56.エリアの胸の内
イオの見舞いから二日が経った。
出校日だったが、午前中から街に魔物が出現したことにより授業は中断し、生徒たちはインカムを装着する。
シャーネの父の会社が支給したインカムで指示が飛ぶようになっていて、貴族たちは覚えるのに四苦八苦していたようだが、基本的なボタン位置は把握したようだ。
ミヤトはツーマンセルを組むことになったエリアと現場に向かう。
街中の工事現場に現れた魔物を難なく討伐し、辺りの様子を窺いながら世間話を口にする。
「イオは明日退院だったな」
「ああ。ようやく解放されると喜んでいたよ。――この前はイオの相手をしてくれて助かったよ。ありがとうな、ミヤト」
「別にお礼を言われるほどのことはしてないよ。それにイオは俺の友達だからな」
ミヤトが言い切れば、エリアは一瞬瞠目した後に微笑んだ。
それにミヤトも釣られて口角を上げた。
「エリアは本当にイオのことが大好きなんだな」
「……」
軽い気持ちで言葉をかけたつもりだったが、エリアの眉が曇り、顔が強張った。
予想外の反応にミヤトは言葉が詰まる。
気まずい沈黙が流れ、完全に会話を続けるタイミングを逃してしまった。
ミヤトが息を呑んで口を開きかけたとき、耳にはめているイヤホンから微かに電子音が聴こえ、耳を傾ける。
『通達。魔物が建物内に侵入したとの通報あり。場所はAショッピングモール、繁華街ビル、公民館、A校区小学校及び中学校、国立病院――』
耳に流れる情報にミヤトは目を見張る。
今まで魔物は建物内に侵入しなかったので、油断しきっていた。
安全どころだと思っていた場所が崩壊したのも不安を煽るが、イオの入院先の病院も被害に遭っているとなるとエリアの心中のほうが気がかりだ。
彼女の顔を窺えば、耳を押さえながら絶句している。
ミヤトは半ば強引にエリアの手を取った。
「エリア、急いで病院に向かおう……!」
エリアは不安げにミヤトを見上げたが、しばし間を置いてから頷いた。
病院に向かう途中、出会す魔物を討伐しながらも二人は駆ける。
エリアはその間もずっと浮かない顔をしていて、ミヤトは気遣うように様子を窺っていた。
「イオなら大丈夫だよ。一応病院にも魔力所持者はいるしな」
「……ミヤト……私は――本当に弟の心配をしているのだろうか?」
「え? な、何言ってんだよ……? そんなの当たり前だろ」
「――本当に? この焦りは本当にイオの身を案じて生まれているのか? ――我が身可愛さゆえの虚栄心から生まれたものなんじゃないのか?」
エリアは正面を向いたまま目を苦痛に細めて、声を絞り出すようにそんなことを口にした。
ミヤトは彼女が何を言っているのか頭が追いつかず、返事がすぐには返せなかった。
何も言わなないミヤトに構うことなく、エリアは正面を向いたまま独白を続ける。
「たまに思うんだ。私は自分の保身のために弟を大切にしているんじゃないのかって……」
「まさか。ただの気の所為なんじゃないのか?」
エリアの口にした不安をミヤトは笑い飛ばす。
確かに彼女はイオに下手に出ているきらいがあるが、ミヤトの目にはそれすら弟に嫌われたくないという理由で説明がつくのだ。
だというのに、エリアの表情は晴れることなく、走っていた足を止める。
ミヤトも勢いを止められず先に進んでしまったが足を止めて振り返りエリアを見た。
「……ミヤト……私は――魔力を持たずに生まれた弟のことを見下していたんだ。私は、君の思う通り冷たい人間なんだよ」
「……」
エリアはミヤトと目を合わせることなく、顔を横に逸らしながら言った。
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エリアの母がイオを妊娠したとき、両親ともに宿った生命に感謝し、産まれてくる子供を今か今かと待ち続けていた。
幼いエリアは詳しくは理解できないものの、そんな両親の嬉しそうな雰囲気を感じ取って自身も同様の気持ちで振る舞っていた。
両親はしきりに元気に生まれてくれさえすればよいと、魔力を持たずともよいと口々にしていた。
だからイオが生まれた時に、エリアはどうして両親の言葉ではなく、幼稚園の男の子が言っていたセリフを選んでしまったのか分からなかった。
イオが魔力なしと診断された時、両親は顔には出さないように努めていたが、期待が外れた落胆が声音に滲み出ていた。
しかし、それを払拭するために父がひと際声を明るく張り上げてイオを抱く。
「魔力はなくても元気に生まれてくれたんだ。それだけで十分過ぎるほど有難いことだ」
エリアはその姿を見て、両親の言葉に迷いがあるのを感じ取った。
そして、口にした。
「いおは、かみさまにあいされてないの?」
口走った瞬間、エリアはハッとした。
エリアを見つめる両親の顔が悲しみで歪んでいる。
言ってはいけない言葉だったと、エリアは生まれて初めて言葉には意味があるのを理解した。
子供のただ無邪気で残酷な純粋さを酷く後悔した。
あの時の両親の表情は忘れられない。
笑っていた顔が歪み、泣き出しそうな、困ったような、怒りが滲んでいるような様々な感情が入り混じった暗い顔をしていた。
それを目にした瞬間、エリアは気づいてしまった。
無意識に弟を、魔力がない者を差別してしまったのだと。それは、両親も同様に。
元気にさえ生まれてきてくれたらいい、という言葉はただの美辞麗句にすぎなかった。
それからエリアと両親はその日のやり取りをなかったことにした。
誤魔化すように、蓋をするように、エリアと両親はイオに愛情を注いだ。
イオの好きな食べ物、やりたいこと、行きたいところに連れていき、果てには両親とエリアが全く興味のなかったゲーム機を与え、弟のために尽くしていた。
そうして、イオの喜ぶ顔を見るとほっとするのだ。
私たちは差別などしていないのだと。
しかし、数年後再びそれが顔をのぞかせる。
あの日の裏で明らかになった事実のせいで、わだかまりとなっていた一説が濃厚となり、それまで否を唱えていた貴族間の不審を煽った。
そしてエリアも思ってしまった。『やっぱりか』と。
しかし、それでもエリアたちは否を唱えなければならない。
でなければ、弟も神に愛されていないことになる。
魔力がない人間が愛されていないことがもしも真実であるならば、今エリアたちが弟にしていることは神に逆らっていることと同等だろう。
それは同じ環境化である貴族たちも同様であり、疑念が渦巻いた。
緘口令という形で封印することになったが、今まで影を潜めていた魔力至上主義者たちが幅を利かせる結果となった。
だから、エリアは弟に魔力が現れたとき酷くホッとした。
と、同時に未だに魔力で人を判断しているのだと気づいて自分の冷たさに嫌気が差した。
そして、そんな感情を抱かせた王室を薄っすら恨んだ。
外面は人格者のような振舞いをしておきながら、内面は醜く黒い。
ラースの件も微塵も彼のことを可哀想だなんて思わなかった。
友達としては確かに好きだ。しかし、家庭の事情となれば話が別なのだ。
寧ろエリアが彼の立場であるなら、ミヤトの言っていることを余計なお世話だと一蹴するだろう。
その気持ちは今でも変わらない。
だけど弟や友達と一緒にいるときに覚える温かな感情は嘘ではない。
その瞬間だけは後ろめたい気持ちなどは消え去っていると断言できる。
しかし、エリアはたまにふと思う時がある。
弟に注いでいる感情は本当に愛情なのか、と。
本当はただの同情心で後ろめたい気持ちを隠すために利用しているだけなのではないか。
魔力を持った後も、あまり態度が変わりすぎると自分の汚さを気づかれそうで気を配り続けた。
そしてやはり自分は魔力の有無で弟と接しているのだなと思い、悪循環に嵌まっていくのだった。




