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48.担任セーラの回想



休職してから五日が過ぎた。

部屋のベッドでセーラは重たい体を起こすと両足を床へと降ろし、片手で顔を覆いそのまま座って深い息を吐く。

数日前と比べれば、心身ともに落ち着いてきたように感じる。


冷静になった頭でセーラは、魔物の出現時アサカと街で会った日のことを思いを馳せる。

突如出現した魔物を討伐しに街に出て、初めて目にする魔物は大きかった。


黒い毛で覆われた2メートルほどの体長で、頭には2つの角が生え、アーモンド型の大きな赤黒い瞳に獣のような口から見える牙は太く鋭い。

全体の筋肉は目に見えてわかるほど分厚かった。


なぜか魔物の身体には不自然に黒い蝶が留まっており、セーラは違和感を覚えたが、それは実際に戦うことで解消した。

誰かが魔物の心臓である核の位置を黒い蝶で教えてくれている、と。


セーラは自身の魔具である長鞭をしならせ、魔物の足を狙い巻き付けると強く引き戻し体勢を崩させる。

素早く拘束を解くと鞭に雷の魔力を帯びさせ、蝶の留まっている箇所に、攻撃を当てる。

肉体を貫通して魔力が届き、核が破壊されると魔物の肉体は砂のように崩れ落ちた。


「(意外と弱い……! これなら生徒たちを戦わせずに済むかもしれない!)」


セーラはそう確信し、雑居ビルの上に登ると地上を見回しながら魔物がいる場所へと降り立っていく。

対峙する魔物はやはりそこまで脅威ではなかった。核の位置が分かるのも要因だろう。


商店街の通りで通算八体目の魔物を倒して安堵していればと、ふと近くの路地裏から音が聴こえたような気がし、近づき耳をそばだてた。


仄暗い路地の奥で、何か――水が落ちるような音がする。

普段なら気になんてしない音。

しかし、黒い蝶が誘われるように飛んでいくのでセーラは不思議に思い、路地裏へと足を踏み入れた。


光が当たらない仄暗い場所で、歩みを進めるほど吐息混じりに何かを咀嚼している音と汁を啜るような不快な音が耳に否応なく入ってきて、鉄のような臭いがやけに鼻に付く。

ポケットから取り出したハンカチで鼻を押さえ、セーラは奥へと進む。


そして、その原因のもとへとたどり着いた時、セーラは足を止めた。

黒い毛むくじゃらの魔物がこちらに背を向けて地面に腰を下ろし、二つの角が生えている頭を一心不乱に上下に動かしている。

魔物のすぐ下の地面に広がっている液体は暗さがあるせいか、血のようにも見える。


そんな……、と。

セーラの足が震えだす。

何かの見間違いだろうと、必死に自分を誤魔化し、現実を受け入れることを麻痺させる。

しかし、足は逃げるように一歩後退する。


それに気づいた魔物が振り返る。

妖しく光る赤黒いアーモンド型の大きな瞳がセーラを捉える。

しかし、セーラの意識はその印象的な瞳ではなく、獣のような口元に注がれた。


口の周りの毛にはべっとりと液体が張り付いており、時折重力に逆らえずにポタリと地面を濡らしている。

魔物は立ち上がり、手に持っていたものをぞんざいに地面に投げ捨てる。

セーラの瞳にそれが映ったとき、彼女は時が止まっているのだと思い込んだ。

なぜなら、それは瞳と口を開いたままピクリともしないのだ。


行き場を失った血だけが止めどなく地面に流れ続けている。

セーラの知識として、魔物は人を襲うものだと認識はしていた。

外傷的な攻撃だろうという固定観念があった。


それが覆ったのが六年前のあの日の、状況報告書だ。

あの日、ひどく損傷した遺体には大まかな共通点があった。


そして今、その報告の通り、目の前の地面に転がっている遺体の胸は不自然に空洞になっている。

あるべきものがそこに存在していない。

それを視認したとき、セーラは悟る。

――この魔物は人の心臓を食べていた。


「あ……ああ……」


開いた口からは漏れ出た言葉は情けなく震えている。

目をそらさなければならないのに、脳に焼き付けるように現実を直視してしまう。


目の前の魔物ではなく、人が痛ましい姿で死んでいるという事実にセーラは恐怖した。

これほど独りであることを心細いと思ったことはない。思考が働かない。


人を襲うところを見れば怒りが前に出てくる、そう思っていた時期もあったが、実際は膝から下がガクガクと震え、手に魔具を持っていることすら忘れてしまっている。


魔物は荒い息を吐きながらセーラへと一歩足を踏み出す。

迫りくる魔物の顔に視線を移し、ただただ見つめ、脳裏に浮かぶのは自省であった。


そう。魔物は怖くない。

それは自分が抗える術を持っているから。

だが、目の前で倒れている人はどうだったのか。


セーラが弱いと判断した裏で、命を落とす人がいる。

戦うことが出来る生徒たちを待機させた采配は、本当に正しいことだったのだろうか。


もしも人員が多くいたのならこの人は助かっていたのかもしれない。

自分の判断がどれほど軽く、危機感がなく、浅はかなものだったのか知らしめられているというのに――


「(私はどうして魔物をこんなにも怖いと思えないのだろう……)」


魔力を持たざる者との認識のズレにショックを受けていれば、目の前にいる魔物はセーラに近づく前にぼとりと首を落とされた。

セーラはその光景に目を見張る。


長い黒髪の少女が魔物の上から落ちてきて、大鎌を取り出すと魔物の首をはねた。

瞬く間の出来事で、それはまるで処刑台の斬首のようだった。


地面に降り立った少女は魔物の首に見向きもせず、首を切られたことを気づいていない肉体の方をじっと見つめている。


「先生、核の破壊を」


振り向きもせず、感情を殺しているような口調で端的に言われ、セーラはハッと我に返り辺りを見回す。

落とされた首の断面からキラリと核が光っているのが見え、セーラは震える手で鞭に魔力を込め、打ちつけた。


核は割れて砕け、それとともに魔物の肉体もサラサラと砂となって消えていった。

それを目にしてホッとしたのか、動揺していた心が少し落ち着きセーラは少女に声をかける。


「アサカさん、どうしてここに……」


振り向いたアサカはセーラの問いかけには答えず、懐から赤黒い核を取り出した。

目の前にいた魔物とは別の核だ。

それを彼女は拳が震えるほどに強く握りしめていたが、ゆっくりと息を吐くとセーラへと差し出した。


「すみませんが先生、これも壊して頂けないでしょうか?」

「え? わ、わかりました」


言われるがままにセーラは核を鞭で破壊した。

アサカは生気のない顔でお礼を言い頭を下げた。

目の前で人が死んでいるのを見れば仕方のないことだろう。


セーラはアサカのその姿を見て気の張りを少し取り戻せた。

それから話を聞けば、体調を崩して寮にいたが街の異変に気づいてここに来たとのことであったので、その後は行動を共にした。


が、街が落ち着きを取り戻した後にふと、疑問に思う。

あの時は気が動転していたので何も考えずにアサカが持っていた核を破壊したが、どうして彼女は魔物の核を持っていたのだろうか。


セーラは考え、導き出した答えは、闇の魔力の持ち主は核を破壊できないから他の魔法使いに破壊してもらうため、だった。

矛盾はない。


しかし、後に開かれた職員会議の際に理事長が発言した報告にセーラは口元を片手で覆った。

”魔物の亡骸が数体消滅せずに残っていた”


耳にした情報にまさか、と自嘲気味に手元の書類の束をめくり詳細を確認すれば、アサカと出会った場所と発見現場はそれほど離れていない。

微動だにせず書類を呆然と見つめていたせいか、セーラは理事長の目にとまった。


「どうかされましたかセーラ先生?」

「……い、いいえ。何も……」


動揺を振り払うように否定の言葉が口から出る。

そして頭の中で必死に彼女を庇うための弁明を作りだす。


あの時、アサカの手にしていた魔物の核はセーラが破壊したので彼女が何かをしようなどと考えているわけがない。

そもそも、そうであるならばセーラに壊して欲しいとお願いしたりはしないだろう。

 

しかし、それならば残りの核は何処へ消えたのか。

持ち去った者がいるのであれば、人の心臓を食した魔物の核をどのような目的で持ち去るのか。


セーラは様々な憶測をしては、くらりと目眩がし、崩れそうになる身体を机につかまり支える。

静かな空間に音が響いたせいで、理事長が手にしていた書類を机に置き、セーラの身を案じるように声を掛けてきた。


「大丈夫ですか?」

「え、ええ。すみません……」

「――どうやら、かける言葉を誤ってしまったようだ。セーラ先生、体調がすぐれないのでしょう?」

「……はい」


そう訊かれてしまえば、素直に答えるしかない。

それから休職を勧められ現在に至る。


休んでいる間も目にした遺体と、アサカの姿が交互にセーラの頭と心を悩ませた。

しかし、ずっと休んではいられない。


セーラはテレビのリモコンに手を伸ばし、電源を押した。

今日は戴冠式があり、リアナ殿下が正式に女王を引き継いだ。


何があったとしても前に進まなければならない。

また数年後、魔物が現れるかもしれないのだから、その時は違わずに動けるように、指示できるように。


そして数年後ならば、理事長に聞かされたアサカの疑いも晴れていることだろう――。




セーラは一般家庭の出身です

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