
「改めてご挨拶をいたしましょう。この『オカルト団地』へようこそお越しくださいました」
自分の顔を触ってその感触を確かめているアタシに向かって、頭に被っていた黒いハットを脱いで深々と頭を下げる管理人。
それからゆっくりと顔を上げた管理人は、なおも雨に濡れながらアタシに説明をしてくれた。
怪異というのは正しい弔われ方をされなかった霊魂の成れの果てであること。
怪異になると自分の力では極楽にも地獄にも行くことができず、現世で彷徨い続けること。
しかし怪異化から49日を経過しても、湧いてくる殺人欲に負けずに現世で人を殺めなかった場合、この『オカルト団地』に辿り着くこと。
つまりアタシは怪異となった後も殺人欲に屈することなく耐え抜いたので、『オカルト団地』があるこの場所に今いるというわけだ。
「確かにアタシは殺されて魂が体から抜けた後、自分の通夜や葬儀を見てた。だけど両親が心を込めず式を流れ作業のようにしている様子を見て、怒りに震えて・・・」
「そうです。先ほども申し上げました通り、正しい弔われ方をされないと怪異となります。お嬢さんはそれから怪異と化し、現世を彷徨っていたのでしょう」
管理人の言う通りアタシは今の化物のような姿となって現世に留まっていた。そして何度もイジメの首謀者である女や、その恋人でアタシを殺した張本人である男に近づいた。強烈な殺意を抱いて迫ったことも覚えている。
その目的はもちろん復讐のため。それにあの時は無性に「とにかく人を殺したい」という欲求に駆り立てられたことも思い出す。
しかしアタシはこの手を汚すことは無かった。と言っても、その理由は自分でも分からないけれど。
「怪異となって芽生える殺人欲に負けないのは立派ですよ。それこそ怪異の身で人を殺めてしまえば、永遠に現世から離れることができませんから。喜怒哀楽全ての感情を失い、ただ殺人欲を満たすために動く負の存在に堕ちてしまうので」
まるでアタシの考えを透けて見ているかのようにこう口に出す管理人。
そのまま彼は雨が降りしきる晴天を見上げ、まるでそれを全身で浴びるように両手を広げる。
「ここは現世でも極楽でも地獄でもありません。ただお嬢さんのように耐え切った人が流れ着く、不思議で穏やかな場所です」
「・・・アタシはこれからどうなるんですか?」
思わず管理人に問う。死んだのにもかかわらず極楽にも地獄にも行けないアタシは、それではこの先どうすれば良いのだろうか?
「だからここがお嬢さんの居場所です。ご安心ください、『オカルト団地』は永遠に静かな時間が過ぎるだけの団地ですから。まあ神や仏の気が向けば・・・極楽に呼ばれる可能性もございますがね」
こう言いながらハットを被り直した管理人は顔をアタシの方に向けると、雨粒に濡れた黒縁眼鏡のレンズを通して、こちらをじっと見つめてくる。
「それではお嬢さん。せっかくですから同じ団地に暮らす方々にご挨拶をどうぞ」
するとアタシの背後から思春期の少年のような声が聞こえてくる。
「あれ?見ない顔の女性だ。新しい入居者さんかな?」
「こんにちは視猿さん。また図書館帰りですか?毎日毎日勉学に励んで精が出ますね」
振り返ったアタシの目に映ったのは、手足が非常に長く、本来の位置だけでなく両頬にも4つずつの眼球がある男性。
普通ではないその姿に目を奪われていると、さらに次は女性による「ちょっとどうしたの?もしかして今日ここに来た人?」という甲高いトーンが耳に届く。
その声の主が足早にこちらの方へと近づいてくるが、彼女もまた普通の人間ではなかった。
スタイルはよく、タンクトップにホットパンツという露出の多い恰好をしているが。なんと顔は愛嬌のある柴犬そのもの。
おまけに尻尾も生えているのだが、こちらから見ても分かるほどそれを大きく振っており、アタシと管理人の顔を交互に覗いている。
「こんにちは、柴々美さん。このお嬢さんは新しい入居者ですよ。名前はまだございません。なので今から考えます」
こうして管理人はその場にしゃがみ込むと、胸ポケットから再び取り出した手帳を開く。さらに同じ場所から筆と、血液のような赤い液体が入った瓶まで出して地面にそっと置いた。
「お嬢さんが住まわれる部屋はもう決まってあるんですがね。楕円形の第188棟、2階の8号室です。ただその前に名前をつけないといけませんから」
そして蓋を開けた瓶に手に持った筆の先をつけ、赤い字で手帳にいくつか記入をしていく。
「私は見たままの姿を名にしますので。おすすめはこちらです」
こうして管理人が提示してきた名前の候補をじーっと見た後。直感的にアタシは決めた。
「それじゃあ・・・これで」
「かしこまりました。それでは今後ともよろしくお願いいたします、雙喰さん。まずは涎を垂らしている額の口に合うような食事を、あちらの食堂でいただきましょうか?」
◇
「あの噂って本当なの?」
夜道。かなり着崩された制服姿の女と、ジャージを着用した男が歩いている。
「ああ。この先にある屋敷に住んでるジジイがよ、バカみたいに裕福で頼んだら金をくれるらしいんだ。SNSのDMでこの噂が回ってきたんだよ」
男は金髪。不安気な表情の女とは異なって彼の目は金銭欲にまみれ、深夜なのに瞳孔が開いてしまっている。
「最近は親父から小遣い貰えねえんだよ。ここらの警察の中でも偉くなったく癖にケチな野郎だぜ。ま、あの件をもみ消してくれたのは助かったがな」
そうしてふたりは歩みを続けていると、不気味な雰囲気を醸し出す、朱色に染められた西洋館に辿り着いた。
「こ、ここ・・・?ねぇ、ウチやっぱり帰って良いかな・・・?」
「ここまで来て何言ってんだ。行くぞ」
こうして意気込んだ金髪の男は大股で館に近づくと玄関のドアをドンドン!と大きな音が出るほど強く叩く。周りに他の建物は見当たらない。それに道路にも車は走っておらず、通行人の影も無く、非常に乱暴なそのノック音だけが虚しく周囲に響いているのだ。
「おいジジイ!ここを開けろ!金を寄こせ!」
「ちょ、ちょっと!」
女が何とか制しようとするも男の方はそんなことなど気にも留めず、一心不乱に叫び、ドアを叩き続ける。そうしてしばらくすると・・・。
「ようやく出てきたか。ジジイ、俺らは貧乏なんだ。金をくれよ」
ゆっくりとドアが開き、館の中からは中年男性が姿を現した。
「な、何この人・・・?」
しかし女の方はこの中年男性の恰好を見て思わずこう漏らす。なぜなら黒いハットを被り、黒縁の丸眼鏡をかけており、それとはアンバランスな青い作業服を着ていたからだ。
それでも金髪の男の方は臆せず、中年男性に顔を近づける。
「おい、聞こえねえのか?金を寄こせ。裕福なら貧乏人に施しをしろ」
睨むような目つきを向け続ける金髪の男。ところが中年男性も強面な彼に怯むことなく、表情も崩さず、口も開かない。
「ね、ねえ帰ろうよ?」
女の方は館だけでなくこの中年男性からも不気味さや恐怖を感じ、必死になって金髪の男の手を引く。ところが今逃げることによって、ここまで来ておいて何も成果が無いという状況になってしまうことを許せないのか、彼は中年男性に怒号を浴びせる。
「おい、聞こえねえのか・・・ゴラァ!」
さらに黙ったままの中年男性の胸を小突き玄関の中へと強引に入っていく金髪の男。するとそこで彼は、玄関にある下駄箱の上に、大きな水槽が設置していることに気づいた。
魚などの姿は見えないそれだが、中心にはプカプカとジオラマの島のような物体が浮いている。この物体はさらに、水槽の隅に固定されたホースから噴き出す水を常に浴びている状態だ。おまけにこれのせいで水槽から溢れた水が玄関を濡らしている。
「な、何だこりゃ・・・?」
その島の上には青々とした植物や色々な図形の立体物、そして苔の生えたミニチュアの地蔵が配置されており、金髪の男は魅せられたかのように凝視する。
「生きるためには水が必要です。彼らはここでしか生きることができませんから」
金髪の男がじっと水槽を見つめていると、中年男性は朗らかな笑みを浮かべながらこう話し、彼の肩を抱く。そしてそのまま玄関先で震え続けている女にも顔を向けて「ほらお連れさんも。家の中にいらっしゃい」と声をかけた。
「い、いやウチは・・・」
「ほら、遠慮せずに。どうぞ中へ」
これでもう金銭を得られると確信した金髪の男は、ハッとした表情に変わり口角を上げて首を縦に振る。そのため仕方ないとばかりに女も玄関に入って・・・。
そのドアは誰の手を借りることもなく静かに閉じられ、オレンジ色に輝いていた電球は消え、『蝶同』と書かれた表札が小さく揺れた。
それから数時間後。
愛用の筆の先に血液のような赤色の液体をつけ、中年男性はぶつぶつと呟きながら手帳に何かを記載していた。
「色が濃く新鮮なインクが手に入って助かりました。こちらの名簿にも雙喰さんのことを書こうと思っていましたから、ちょうど良いことです」
薄暗い室内にもかかわらず、黒いハットを被り続けながら。